11話 伸二の秘書、久米蘭子
11話 伸二の秘書、久米蘭子
8月12日、13時05分。
葛城証券会社、一階ロビーにて。
証券会社のロビーの前を、スーツ姿の男女が忙しそうに早足で往来している。
真と御堂の二人は、”久米”と書かれた名札を首から下げた同い年ぐらいの女と、一階ロビーに複数個存在するガラス張りの打ち合わせ室の中で、顔を合わせていた。
「見抜探偵事務所の見抜真です」
「助手の御堂護です」
「社長の秘書の久米蘭子です」
スーツをキッチリと着こなし、軽いウェーブのかかったミディアムボブを肩先で揺らす彼女は、機械のように正確なお辞儀をした。
「本日は、社長ではなく私に話があるのですよね?」
「はい」
「要件をどうぞ。社長から『客の個人情報以外は正直に話しても良い』と、伝言を受けていますので」
「それは助かります。それでは」
真は軽く咳払いをしてから、続きを話し始めた。
「8月8日。葛城伸二さんはどのような予定でしたか?」
「”午前9時20分から、企業の担当者と打ち合わせをしていました”」
久米は、手帳や携帯電話を確認することなく、即答した。
「打ち合わせはオンラインでしたか?」
「いえ。”本社で直接お会いしての打ち合わせ”です」
「なるほど。その後は?」
「”午前11時10分から、個人投資家と打ち合わせ”をしていました。先程同様、本社で直接顔を合わせてです」
「午前中はずっと打ち合わせしていたというわけですか」
「はい。12時05分から13時00分まで昼休憩。午後は13時05分から社内会議。15時00分から別の個人投資家と打ち合わせ。その後は、社内外からのメールや書類の確認をし、17時10分に退社しました」
「朝から夕方まで会社にいた事が、客観的に証明の出来るモノが確認したいのですが、タイムカードのような物はありますか?」
「弊社はタイムカードではなく、全てアプリで管理しています」
久米は携帯電話を取り出して、勤務時間管理アプリを開き、”葛城伸二が事件当日の8月8日の朝8時30分から17時10分まで勤務していた”と記録された画面を、真達に見せた。
「これは、社員全員同じアプリを?」
「はい。入口横の機械に、社員証の裏に記載されたQRコードを読ませると、誰が何時に登録したかをサーバー上に自動で保存するシステムです」
「偽装は無理だよな?」
御堂が疑問を口にすると「サーバー上のデータは書き換え出来ません」と、久米は即答した。
「伸二さんはいつも自家用車で出勤されるのですか? それともタクシーを利用していますか?」
「”基本は自家用車”です。会食がある場合は、タクシーで出勤されますね」
「なるほど」
真は口元を手で押さえ、十秒程黙った。
「質問は終わりですか?」
痺れを切らした久米が問いかけると、真は「もう少しだけ」と応えた。
「葛城歳三さんは、この証券会社の運営に関与していますか?」
「会長という形で在籍はしていますが、業務自体は社長が全て行っています」
「年若い社長が信用を得るための会長、ということですかね」
「端的に言えば、そういうことになります」
「では、伸二さんが、歳三さんを恨んでいたり、邪険に思っていた様子は、過去にありましたか?」
「社員の前で『アイツがいなくなれば、俺が本当の意味で葛城財閥の全てを握る』と、度々口にしていましたね」
「じゃあ、”葛城伸二には動機がある”ってことじゃないか!」と、御堂は声を荒げた。
「動機はあったかもしれませんが、社長は実際に行動に移すとは思えません」
声を荒げた御堂とは対象的に、久米は顔を合わせた時から一度も崩していない、冷静な口調で即答した。
「なんでだよ。秘書には優しいかもしれないけど、アイツは中々酷い性格をしていてだな」
「御堂。私情が入りすぎている」
「ッッッ!」
真の指摘に、御堂は目を丸く開き、気まずさから口を閉じた。
「久米さんは、どうしてそう思うのですか?」
「リターンに対してのリスクが大きすぎるからです。
確かに、社長の普段の言動は粗暴な面が目立ちますが、”社長はリターンよりもリスクを優先して考える”人です」
「なるほど。印象と違って、随分と堅実な方ですね」
「此処から先は私の個人的な感想ですが、”社長が本気で会長を殺そうと考えたのなら、自分が絶対に疑われないような状況で行うはず”です」
「警察を操ってんだから、絶対に疑われない状況になってるだろ」と、御堂は真にだけ聞こえるぐらいの声量で呟いた。
「例えばの話なのですが、ミスが許されない重要な案件があった時、伸二さんは自分でやろうとしますか? それとも、誰かに任せますか?」
久米は、真の目をジッと見つめた。
「例え話を持ち出していますが、見抜さんは『社長は誰かに殺しを依頼するような人間か?』と、聞きたいのですよね?」
「隠さず申し上げれば、その通りです」
この時初めて、久米は即答せずに、数秒考え込んだ。
「それは、分かりません。
リスクを重視するなら社長なら『自らの手で確実に』と、思うかもしれません。
反対に『絶対に自分の手を汚したくない』『責任を他人に押し付けたい』と、思うかもしれません。
ただ、普段の業務に関して言えば、”社長は自らの手で行うはず”です」
「そこまで言って大丈夫なんですか?」
御堂が疑問をぶつけると、久米は首を傾げた。
「質問に答えただけですが、何か問題でも?」
「そういう意味じゃなくて。仮にも俺達みたいな探偵を相手に、自分の社長が不利になりそうな事を喋るだなんて、随分と肝が据わってるなぁと思って」
「『客の個人情報以外は正直に話して良い』と許可をいただいているので、何も問題は無いかと」
「そ、それはまぁ、そうかもしれないですけど」
「質問は終わりですか?」
「まだ、あと二つあります。一つは、”如月あやの”という方をご存じですか?」
「はい。社長の家で住み込みで働いている家政婦、今時の言い方をすれば、家事代行を行なっている方ですよね?」
「ご存知なのですか?」
「はい。年末頃に、『プライベートで会った、ロクに仕事が出来ない、見た目だけが取り柄の女を家で雇った』という話を聞きました。
直接会ったわけではないので、それ以上の事は知りません」
「そうですか。最後の質問ですが、社長が通勤で使っている車は、どんな車ですか?」
「会社駐車場の、屋根のあるエリアに停めてある、”黄色のヴェロッサ”です」
「ヴェロッサって、スポーツカーのヴェロッサ!?
確かに格好良いけど、ゼロが三つぐらい余計なあのスポーツカー!?」
御堂は目を丸くしながら、大きな声を出した。
「値段の方は知りませんが、スポーツカーのヴェロッサです。はい」
対する久米は、御堂の大声に一瞬身体を震わせながらも、淡々と応えた。
「へぇ。さすが財閥の社長ってわけで。良いなぁ。俺も乗りてぇよ」
御堂の感想に溜め息を漏らした真は、すぐに表情を引き締め、久米に視線を向けた。
「なるほど。私からは以上です。本日はご協力ありがとうございました」
真が頭を下げたので、御堂も慌てて頭を下げた。
「ありがとうございました。社長から『最後に伝えるように』と、伝言がありましたので、お伝えします。
『無駄足ご苦労さまでした』とのことです」
「あ、あの野郎」
ギシリと、歯が欠けるのではないかという程に、強く歯軋りしながら怒る御堂に対し、真は笑顔を浮かべながら「それでは、このように伝言お願い出来ますか? 『大変参考になりました』と」
久米は、呆気に取られた表情をした後に、畏まっていない、自然な笑みが溢れた。
「フフ、分かりました。お伝えしておきます」
8月12日。13時45分。
鳴間駅付近のファミレスにて。
「なぁ、真。もっとガツンとした伝言を頼まなくて良かったのか?」
山盛りのポテトを鷲掴みし、一気に口に放り込んだ御堂が、モチャモチャと咀嚼しながら不満を漏らした。
「例えば?」
「そうだなぁ。『笑ってられるのは今の内だ!』とか『後悔するぞ!』とか」
「ヒーローに倒される悪役の台詞にそっくりだ」
真は鼻で笑い、ブラックのアイス珈琲を一口飲んだ。
「た、確かに。だったら『正義は必ず勝つ!』とか良いんじゃね?」
その時、真の携帯電話が突然震えだした。
御堂は口を閉じ、真はすぐに耳元に当てた。
『おお。見抜か?』
「安井警部補。お疲れ様です」
『防犯カメラの映像の件。手こずったが、準備出来たぞ』
「本当ですか? もう少し時間掛かると思っていました」
『俺が本気出せば、こんなもんよ』
「今から伺っても良いですか?」
『あぁ。構わん』
「私達は今、駅の近くにいるので、30分もすれば着くと思います」
『分かった』
安井は、妙な間を空けてから続きを口にした。
『それにしても、こうも暑いと冷たい羊羹が食いたくなるよなぁ』
「あぁ、良いですねぇ。”偶然、羊羹を持参するかもしれません”」
『そういうのを受け取っちゃいけないってことになってるが、偶然持ってきたんなら、仕方ないよなぁ。じゃあ、待ってるからな』
真は、電話が切れたことを確認すると、御堂の前に置かれた山盛りポテトの皿から、熱々ポテトを一本拝借して咥えた。
「御堂。これから忙しくなるぞ」
「よし! 伸二の野郎をギャフンと言わせてやる!」
「目的を履き違えるなよ。僕達の目的は、真相解明だからな」
「わ、分かってるよ」
二人は、テーブルの上の皿やグラスを空にすると、会計レジへと向かった。