#10ー3:情報が戦場を支配するとき
✦✦✦《静寂と策略》✦✦✦
作戦室には、魔導スクリーンの無機質な音だけが響いていた。
壁一面に広がる巨大なスクリーンには、無慈悲な赤い数字が刻まれている。
数字が一桁動くたびに、赤い光がKの顔を断続的に照らし、その目の奥で何かが燃えていた。
照明はなく、スクリーンの反射光だけが室内を無機質に染めている。
Kの市場価値は、まるで地に落ちる岩のように下がり続けていた。
Kは腕を組み、鋭い眼差しでデータを見つめる。
一見、冷静なように見えるが、その手はわずかに拳を握りしめ、指の関節が白くなっている。
その感情は焦りではない。怒りだった。
ゼグラントの市場操作は、想定以上に巧妙で速い。
一つの情報が流れるたびに、市場がわずかに揺れ、その影響が次々と波紋のように広がっている。
「……上等だな、ゼグラント。完璧すぎて、逆に隙がある」
隣に立つ影鬼が、淡々と報告する。
「市場心理が揺らぎ、投資家の撤退が加速しています。
K様に投資していた者たちは、ほとんどがゼグラント側に資本を移動させました」
Kは唇を噛む。スクリーンに流れる数字は、無情にも下落を続けていた。
市場は感情で揺れる。だが——それだけでは勝てない。
決着をつけるのは、冷徹な戦略と一手先を読む力だ。
「市場の評価が軍事的な標的を決める……」
Kは微かに笑いスクリーンに映る赤い数字を睨みつける。
まるで獲物を狙う獣のような目で――。
「この市場の血流を、俺が支配する」
戦場を動かすのは兵ではない。数字だ。
その数字を操る者こそ、戦場の王だ。
「Kの支配領域が不安定になっている」
「この機に乗じて、一気に拠点を落とせ」
そんな噂が、魔王市場の中で急速に広がっていく。
投資家たちは、その流れに敏感に反応する。
「Kの市場評価が落ち続けている……このままでは危険かもしれない」
「投資は撤退すべきか?」
軍と市場は表裏一体、どちらが揺れてももう片方が崩れる。
戦争と市場を同時に制する手法。
ゼグラントは、その原則を熟知していた。
✦✦✦《影の作戦、噂の炎》✦✦✦
Kは影鬼たちに指示を出した。
「影鬼の潜伏部隊を、市場の裏で動かせ」
「ゼグラント派の魔王たちの取引所に潜り込み、『Kの拠点を攻撃すれば市場価値が下がる』という噂を流せ」
影鬼たちは静かに頷いた。
彼らの仕事は、単なる戦闘ではない。
情報を操作し、市場そのものを変えること。
Kは続ける。
「この戦争の本質は、軍事力ではなく市場心理の支配だ」
「ゼグラントの市場工作が戦争を有利に進めるなら、 俺は市場そのものを操る」
影鬼たちは即座に動き出した。
黒布のようなマントが音もなく翻り、足音さえ吸い込まれるように消えていく。
まるで影が壁を這い、都市の隙間へ染み込んでいくようだった。
影鬼たちは、各地の取引所に潜り込んでいった。
魔王市場の裏にある、影の投資家たちの会合。
そこでは、魔王たちが資産運用について議論していた。
「Kの市場評価が下がっている。このまま投資を続けるのはリスクが高いな」
「ゼグラント派の魔王たちも攻撃を準備しているようだ」
そこに、影鬼が静かに情報を流す。
「しかし、Kの拠点を攻撃すれば、市場価値が暴落するという噂もある」
「投資家たちは、市場の安定性を最も重視する。
もし戦闘が長引き、Kの拠点が陥落しない場合、逆にゼグラント側の評価が下がる可能性がある」
「ゼグラント側の市場価値が不安定になれば、大規模な資本流出が発生するかもしれない……」
情報を流しても、市場は沈黙したままだった。数値は一切動かず、時間が凍りついたように。
「……踊らないか」
作戦室で沈黙を見つめるKが、低く呟いた。
セリアがスクリーンから目を離さずに言う。
「……息苦しいほど静かね。情報が、閉じ込められてる」
数時間後、ようやく火種が落ちた。
その夜、匿名の情報掲示板に投稿が現れる。
――『Kの拠点を攻撃すると、市場が暴落するらしい』
最初に揺れたのは、小規模な取引所だった。
わずかな売却が数字にうねりを生み、それを見た情報通の投資家たちが――『何かが起きている』と察知する。
噂は、静かに、しかし確実に広がり始めた。
噂は、静かに、しかし確実に広がり始めた。
投資家たちの間で、次第に疑問が生じ始めた。
「本当にKの拠点を攻撃するべきなのか?」
「もし市場評価が暴落すれば、ゼグラント派の魔王たちの資産にも影響が及ぶ……」
「ゼグラント側の市場操作は強力だが、それでもKはしぶとい」
市場に動揺が走る。
ゼグラント派の魔王たちが、Kの拠点へ進軍しようとしていた。
だが――。
「待て。状況が変わった」
「投資家たちの一部が、ゼグラント側の市場評価の低下を懸念している」
「攻撃を続けることで、逆に市場が混乱する可能性がある……」
「どうする? 攻撃を続行するか?」
「……少し様子を見る」
市場心理が影響を与えたことで、戦場の進軍が鈍った。
Kは、魔法スクリーンを見ながら小さく笑った。
だがその目は、次の一手を見据えていた。
「……上々だ。影鬼の仕事は」
✦✦✦《ルールを書き換える者》✦✦✦
作戦室でスクリーンを見ていたセリアが、静かに口を開いた。
「ゼグラントのやり方を真似しているだけね」
Kは彼女を一瞥する。処分寸前の自分を拾い上げ、
“感情”ではなく“判断”を教えてくれた――だからこそ、その言葉には、いつも一瞬の迷いが生まれる。
「だが、それだけでは不十分よ」
「ゼグラントは市場操作のプロ。 単に情報を流すだけでは、いずれ対策されるわ」
Kは頷いた。
「分かっている」
「だからこそ、市場のルールそのものを変える必要がある」
セリアが眉を上げる。
「……あなたは本当に、召喚制度を壊すためだけに動いてるの?」
その声には、かすかな迷いがあった。
「……あのときと、今のあなたは……少し違って見える」
Kはわずかに目を伏せる。
静かだった。だがその沈黙が、何より雄弁だった。
「……勝たなきゃいけないんだ。それが、俺に残された最後のやり方だ」
Kは静かに言った。だがその目は、静かすぎた。
「損得しか知らねぇ豚が、命の重さなんざ語るな」
机の端に拳を叩きつける。パキ、と乾いた音。木材がわずかに裂けた。
その衝撃で書類の束が一枚、ふわりと宙に舞った。
赤いスクリーンの光がその紙を照らし、床に落ちるまでのわずかな間、空間が静止したように見えた。
「屑どもが一匹残らず市場に群れて、何が判断だ」
スクリーンに映る市場の数字を見下ろすようにして吐き捨てる。
「くそっ、生ゴミが。燃えるゴミを出すのはおとといだろうが……」
その声に、静かな熱が宿り始めていた。怒りではない――嫌悪だ。
「ゼグラント? 玩具がしゃべるな」
さらに一段、低く呟く。
「腐った市場に群がる蠅どもが……群れて動くことでしか自分を守れない連中が……」
スクリーンの赤い光に照らされながら、Kは最後に一言、噛みつくように言い放つ。
「……拾われてたまるかよ。誰にも」
沈黙が落ちた。
いつもなら瞬時に動き出す影鬼たちも、このときばかりは動きを止めていた。
目配せすらなく、空気が凍りついていた。
セリアは、スクリーンを見たまま、しばらく口を開かなかった。
まるで言葉を探すように、ゆっくりと息を吐く。
「……Kらしくないわね。こんなに話すなんて」
Kは一瞬だけ目を伏せ、そして再び顔を上げる。もう、平静を取り戻していた。
「……たまにはな」
数秒の間を置き、Kはスクリーンに目を戻す。
「……少し喋りすぎたな。舌も疲れる」
それは反省ではない。ただの観察。
感情を分析し、捨て去る戦略家の目だった。
影鬼たちは、再び音もなく戦場へと溶けていった。
ここからが本番だ――数字は市場を動かし、意志が戦況を決める。
Kは手元の書類に、無言で印を走らせた。
そして、誰にも届かぬように――ほとんど息のような声で呟いた。
「……誰かに拾われたかったのは、きっと俺のほうだ」
そのとき、中央取引所の奥―― 。
誰にも知られぬ“旧召喚権管理室”に、古びた契約書がひとりでにページをめくった。
【次回予告 by セリア】
「勝つための手は、時に“正しさ”から遠ざかるのよね」
「戦場に響くのは剣じゃない、スクリーンの脈動と数字の叫び。
Kの影鬼たちは市場を乱し、ゼグラントの防壁を突き崩そうとしてるけど……向こうも“読んでる”わ。
まるで、情報という名の刃で互いの胸元を探り合ってるみたい」
次回《市場を制す者、戦場を制す》
――《支配と制御、その違いが問われるとき》
「Kはね、自分が“揺れてる”って、まだ気づいてないのよ。だから……止まれないの」




