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#9−8:恐怖の手綱(後編):処刑



 黒い霧のような揺らぎの中から、影鬼が姿を現す。

 それは人の形をしていたが、光を吸い込むような気配だけがそこにあった。


 周囲の空間は凍りついたように静まり返り、壁の魔導ランプが一瞬だけ明滅した。

 揺らぎの中心から滲む漆黒は、部屋そのものの輪郭をも溶かし始めていた。


 その輪郭は曖昧で、外周が常に滲んでいた。

 肩口から揺れるように立ちのぼる黒煙が、まるで“市場の深部”から滲み出た怨念のようだった。


 数秒後、魔導板の速報欄がざわつき始めた。

 その反応に、投資家たちのざわめきが追随する。

 

「……あれは、Kの紋章?」

「影鬼が出た……取引に応じてきた?」

「市場が、呼吸している……?」


 ノイズ混じりの文字列が、スクリーンの下部を横滑りしていく。


 その一文一文が、Kの意図を、無言のまま“肯定”していくようだった。



✦✦✦《影鬼の恐怖を利用した市場戦略》 ✦✦✦


 影鬼は、市場の異常を監視する存在となった。

 取引の歪み、不正な資金移動、過剰な買い――すべてを静かに記録し、Kのもとへ報告する。


 Kは命じる。


「見張れ。ゼグラントの手が入った取引は、一つ残らず炙り出せ」


 その声に、かすかに熱が混じっていた。


 アルカナが小さく頷く。


「……投資家たちは、秩序の象徴に飢えている。なら、それを見せればいいだけ」


 エリシアが興味深そうに目を細める。

 

「ルールを塗り替える? 具体的には?」


 Kは冷静に答えた。

 

「影鬼は、市場に潜む“歪み”を見逃さない監視者となる」


 Kの声は静かだが、どこか熱を帯びていた。


「不正や過熱の兆しを即座に感知し、俺に伝える。

その情報を使って、正しい指標を市場へ流すんだ」


 Kは視線をスクリーンに向けたまま、続ける。


「そうすれば、投資家たちは“安全な場所”として俺たちを選ぶ」


 魔導スクリーンの上部に映る都市の市場図が、淡く光る網目のように広がった。

 その網は静かに明滅しながら、Kの手元の指令とリンクするように脈打っていた。


 そして最後に、ひとこと。


「この戦略の核は、“恐怖の再定義”だ。

秩序に見せかける。そうすることで、人の判断は変わる」


 一つずつ言葉にするたび、胸の奥がじわりと軋む。

 Kはふと視線を外し、短く息を吐いた。


 Kは指先でデスクをトンと叩いた。

 短い静寂が部屋に広がる。ふっと息を吐き、次の言葉が口をついて出る。

 

 市場は絶えず律動している。まるで、欲望という名の鼓動のように。

 ……その比喩に、自分自身すら酔わされている気がした。

 

 だが、その“うねり”こそが、欲望を生み、動きを作る。

 影鬼は、ただの駒じゃない。市場の“波”を調律する存在になる。


 市場はいつも揺れている。その揺れに乗って、人々は欲望をさらけ出していく。

 Kはそう確信していた。だがその背後で、アルカナの目が微かに揺れていた。


 アルカナはKの横顔を一瞬だけ見て、問いかける。

 その視線には、共闘者としての信頼と、微かな疑念が交じっていた。

 

「恐怖を完全に排除するのではなく、制御するということ?」


 Kは短く首を振り、続けた。

 

「そうだ。波を消すんじゃない。

あえて“ちょうどいい揺れ”を作るんだ」


「不安定すぎれば投資家は逃げる。

けれど、安定しすぎれば、利益の種も死んでしまう。

影鬼は、そのバランスを保ちながら――投資家がリスクを取る動機を作る存在になる」


 エリシアが皮肉気味に微笑んだ。

 

「“外”にいると怯えるのに、“中”にいると安心するなんて……それ、もう飼いならされてるってことよ」


 エリシアは肩をすくみ、ため息をつく。


「……結局のところ、彼らは力の支配を求めているのよ。――私自身、そこに抗えるかは、わからないけど」


 Kは軽く頷き、視線を鋭くした。

 

「正確には、影鬼は市場データの異常を監視する。

不正な取引を発見すると、その情報を投資家たちに“さりげなく”伝える」


 魔導スクリーンには、上下に振動する赤と青の帯がいくつも走っていた。

 そのリズムは脈動のように変化し、あたかも“市場が生きている”かのようだった。


 Kはスクリーンを指でなぞりながら、ゆっくりと語る。


「市場を動かすのは、情報だ」


 Kは確信を込めて続ける。


「そして――“影鬼がいるから、安心できる”と思わせること。それが本質だ」


 そのとき、控えていた補佐官が、静かに歩み寄ってきた。


「K様、確認されました。影鬼の出現以降、あなたの関連銘柄への資金流入が顕著です」


「魔王市場からも、流入の兆しが一部……移行しています」


 Kは何も答えず、ただスクリーンを見つめていた。


 ……“影鬼がいるから、安心できる”。

 ……本当に? それで安心できるのか?


 そんなに簡単な話じゃない。

 Kの胸の内で、誰かがそう呟いた。もしかしたら、自分自身かもしれない。


 ……思わせるだけで、それが“本質”だって、言い切れるか?


 ほんの一瞬、Kの目が揺れた。

 それが本当に“安心”であるかのように、自分自身をも欺こうとするかのように。


 静かに息を整え、断言した。


 その言葉は、誰にも向けられていないようでいて、会議室全体を貫いた。

 答えを返すには、少しだけ、沈黙が必要だった。


「つまり……影鬼がいなきゃ市場が成り立たない――そんな風に、錯覚させるって話だ」


 アルカナが小さく息をついた。


「……でも、本当にそれが秩序なの? 安心の顔して、誰も安心してないわ」


 一瞬、空気が止まる。

 

 そのとき、会議室の扉がわずかに開いた。


 補佐官の一人――出席予定のなかった旧財閥派の男が、遅れて姿を現した。


 「……安心ね。言葉は便利だよな、K様」

 男は鼻で笑いながら、扉にもたれるように立った。

 「幻想ってのは、支配の初歩だ。でもな……錯覚はいつか崩れる」


 Kは動かなかった。ただ、ゆっくりと椅子から立ち上がる。


 「錯覚は崩れない。崩れるのは――仕組みに逆らった側だけだ」


 次の瞬間、音もなくKが動いた。


 机の脇に置かれていた古椅子の脚を、抜くように掴む。


 足音も殺したまま接近し――。

 そのまま振り抜く。


 男の片目が、鈍い音とともに潰れる。


 悲鳴が上がるより先に、Kの左手は鉛筆を抜いていた。

 耳元から突き立てるように差し込まれる。


 膝から崩れ落ちた男の口に、古びたインク瓶が差し込まれた。


 「――混乱は、ノイズに始まる」


 Kは足で瓶の底を蹴り上げた。

 “ごぶ”という音が、短く響いた。


 部屋に血の匂いが漂う。けれど、誰も声を出さなかった。


 Kは手元のハンカチで鉛筆を静かに拭きながら、席へ戻る。


 「……次。監視モデルの運用検証に入る」


 アルカナはわずかに眉を動かした。

 エリシアは表情を変えない。けれど、その指先は無意識に髪から机へと移動していた。


 誰も口には出さない。だが、室内の空気が一段濃くなったのは、確かだった。


 “安心”――それがどういう形で保たれているかを、今、全員が知った。

 

 アルカナの声に応じるように、室内の空調音がひときわ大きくなった気がした。

 揺れる書類の端が、誰にも触れられていないはずなのに、かすかにめくれた。

 

 ……その言葉に、わずかな沈黙が落ちた。

 空気の流れが、違和感のように揺れる。



✦✦✦《祈りか、呪いか》 ✦✦✦


 ……沈黙。誰もが口を閉ざした時間の、その奥に――。


 部屋の空気が、まるで水の中に沈んだように重くなる。

 魔導ランプの光が、わずかに揺れた。


 会議卓の中央に設置されたグラスが、カチンとわずかに鳴った。

 誰も動かしていないのに、水面が一瞬、波紋を描いた。


「……僕、妖精だよ?」


 その声は、静寂の奥から滑るように響いた。

 パタパタと手のひらを振りながら、小さな神官服の男が現れる。


 Kだけが、その姿を見た。


「ふぅん。“錯覚”ね。君、自分でもそう思ってるの?」

 

 妖精は笑った。


「それ、君の“祈り”になってない?」


 Kは答えなかった。

 ただ、目を伏せたまま、指先で机をなぞる。


「“思い”って言葉を使ってるだけで、自分の選択肢、勝手に狭めてない?」


 妖精はいつになく必死にバタつかせながらニヤつく。

 

「“安心させたい”って思ってる時点で、君が“不安”を信じてる証拠じゃない?」


 妖精の声には、軽さの裏に、刃のような鋭さがあった。


「信じた力は、やがて君を喰うよ。……でも、それも悪くない終わり方かもしれないね」


 ふっと笑って、ひとことだけ残す。


「妖精だからね。わかっちゃうのさ」


 彼の姿は、次の瞬間にはもう霧のように消えていた。


 Kが顔を上げると、アルカナもエリシアも、会話の続きを待つように静かだった。

 その沈黙が、逆に“Kにしか見えなかったもの”を際立たせていた。


 ――彼女たちには、何も聞こえていないらしい。



✦✦✦ 《揺らぐ支配》 ✦✦✦

 

 Kは、机に残った指先の熱を感じていた。


 ……この部屋にはもう誰もいないのに、何かが残っている気がした。

 空気の重さに、誰も触れようとしなかった。

 

 誰の声かは、もう聞き慣れていたはずだ。

 それでも――“祈り”か、“呪い”か。答えはまだ、見えてこない。


 ほんの一瞬、Kの視線が、魔導スクリーンから外れた。

 何かを振り払うように、目を閉じ――すぐ、開いた。


 アルカナは魔導スクリーンに映るデータを指差し、結論づけるように話した。

 

「市場の均衡が保たれている間は良いけれど、

K、あなたが影鬼の恐怖を完全に制御できると考えるのは早計かもしれないわ」


 Kは小さく頷き、静かに言葉を返した。

 

「完全な制御は不可能だ。

だが、“恐怖”の振れ幅を抑え、市場にとって心地いい“揺れ”に整えることならできる」


 ……完全に制御なんて、できるわけがない。わかってるさ、そんなことは。


「……そんな繊細な不安定さを、数字だけで操れると?」


 アルカナは再び問いかけた。


 Kは魔導スクリーンに映る市場データを指し示しながら答えた。


「投資家の不安は、突発的に見えてパターンがある」


 Kは淡々と、だが確信を込めて続ける。


「市場が一定以上に揺れたとき、資産は特定の方向へ動く。

影鬼はその過去データを分析し、動きに合わせて情報を投下する」


 少し間を置いて、言い切った。


「恐怖の波……。その揺れ幅さえ、俺の手の内にある。いや、そう“見せる”だけでいい」

「……暴れさせるんじゃない。“手綱”を握ることで、市場は走る」


 次の瞬間――市場グラフの一本が、わずかに、しかし確実に、右肩を上げていく。


 Kの言葉が現実に先んじたのか、それとも、現実を従わせたのか。


 その境目は、もう曖昧だった。


 ……市場が脈打つ。その変動幅さえ、いずれ――俺が握れる。


 アルカナは、ふとスクリーンの端をよぎった影に目を細めた。

 ……一瞬、背中が粟立つ。

「秩序」――そのはずだったのに。今は、何か、“別のもの”に見えた。


 エリシアが微笑みを浮かべながら話を引き取った。

 ……が、その笑みは、どこかタイミングを誤ったようにも見えた。

 笑みの奥には、かすかな緊張の影が差していた。

 指先は髪から離れ、机の角をなぞるように触れていた――その指は、なぜか、震えていた。

 まるで、何かをごまかすような。


 Kは机の端を指でなぞった。

 かすかな摩擦音が、静寂の中に響く。


 スクリーンを見つめる彼の目は鋭い。

 だが、ふとした瞬間、そこに一瞬の迷いがよぎったように見えた。

 

 普段の冷静さは変わらない。

 だが、指先に残るかすかな動きが、彼の内心を物語っていた。


「投資家たちは、Kが市場を操っているとは思わないでしょうね。

……そうね、投資家たちの目には、“監視システムの一部”って、そう映るかもしれない」


 そう言ったエリシアだったが、彼女自身、その未来を確信しきれているわけではなかった。


 Kはその言葉に応えるように微かに笑みを浮かべた。

 

「そうだ。影鬼は市場の動向を監視し、不正を暴く存在だ。

その機能を活かせば、新たな市場のルールを作り出せる」


 アルカナが改めてスクリーンに目を戻し、納得したように口を開いた。

 

「ゼグラントの恐怖戦略を逆手に取って、影鬼を市場の新たな支配力に変える……。

それが狙いということですね」


 Kは冷静に言葉を続けた。

 

「そうだ。ゼグラントは影鬼を恐怖の象徴に仕立て上げたが、それを秩序の象徴に変える」


 Kは少しだけ声のトーンを落とした。


「市場が本当に求めているのは、“管理された恐怖”だ。

 予測不能な脅威じゃない。“手綱のついた不安”」


 Kの声に、わずかに静けさが宿る。


「ルールなんて、作るものじゃない」


 Kはスクリーンを見つめたまま、しばし沈黙した。


「信じた瞬間、それはもう“現実”になる。

そして、その現実を作る者こそが支配者だ」


「影鬼が、その象徴になる」


 Kの声は静かに会議室に響いた。

 だが、その声音に宿ったのは、誰にも気づかれぬ一滴の“揺れ”――。

 

 それは、“信じ切れない何か”――K自身さえ気づいていないもの、だった。

 ……不意に、すべての構造の裏側に、ひとつだけ残された“ざらつき”のような違和感。


 スクリーンに映る市場の波は、まだ揺れ続けている。

 Kはそのリズムに合わせるように、静かに指先で机を叩いた。


 ゼグラントの影響が徐々に遠のいている今だからこそ……。


 音は小さいのに、部屋の全員が振り返りそうな錯覚に囚われた。

 ……何かが始まって、同時に、何かが壊れかけている。

 

 影鬼を“恐怖”ではなく、“秩序”として印象づける――その好機でもあった。

 ……だが、その均衡がいつまで保てるかは、正直なところ、わからない。


 Kはそっと目を閉じた。……恐怖を操るだけじゃ、たぶん市場は動かない。

 “影鬼が守ってくれる”――そう信じてくれるようになって、初めて、

 ようやく、市場が“ついてくる”……そんな気がする。


 Kは静かに息を整えた。

 安心――そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥にわずかな“きしみ”を覚えていた。

 それは、支配と信頼のあいだに残された、小さな違和感だった。

 その音を、聞かなかったことにしているのは……誰なんだ?


 Kの口元が、わずかに緩んだ。

 ……それで、本当に……いいのか?

 声にしかけた言葉が、喉元で止まった。問いかけは、空気の中に吸い込まれていった。

 微かに笑った。だが、それは答えを持たない笑みだった。


 魔導スクリーンの下部、速報欄がノイズを含んで一瞬だけ乱れた。


 一瞬、画面の端に誰かの顔のような影が映り――すぐにかき消えた。

 それを見た者は、誰もいない。だが空気だけが、理由なく冷えていた。


 一行だけ、意味不明な文字列が浮かび、すぐに消えた。

 ……それはまるで、市場そのものが一瞬、答えに迷ったかのようだった。

 

 不自然な揺れ。けれど、誰もそれを指摘しなかった。

 ……それが、安心の証だったのか。それとも、支配の始まりだったのか。


 その“境界”に、声だけが現れる。


 そのとき、誰にも届かぬ“声”が、スクリーンの奥で呟いた。


 「……君の“安心”、もう揺れてるよ。

 そろそろ――崩れちゃう頃かもね」


 妖精だからね。わかっちゃうのさ。




 



 【次回予告 by セリア】


「“消える”のって、案外静かなものよ。悲鳴も、抵抗もない。ただ……数字が、止まるだけ」


「淘汰の幕開け。揺れる市場に、見えない刃が走る」

次回《淘汰の幕開け》、『恐怖を価値に変える』。

“正しさ”も“安心”も、恐怖を制した者の都合で塗り替えられるのよ。


「セリアの小言? いいかしら……淘汰ってね、“間違った側”が消えることじゃないの。“仕組みに背いた者”が、消されるだけなのよ」

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