#9−7:恐怖の手綱(前編):策謀
✦✦✦ 《崩壊の縁に立つ戦略会議》 ✦✦✦
燭光が揺れる戦略会議室。
窓のない密室に、魔導式の燈台が淡く影を伸ばす。
壁一面に並ぶ魔導スクリーンは、心電図のように情報の波を刻んでいた。
Kは魔導スクリーンを、ただじっと見つめていた。
ゼグラントの市場操作は苛烈で、
Kの市場価値は急落し、投資家の信頼も揺らいでいる。
――Kの市場価値:▲50%
――影鬼評価:▲40%(不安定)
――投資家の信頼度:▲45%(減少)
市場は不安定な動きを続け、投資家たちは疑心暗鬼に陥っていた。
エリシアは腕を組み、冷ややかに言った。
「……放っておけば、“影鬼”も“K”も、一緒に消されるかもしれないわよ」
アルカナは一瞬考え込み、データを指で示した。
「ゼグラントが仕掛けてるのは、単なる資本戦略じゃない。
投資家の不安を煽る“心理戦”よ。市場価値は、それで簡単に揺れる」
Kは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
背後から差し込む燭光が、彼の顔の半分だけを照らしていた。
光と闇の狭間にあるその表情は、支配者の仮面の奥に揺れる葛藤を浮かび上がらせていた。
「恐怖は自ら進んで流通する。だから、今の価格より先に未来を見て買うんだ」
Kは言葉を止めた。喉の奥に、鉄の味が広がる。
……わかってる。いま、支配しているのは“恐怖”だ。
Kは言葉を止めた。喉の奥に、鉄の味が広がったような気がした。
一呼吸おいて、彼は言葉を選ぶように続けた。
「なら、それをこちらが奪って使う。逆転の鍵になる」
Kはテーブルに置かれた市場レポートを指で示した。
一瞬、彼の目が硬く細められる。スクリーンの数値のひとつが、まるで敵意を帯びたように見えた。
「ゼグラントの操作で、投資家たちは不安に駆られている」
Kはわずかに沈黙し、それから言った。
「だが、それは同時に、俺たちの市場価値を見直す機会でもある」
Kはテーブルに視線を落としたまま、口元だけで続ける。
「選んだと思わせることに意味がある……俺は、ずっとそう考えてきた」
一瞬の沈黙。
「……そう見えれば、影鬼は秩序の一部になれる。脅威じゃなく、“機能”として」
理屈は正しい。けれど、Kの胸の奥に残るざらつきは、消えていなかった。
それが疑念か、あるいは別の感情なのか――彼自身にも、まだ答えは出ていない。
エリシアが目を細める。
「不安定な市場だからこそ、投資家は“秩序”を求めるのね」
「影鬼が介入すれば、市場はリスクと利益のバランスを取り戻す。
それに乗るかどうかは、投資家次第……面白いわね」
アルカナは、わずかに眉をつり上げた。
「影鬼を監視に使う。数字上は筋が通ってるけど……それって、人の感情を見ない戦い方じゃない?」
アルカナは肩をすくめ、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「まあ、合理的じゃないとは言えないけど……ちょっと味気ないわね」
Kは、わずかに顎を動かすだけで頷いた。
「影鬼は、恐怖の象徴じゃなくていい。
“守りの存在”だと――そう、見せればいい。
……それが、この市場を生き残るための、最善の道なんだ」
象徴……じゃなくてもいい。そう、思ってる。
アルカナが頷く。
「今の混乱が続けば、市場は一気に下がるわ。
でも、このタイミングでKが安定を見せれば、投資家たちは“今が買い時”と判断するでしょうね」
Kは影鬼を見据え、慎重に言葉を紡ぐ。
アルカナの目が、ほんのわずかに伏せられる。
市場の数字を見ているようで、見ていない。
視線の焦点はずれ、眉間に浅い皺が刻まれていた。
「感情で動き、恐怖で揺れる。だからこそ、支配できる」
その言葉に、同席していた旧財閥派の補佐官が鼻を鳴らした。
「支配? 笑わせるな……K様。“見せかけの秩序”で何を救えるというんだ」
Kは答えなかった。
ただ、テーブルの端に置かれていた、半分食べかけのリンゴを手に取る。
そして、静かに立ち上がった。
議論の続きかと思われた瞬間、Kは食べ終えたりんごの芯を指先でくるりと転がした。
次の動作は、誰にも見えなかった。
音もなく接近し、芯をそのまま補佐官の左眼孔へと突き刺す。
相手が息を呑むより早く、Kの膝が顔面にめり込む。
芯が奥へと押し込まれ、眼球の奥で鈍く何かが潰れた音がした。
補佐官の身体がくずおれた。
Kは何事もなかったかのように席に戻る。
指先で芯に残った果汁を拭いながら、ただ一言だけ。
「……信号ノイズ、除去完了」
誰も声を上げなかった。
だが、空気が一段濃く、静まり返ったのは確かだった。
Kは魔導スクリーンのデータを指し示した。
「これがゼグラントの引き起こした混乱の余波だ。
不正が暴かれるたび、市場は恐怖に包まれる」
「人は混乱に陥ったとき、まず『何かに従いたくなる』……
それを秩序と呼ぶなら、今がその時だ」
✦✦✦《暴かれる正義》 ✦✦✦
魔導スクリーンの隅が、ふいに揺れた。警告ではない。微細な干渉の兆候。
「……始まったな」
Kが低く呟いた。
影鬼が動いた。
その姿は魔導スクリーン上の座標に突如出現し、宙を裂くように高速で移動する。
数秒後――金融区の地下一層、データ保管庫の映像に切り替わった。
黒い影が二体。魔王企業連盟の情報中枢を破壊し、膨大な裏取引の記録を抜き出していた。
「ゼグラントがここまで守りを固めていたとは……」
アルカナが驚愕を押し殺す。
スクリーンには、影鬼の一体が警報を無効化し、もう一体が職員を拘束している様子が映る。
「すべては計算のうち……だったのよね?」
エリシアが、Kをちらと見た。
Kは無言だった。
視線はスクリーンを超え、何か別のものを見ていた。
――だが次の瞬間。
「……っ、待て」
Kの声が、わずかに震えた。
画面の奥で、影鬼の一体が予定外の行動を始めていた。
取引データだけでなく、ゼグラントの資産ブロックを物理的に破壊していたのだ。
「そんな指示は……していない」
Kが立ち上がる。机に拳を突き立てた。
「影鬼、止まれ! それ以上は……!」
影鬼は止まらない。まるでKの意図を超えて暴走しているかのように。
再現データと仮想資産の壁を、光の刃で切り裂いていく。データが悲鳴を上げていた。
「やめろ……! そこは――!」
Kがスクリーンに手を伸ばすが、何も届かない。
アルカナが、かすかに息を呑む。
「……暴れてるんじゃない。消しにかかってるのよ。ゼグラントそのものを」
Kは歯を食いしばった。
「“支配”だと? 笑わせんな……こんなもん、ただの破壊衝動だろうが……!
……これは支配じゃない。狂った理屈に従ってるだけの暴力だ」
机に拳を叩きつけたその音が、会議室の空気を一変させた。
静けさが崩れる。Kの感情が、はじめて言葉の鎧を抜け出して現れた瞬間だった。
影鬼が、最後の資産階層を破壊し終える。
資産層のフレームが爆ぜ、光の粉塵が舞った。
コードの残骸が無重力のように宙を漂い、魔導スクリーンの内部はまるで崩壊寸前の神殿のようだった。
スクリーンの右上、赤いフラグが点滅する。
“ゼグラント資産、第七ブロック完全喪失”
Kは肩を上下させながら、静かに言った。
「これは“支配”じゃない。家畜にも愛が必要だろ? よく育つからな」
✦✦✦《妖精の問い》✦✦✦
沈黙が流れる。
「ねぇ、それ、“祈り”って言えるのかな?」
どこからともなく届いたその声に、Kはわずかに眉を動かす。
霧のような気配が床を這い、空気の密度が一瞬だけ歪んだ。
そこに現れたのは、中年神官服の小柄な男。影も音も持たない彼は、現実と夢の境界を歩くように浮かび上がった。
「僕、妖精だよ?」
パタパタと手を羽ばたかせるジェスチャー。
中年神官服の小柄な男が、空気を切るように現れる――Kにしか見えない存在。
「見てるとさ、“秩序”っていうより“私怨”に近くない?」
妖精神官は机の端に腰をかけ、Kの目を覗き込むように言った。
「信じた力って、時々“自分を納得させる呪い”になっちゃうんだよね。……気づいてる?」
Kは眉をひそめた。あの声が、今はやけに“的を射て”聞こえるのが気に入らなかった。
そのまま聞こえていなかったかのように、何も返さなかった。ただ、拳を握ったまま沈黙する。
妖精神官は肩をすくめて笑った。
「ま、いいけどさ。僕、妖精だからね?」
パタパタと手のひらを振りながら、霧のように姿を消した。
「妖精だからね。わかっちゃうのさ」
時間が、空白を吸い込んだ。
エリシアが眉をひそめる。
「“あんたたちの不安は、こっちで飼ってます”って顔して――それで安心してくれるの、変なのよね」
Kは静かにうなずいた。
「……影鬼が動き始めた」
魔導スクリーン――市中の取引異常を映す専用装置――に赤い警告が点滅した。
空気が変わる。
Kは画面から目を離さず、低く呟いた。
「……異常な取引だ」
間を置いて、アルカナが息を呑む。
短い沈黙が、室内の空気を変える。
情報が流れれば、投資家はKの市場を「安全圏」と見なす。
……それだけのことだ。だが、それで充分だった。
「影鬼が不正を暴く役割を果たすことで、彼らはリスクを避けるために、俺の支配を受け入れるだろう」
不正を暴くのは影鬼だ。……それが見えれば、リスクを避けたい連中は、俺の側に寄ってくる、はずだ。
魔導スクリーンに瞬く赤い光。
Kには、それが投資家たちの“絶叫”に見えた。
エリシアは少し考えるそぶりを見せながら、言った。
「魔王市場があって、Kの市場もあるなら……両方に分散する投資家、多いでしょうね」
Kは冷静に微笑んだ。
「そうだ。投資家たちは、それも織り込み済みだ」
「市場が揺れ続けるからこそ、人は“秩序”にすがりたくなる。
だからこそ、俺たちがそれを“示す”必要がある」
Kの背後の空気が一瞬だけきしむ。影鬼の気配が、指先にかすかにまとわりつく。
だがKは手を下ろし、口を閉じたまま席に戻った。
「……それでも、俺は支配する。この手で」
魔導スクリーンの隅――誰にも気づかれぬほど微かに、赤い点滅が再び灯った。
【次回予告 by 妖精神官】
「僕、妖精だよ?
君らの“信じる”って、案外よく壊れるんだよね。
“あなたを信じてたのに”って……人間、よく言うよね?
Kくん、気づいてるでしょ。ほんとはさ」
「恐怖の手綱。その手が緩む時、市場はどこへ行くのかな?」
次回《恐怖の手綱(後編)》、『処刑』。
“守る”ための秩序が、“裁く”ための罠に変わる――そういう仕組み、好き?
「予告の締め? ふふ……じゃあ、これにしようか。
『安心』って、誰かに見せるものでしょ? ……だからそれ、“信じてる”じゃなくて、“騙してる”かもしれないよ」
「妖精だからね。わかっちゃうのさ」




