#9−6:刃を握る者
✦✦✦ 《影の反逆者、最後の対決へ》 ✦✦✦
魔王取引所・市場モニタリングセンター
スクリーンの光が、壁一面に脈打っていた。
魔導モニタリングセンターは、まるで光そのもので埋め尽くされていた。
数字が、生きているように明滅する。冷えきった機械音が、肌の下を這うように響いてくる。
まるで、戦場前夜の静寂――。
ゼグラントは静かに立ち、スクリーンを見つめた。
端正な顔に深い影が落ちる。
彼の背後には、市場の運営を支える精鋭の側近たちが控えていた。
彼らは、ゼグラントの指示ひとつで市場を揺るがせることができる存在だ。
ゼグラントは側近たちを見渡し、ゆっくりと口を開いた。
「始めろ」
静かな命令が響いた瞬間、空気が凍るように冷えた。
側近たちの魔力が静かに脈動し、スクリーンの情報が乱れるようにざわめいた。
【魔王市場速報】
――Kの時価総額:突如として急落(▲40%)
――影鬼評価:不安定(▲35%)
――投資家の信頼度:急降下(▲50%)
取引所の広場では、魔王たちが魔導端末を手にし、動揺の声を上げていた。
「おい、Kの価格が暴落してるぞ!」
「影鬼がヤバいって噂、やっぱ本当だったのか?」
「……ゼグラントが仕掛けたか?」
まるで、目に見えない毒がゆっくりと空気に溶けていくようだった。
ゼグラントはスクリーンに浮かぶ数値を、
まるで狩りの獲物を撫でるように指でなぞった。
「この市場には、血も剣もいらない。ただ、不安と噂があれば、誰でも崩れる――そうは思わないか?」
スクリーンに映るKの名が、消えかけの光のように揺れる。
ゼグラントは息を吐き、側近たちに命じた。
「Kの名が、記録にも記憶にも残らぬように。
市場から、“存在ごと”消し去れ」
✦✦✦ 《市場への攻防戦》 ✦✦✦
側近たちは即座に行動を開始した。
「影鬼に関する“制御不能のリスク”の情報を、
各メディアや主要な取引所に流します」
「Kの影鬼が市場の秩序を乱し、暴走の兆候を見せているという印象を、投資家に植え付けるのです」
ゼグラントは頷き、薄く笑った。
「市場なんてものは、事実より噂に踊るものだ。
愚かな連中ほど、変化に震える」
【魔王市場速報】
――「影鬼が市場の秩序を乱す危険な存在である可能性」
――「Kの影鬼部隊が制御不能になり、裏取引で暴走している疑惑」
――「投資家たちは影鬼の不安定性に注意せよ」
この情報が市場に広まるにつれ、Kへの投資が減少し始める。
市場は、ゼグラントの意図通りに動き始めた。
蝋燭の灯りだけが、わずかに揺れていた。
戦略会議室は、まるで時が止まったように静かだった。
空気は重く、焦げた蝋の匂いが微かに漂っている。
K、エリシア、アルカナ、セリア、影鬼たちが集まり、市場モニターを睨んでいた。
モニターにはKの価値が急落するデータが無情に並んでいた。
エリシアは腕を組み、低く息を吐いた。
「……ゼグラントが動いたわね」
アルカナは画面を睨みながら呟く。
投資家は、すでにパニックの“手前”だった。
数字が踊るたびに、胸の奥が冷たく切り裂かれていくようだった。
Kは無言でスクリーンを見つめた。
静寂だけが支配する中で、数字の動きだけが騒々しく、やけに浮いて見えた。
それが全部、“恐怖”という名の棘だったんだ。市場のどこにでも刺さっている、抜けもしない、棘。
の市場を突き動かすのは、誰かの夢じゃない。
誰もが触れたくない、見えない棘のような恐怖なんだ。
誰も扱えないなら、俺がそのまま背負うしかないんだよな。ずっと――そうしてきたみたいに。
恐怖は、握った者を傷つけるし、言った者を縛る。
……昔、誰かがそう言った。
それでも、離さない。傷つこうが、血が出ようが――俺は、手を放さない。
一瞬、Kは目を閉じた。
……あの声が、また響いた。ずっと黙ってたくせに、こんなときだけ。
……お前は、恐怖を撒く側だった。ずっと、そうだった。俺は。
目を開いたKの視線は、鋭く研ぎ澄まされていた。
「……制御不能? なら、俺は何もしていない。
……そう思わせるだけで、十分か」
そうだ――何も、していない。……それだけで、十分、だな。ああ、そうかもしれないな。
エリシアが興味深そうに眉を上げる。
「何が?」
「影鬼が勝手に動いているなら、俺に責任はない。
脅威は、Kではなく――市場そのもの、ということになる」
Kは口元に微かな笑みを浮かべた。
「俺は何もしていない。ただ、それだけで、十分だったんだろ?」
ただな……それが、全部だったって、こと。でも、どうなんだ? 通用するのか?
そのときだった。
一体の影鬼が、取引所の監視塔に向けてゆっくりと歩き出した。
制止も命令もないままに。だが、暴走ではなかった。
動きは正確で、端末の接続網を一つずつ整えていく。
それを見ていたひとりの投資家が、思わず口にした。
「……これは、暴走じゃない。統治だ」
周囲が静まり返る。
そして、誰かが通信を始めた。「影鬼のアルゴリズム、自己最適化してるぞ」「ログが……市場全体を監視してる」
騒ぎが、震えのように広がっていく。
【魔王市場速報】
――Kの発表:「影鬼の真価は、市場の進化そのものだ」
――「影鬼は市場の管理者として機能し始める」
――「Kの支配領域が拡大。影鬼の価値が再評価」
市場の流れが変わり始めた。
エリシアが微笑む。
「なるほど……ゼグラントは市場の動揺を狙った。
でも、それを市場改革のきっかけにするつもりね」
「俺はもう……ただの“恐怖の使い手”じゃない」
「その刃を――“変えるべき制度”のために、握る者だ」
Kはゆっくりと拳を握りしめた。
「恐怖は、刃だ」
「……それでも握って、前に進める者だけが――市場を制す」
Kは影鬼たちに目を向けた。
「お前たちが、新しい市場の“ルール”だ。
ゼグラントに、それは作れない」
影鬼たちが低くうなり、その音はまるで、“意志”そのものが震えているかのようだった。
闇のように、静かに、だが確かに――市場を包み込んでいく。
影鬼たちは市場の変動を静かに見守りながら、次の一手を待っていた。
ゼグラント、お前の安定は幻想だ。市場が求めるのは、変化だ。
✦✦✦《反転する支配》 ✦✦✦
市場では、新たな動きが始まっていた。
「影鬼が制御不能なら、ゼグラントはなぜ止めようとしない?」
「Kが仕組んだ? いや、それならゼグラントがもっと動くはず……何かがおかしい」
「ゼグラントの支配が長すぎたせいで、逆に市場が不安定になっている?」
市場の不安が、ゼグラントの支配そのものに向けられ始めた。
【魔王市場速報】
――「ゼグラント市場、投資家の信頼指数が低下」
――「影鬼の暴走は、ゼグラントの市場操作による誘導か?」
――「市場の不安定要因はゼグラント自身の支配では?」
ゼグラントの仕掛けが、皮肉にも自分の足元を崩し始めていた。
「影鬼は市場の破壊者ではない。むしろ、市場を腐敗から解放する存在では?」
その囁きが届いた時、ゼグラントの指が一瞬、止まった。
投資家たちの意識が変わり始める。
Kは静かに市場の変動を見つめていた。
「強さだけでは市場は動かせない」
「市場の恐怖をどう利用するか、それが全てだ」
影鬼が市場の監視者として機能し始め、ルールが書き換えられようとしていた。
「恐怖だけで縛る時代なんて、もう終わってる。そうだろ?」
俺が変える。市場も、秩序も――そして、運命さえも。
「“支配される側”で終わる気はない。
刻まれるなら――恐怖ではなく、俺の意志だ」
Kは、静かに息を吐き出した。
「……これは命令じゃない。意思だ」
その一言は、確かに“支配の裏返し”だった。
だがその頃、ゼグラントはすでに別の計画を動かしていた。
【機密通信ログ:認証済み】
「次の“市場規律改正案”――通せ。Kの提案を逆手に取る」
「秩序を盾にして、再び“恐怖”で縛りなおす」
――新たな支配の火種が、静かに灯されていた。
【次回予告 by セリア】
「“安心”って、都合のいい嘘よ。誰もが望むのに、誰も見極められない」
「恐怖の手綱、それを握るのは誰かしら?」
次回《恐怖の手綱》、『秩序か、欺瞞か』。
市場は揺れる。その震えを“守り”と呼ぶか、“支配”と見るかは――見る者次第ね。
「セリアの小言? そうね……恐怖に“理屈”を与えたがる者ほど、自分が怯えているのよ」




