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#9−5:秩序の新たな刻印



✦✦✦ 《魔王取引所・特別会議室》 ✦✦✦


 魔王市場が、静かに揺れ始めていた――。

 その引き金を引く会合が、いま、始まろうとしている。


 円卓の中央には、Kが静かに座っている。


 椅子の背もたれは漆黒の金属でできており、Kの背中と一体化するかのようだった。

 足元には淡く紫の魔力陣が揺らめき、彼の存在を静かに照らしていた。


 彼を囲むのは、魔界屈指の投資家たち。


 魔王市場の背後には、彼らの影がある。

 資本の流れひとつで、魔王たちの命運さえ変えてきた。


 いまKが狙うのは、革新派からの出資。

 その一点を突破口に、中立派の興味を引き、体制派に揺さぶりをかける。


 セリアの声が、思考の底で微かに反響する。

 ――まずは一箇所、風穴を開けろ。流れはそこから始まる。

 

 だが、その“影”の正体は、冷酷な計算と、問答無用の資本支配だ。

 Kにとって、それが越えるべき最初の壁だった。


 そして今――すべての視線が、Kひとりに注がれていた。


 この空間に、姿はなくとも“王”の影があった。

 ゼグラント――彼の名前を誰も口にせずとも、その視線だけは全員が感じていた。


「影の魔王 K」


 市場の支配者ゼグラントに挑む、新たな存在。


 誰も名前は出さない。だが、全員が思っていた。

 あの“王”が、この場を見ていないはずがないと。


 この場で、Kが「市場にとって必要な存在かどうか」を試される。


 会議室の空気は、冷え切っていた。


 魔王市場の重鎮グラヴァンド・バルティウスが、Kに鋭い視線を向ける。

 彼の瞳は冷たく光り、新興勢力への懐疑と、未知の力へのわずかな期待が入り混じっていた。


「さて……K」


 その低い声が響いた瞬間、会議室の空気がわずかに軋んだ。

 その声には重みがあり、その場の全員に無言の圧力を与えた。


「K、君のような者が、なぜ“この円卓”に座っているのか……説明してもらおうか」


 投資家たちの視線が、一斉にKに突き刺さる。

 冷たいまなざし。それでも、どこかで“答え”を待っているようだった。


 Kはまっすぐに視線を返した。指先が震えた。重圧が遅れて追いついてきた。


「価値は変えるものじゃない。『気づかせる』ものだ――新たにな」


 彼の声は静かだが、確固たる意志が込められていた。


 バルティウスは冷笑を浮かべた。


「市場を変えるだと? ……笑わせるな、たかが新参の分際で」


 だが、その隣に座るイゼル・マルクスは顎に手を当て、考え込んでいた。

 

「……ほう、興味深い。思った以上に面白いな」


 疑いと関心、その両方が一つの言葉に反応していた。

 空気が、わずかに揺れる。



✦✦✦《影鬼戦略の提示》 ✦✦✦


 Kが指先をひとつ鳴らす。


 部屋の明かりがまるで引き裂かれるように明滅し、壁の影から黒煙のようなものが溶け出した。

 それは形を持たぬまま空気を塗り替え、瞬く間に会議室全体を“裏返す”。


 闇が、音もなく満ちていく。――影鬼の到来だった。

 息を潜めるように、影鬼たちはKの周囲を滑る。


「……黙って見てるだけじゃない。影鬼は、ただの兵じゃない」


 Kは、影鬼たちの沈黙の気配を背に受けながら言葉を繋いだ。

 

 Kは一拍置き、ゆっくり言葉を継いだ。

 

「奴らは、光の届かない場所で、“目”になる存在だ」

 

 Kは影鬼を指差し、少し間を置いて全員を見渡した。

 

「奴らは、光の届かない場所に目を持ってる。不正は、見逃さない」


「こいつらは、情報を集める。裏取引も見抜く。

その上で、不正を市場全体に晒す力がある」


 投資家たちの間に、一瞬のざわめきが広がる。


「証拠は?」

 

 バルティウスが腕を組み、疑問を投げかける。


「くだらん。影に監視される市場など、息苦しくなるだけだ。

 そんなやり方が“自由な取引”を守れると思うのか?」

「影鬼など、いずれ市場を喰らい尽くすだけの“災厄”だ」

 

 苛立った様子で立ち上がったのは、老齢の投資家ドラン・マガンだった。


「貴様の“秩序”とやらは、恐怖を鎖に変えただけ。そんなもの、市場の本質とはかけ離れている」


「……でもまあ、いいじゃないか」

 

 誰かがぼそっと呟いた。若い男、ル=ジェルという投資家だ。

 

「影鬼に覗かれて困るような取引してるなら、それこそ見直すべきだろう?」

 

 場の空気が固まる中、彼だけは気軽に肩をすくめてみせた。

 

「それに……市場が喰われる前に、俺たちが影鬼に慣れればいいだけさ」


 他の投資家たちが驚きに息を呑む中、Kは静かにその怒りを受け止めた。


「……貴様の“正義”がどれほどのものか、この目で確かめさせてもらおう」


 Kは微笑むと、指を鳴らした。

 次の瞬間、影鬼が闇に溶け込み、テーブルの上の契約書が微かに揺れた。


「……なんだ?」


 投資家の一人が驚きの声を上げる。


「今、何をした?」


 Kは契約書を取り上げた。

 その瞬間、黒い影が契約書に触れた瞬間、文字の並びがわずかに揺らぐ。

 あたかも、それが“正しい状態”ではなかったと告げるように。

 

「この書類に、影鬼が“改ざんされたデータ”を埋め込んだ。

今も中身が変わっているが、俺が命じればすぐに元に戻る」


 Kが指を鳴らすと、影鬼のひとりが静かに契約書の上に影を落とした。

 

 その影は、黒い液体のようにゆっくりと書類に滲み、紙面の文字がまるで“溺れる”かのように歪み始める。

 そして次の瞬間、書類が“溶ける”ように崩れ――空間の一部が幻影として再構成される。

 映し出されたのは、数日前の密談の場面。

 イスタン・フォルディオと反体制派の魔王が、確かにそこにいた。

 声はないが、やり取りは明白。――裏取引の瞬間が、幻のように浮かび上がる。

 周囲の空気が凍りついたように静まり返った。


 会議室が一瞬、凍りつく。


「……馬鹿な。そんな文書、存在するはずが――」


 イスタンが声を荒げた。だが、その手は明らかに震えていた。


 イスタンは震える手で書類を睨んだが、その目に怒りではなく、諦めが浮かんでいた。

 彼は知っていた。――いつかは、こうなることを。


 バルティウスは冷ややかな視線で彼を一瞥した。

 

「黙れ。影鬼が見逃さないと言ったはずだ」


 他の投資家たちも、一斉に視線を交わし始める。

 沈黙の中に、“誰が次に晒されるのか”という戦慄が走っていた。


 投資家たちは、目を見開く。


「影だから知っている。見たものは、忘れない。誰にも、気づかせない」


「そして……影は黙ってる。でも、見逃さない」


 一拍。

 

「誰が何を隠し、誰を信じているのか。影鬼は、それを見届ける」


 会議室が静まり返る。


 市場の仕組みを理解し、新たな価値を創り出す者の言葉。

 投資家たちは、ただの新参者の言葉を聞いていたのではなかった。


 投資家の一人が慎重に尋ねた。


「君は、ゼグラントの支配に抗うつもりか?」


 Kは静かに肯定する。


「ああ、ゼグラントはたしかに、市場を支配してる」

「だが、市場というものは本来、競争があってこそ成長するものだ」


 投資家たちの間で囁きが交わされる。

 Kは静かに続けた。


「いまの魔王市場には、“競争する余地”がない。

強者の牙が抜かれ、弱者は踏み潰されるだけだ。

それじゃあ、新しい資本も、可能性も芽吹かない」


「競争があれば、新たな需要が生まれ、投資家たちはより多くの利益を得られる」


 Kの提案は、「成長する市場」を作ることだった。



✦✦✦ 《革新派の決断》 ✦✦✦


 その時、投資家の中の一人が立ち上がった。


 彼はイゼル・マルクス。

 市場の新興勢力を率いる革新派のリーダー。


「面白い話だ」


 彼は薄く微笑むと、Kを見据える。


「ゼグラントの市場は、静かだな。……まるで、死体が眠っているみたいだ」


「投資家にとって重要なのは、停滞ではなく新たな価値だ」


 イゼルは懐から黒曜石の契約書を取り出し、テーブルに置いた。


 イゼルは契約書を手にする直前、一瞬だけ手を止めた。

 その目に浮かんだのは、懐疑ではなく――迷いだった。


「俺は、Kの成長に賭ける」


「もし君がゼグラントに対抗できるだけの市場価値を持つようになったなら、

さらに追加投資を行おう」


「契約ではなく、実験だ。君がどこまで行けるか見せてくれ」


 Kは契約書を手に取り、目を通す。


 その様子を、バルティウスはただ黙って見ていた。

 だが、その瞳には、明らかに“警戒”と“興味”が混ざっていた。


 ――影鬼の使役に加えて、情報戦。

 こいつはただの操り人形ではない。下手をすれば、ゼグラントすら喰いかねん。


 バルティウスは、ゆっくりと目を細めた。


 Kという存在が、本当に市場を変えるなら―― 。

 いずれ、始末せねばならない。


 これは、魔王市場の「新たな流れ」を作るための第一歩だった。



✦✦✦《新たな秩序の刻印》 ✦✦✦


 Kは黒曜石のペンを握りしめた。


 そのペンは魔力の痕跡を帯びて鈍く光り、握るたびに淡い紋様が彼の掌を焼いた。

 ペン先から溢れる黒いインクは、まるで“血”のように、意志そのものを刻んでいくようだった。

 

 その冷たさが、手のひらの奥に針のように残った。


 Kはペンを握る手に力を込めた。恐怖に呑まれていた時代は終わる。

 信じて託せる明日を、自らの手で掴むために。

 

 ――影鬼の力、秩序の再構築、この一筆に未来がかかっている。

 けれども、今の自分にはそれを選び取るだけの理由がある。


 ペン先が走る。

 だが、走るたびに――心の奥で、何かがわずかに揺らいだ。

 影鬼たちは、今は黙って従っている。

 使うたびに、影鬼にはわずかだが“色”が宿り始めていた。

 感情ではない。だが、何かを“見て”いるような気配があった。

 それは意志とは違う。だが、曖昧な輪郭が確かにそこに生まれていた。


 だからと言って、足を止める気はない。進むだけだ。


 ペンが止まり、静寂が、ぴんと張り詰める。

 

 空気の密度が、ほんのわずかに変わった。


「これが、影鬼だけの戦いじゃない証だ。

影鬼に託してた意思……これからは、それを、俺の名前で通す」


 投資家たちの間に、新たな波が生まれる。


 言い切った直後、Kは一瞬だけ目を伏せた。

 本当に、これでよかったのか?

 影鬼に頼る秩序は、やがて別の支配へと転じるのではないか――。

 だが迷っている暇はなかった。信じて進むしかない。



✦✦✦ 《神殿跡の布教》 ✦✦✦


 一方その頃――魔界の神殿跡地。


 崩れた石柱の間、カゲコは仮初めの肉体で祭壇の上に立っていた。


 砕けた聖石の柱には、古の神々の名が風化して刻まれていた。

 頭上には崩れかけたドーム、その隙間から月光が降り注ぎ、カゲコの背後に長く影を引いた。

 

 月光が降り注ぎ、影が聖域を彩る。


「K様の血が、秩序を創ります。信じなさい、影の王を――これは神性の帰還」


「混沌は罪ではない。恐怖は罰でもない。ただ秩序が――“意志”によって定義されるならば」


 カゲコの声は、祈りでもあり、宣告でもあった。


 その声は決して大きくない。けれど、神殿に集う信者たちは、一様に静かに頭を垂れた。


 彼らは知っている。

 あの混乱と絶望の市場の中で、ひとつの“意志”だけが、ただ真っ直ぐに貫かれていたことを。


 影の教義は、新たな局面を迎えていた。

 “恐怖”ではなく“秩序”を掲げた新たな福音。

 かつて迷っていた者たちが、今では市場警備団に志願しているという報せも届いていた。


 その光景を見下ろすカゲコの目に、奇妙な喜びと戦慄が交錯していた。


 そしてカゲコは鷹揚に両手を空に掲げると、信者に促す。


「影の王の導きのままに!」


 ひとりの信者が、嬉しそうに顔を上げた。

 

「……明日が来る。K様の秩序が、それを証明してくれる」


 カゲコの後に続き、声と狂気を捧げるものたち。

 その目には、もはや苛烈なほどの信仰心で目から魔力を放つほど力が込められていた。


「……K様。これが、あなたの“言葉”が生む秩序です」


 その声は、夜の空気に消え――だが、信者たちの胸に深く、刻まれていた。


 そしてKは、ゼグラントに対抗する「革新派の旗手」として認識され始めた。


 魔王市場の覇権争いは、ここから本格化する――。

 

 Kは知らなかった。


 あの会議の裏で、もう一つの戦場が――静かに始まっていたことを。


 その情報が届くのは、ほんの数日後になる。


 いまのKにできるのは、ただ前を向くことだけだった。


「……間に合ってくれよ」


 その言葉は、自分に向けたものだった。


 一方、ゼグラントは静かに指を鳴らした。


 何も語らず、ただ一枚の“契約書の裏面”を裏返す。


 そこには、ひとつの印が浮かんでいた。


 まだ誰も、その意味を知らない。


 ……だが、それが開戦の合図だった。


 ゼグラントは契約書の裏面に浮かんだ印をじっと見つめた。


 長い沈黙のあと――彼はわずかに口角を上げた。


 そのまま、部屋を出る。


 何も言わずに。


 ただ、扉が静かに閉まる音だけが残った。


「……これは命令じゃない。意思だ」

 Kのつぶやきが、遠く神殿まで響くようだった。


 そしてその夜。

 影鬼のひとりが、“ある場所”の情報を持ち帰った。

 Kの耳に、それが届くのは、もう少し先のことになる――。







 

 【次回予告 by セリア】


「恐怖という刃は、握った者の覚悟を問う。

握りしめるたびに、己の“正義”を失っていくのよ……それでも握る?」


「揺らぐ支配、疑われる秩序。市場が『変化』そのものを選ぶとき」

次回《刃を握る者》、『支配の正体は誰の手に?』。

恐怖と改革の境界線が、静かに――切り裂かれるわ。


「セリアの小言? そうね……市場は生きている。

そして私は、それが壊れる音を、何度も聞いてきた。

……K、お願いだから、“それ”に飲まれないで」

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