#9−4:影が裁く
✦✦✦《市場再構築の意志》 ✦✦✦
Kの影に揺らめく影鬼たち。それはまるで、“もう一つの意志”だった。
こいつらは、俺の命令を聞くのか? それとも……。
Kは無意識に拳を握る。
「ゼグラントが市場を操るなら……俺は、市場そのものを変える」
「面白いわね。つまり、影鬼が“管理者”となれば……」
エリシアは冗談めかして肩をすくめた。
「……まあ、私は書類仕事だけは勘弁してほしいけど?」
「あなたの決断、見届けさせてもらうわ」
アルカナは慎重に問いかける。
「具体的には?」
Kはスクリーンを指差しながら答えた。
「恐怖じゃない。まず秩序だ。その先に、信頼をつなげる」
……秩序で信頼なんて、本当に得られるのか?
……いや、そう思いたいだけかもしれない。でも――やるしか、ない。
アルカナは驚き、しかしすぐに考え込む。
「市場の管理者かしら? それで本当に、ゼグラントに対抗できるの?」
Kは静かに頷いたが、アルカナの目にはわずかなためらいが宿っていた。
……あの人は、本当に信じているのか。
それとも、信じさせているだけなのか。アルカナの胸に、わずかな不安が宿る。
アルカナは視線をそらすように、ほんの一瞬だけスクリーンから目を逸らした。
その瞳には、確信とも疑念ともつかぬ揺らぎが、かすかに浮かんでいた。
「ゼグラントの市場は恐怖で支配されてる。
だが、恐怖は一度崩れたら戻らない。
信じ込ませる秩序を見せて、縛る。それが俺のやり方だ」
影鬼の力は……制圧じゃない。秩序のために使うべきだ。
Kは短く息を吐いた。
まず見せるべきなのは、支配ではなく秩序。
混沌を飼いならす線引きとして――それが、今できる最初の一手だった。
エリシアが魔導スクリーンをじっと見つめながら、静かに呟いた。
「ゼグラントが市場操作を始めたわ。影鬼が“制御不能”だと噂されている」
アルカナはスクリーンを見つめ、静かに口を開く。
「K、市場の評価が変動し始めています。
影鬼が“制御不能”と見なされれば、投資家たちは離れていくでしょう」
彼女の声には焦燥の色はなく、むしろ淡々とした冷静さがあった。
データを指し示しながら、彼女は続ける。
アルカナはスクリーンを指し示した。
「ゼグラントは、影鬼を“厄介者”に仕立ててる。
投資家がそれを信じたら……市場はゼグラント側に傾くわ」
エリシアが微笑む。
「ふふ、“影鬼が怖くない”って市場に思わせればいいんでしょう?」
「そうです」アルカナは頷いた。
「K、ゼグラントが情報操作を仕掛けた以上、それに対抗する手段を用意する必要があります」
Kはゆっくりとスクリーンから視線を外し、静かに言った。
「ならば……この市場の“常識”は、俺が書き換える」
魔導スクリーンの光が、薄暗い部屋の空気に冷たく滲む。
フレームには数字の乱高下、奔流のような情報波が絶え間なく流れている。
だがその中心に立つKの影だけが、何も揺らがなかった。
Kは黙ってスクリーンを見つめていた。
「数字なんて、あとからついてくる。
市場が俺に従うように仕向ける。それが秩序だ。
……そして、信頼はその秩序に縛りつける鎖になる」
数字がどう動こうが関係ない。
……信じたくなる瞬間さえ見せれば、人は動く。俺はそこに賭ける。
ゆっくりと椅子から立ち上がると、影鬼たちが静かにKの周囲に集まった。
「ゼグラントが“影鬼は制御不能”なんて噂を流すなら……」
「その逆を証明してやるだけだ」
Kは影鬼たちを見渡しながら、静かに宣言した。
✦✦✦《監視者としての影鬼》 ✦✦✦
Kは不意に立ち止まった。影鬼たちの視線が、彼を見ているような気がした。
……本当に、俺の命令に従ってるのか?
だが、立ち止まっている時間はなかった。
Kは静かに息を吐いた。
「影鬼を――市場の監査役にする。
あらゆる取引を見張って、不正があれば、即座に暴け」
影鬼に市場全体を見渡させれば、無駄は減る……多分な。
不正があれば――迷わず、牙を剥ければいい。
エリシアが興味深そうに目を細める。
「つまり、影鬼が市場全体の“秩序を見張る影の守護者”の役割を担うってこと?」
アルカナは慎重に補足する。
「不正を検知して、すぐに市場に公表する仕組み……。
それで影鬼を“市場を守る存在”と認識させるのね?」
Kは頷いた。
「そうだ。ゼグラントは影鬼を“脅威”に仕立てようとしている。
なら、逆に……影鬼を“市場の裁定者”として見せつける。
不正を暴き、秩序を守る存在として」
……だが、秩序とは“形”で示さなければ意味がない。
Kは視線を横にずらした。
一人の報告官が小声で何かを耳打ちした後、怯えたように後ずさる。
「不正な取引データの改ざんを試みた者が、この部屋にいるらしい」
Kは書類棚から一枚の用紙を抜き取り、確認した。
そして、静かに歩き出す。
「黒と……赤しか、インクの色は用意できない」
部屋の空気が凍った。
Kは手のひらサイズの小さなインク差しを、テーブルから拾い上げる。
何も言わず、犯人の目前に立つ。
――瞬間、インク差しが口内に押し込まれ、顎を膝蹴りで数度叩き上げる。
倒れた男の目に、Kの影が映った。
Kはペンを取り上げ、眼孔に差し入れる。
軽く押すだけで、脳幹に届く確かな感触があった。
ペン先にこびりついた赤を見て、Kは静かに口元を緩めた。
「赤は、用意できたな」
書類にペンを走らせながら、Kは呟いた。
「今日は……生ゴミが多いな」
影鬼が音もなく遺体を回収し、影へと引きずっていく。
その光景に誰も声を上げなかった。
――秩序とは、支配ではなく“証明”だ。
暫しの沈黙。
エリシアは愉快そうに笑う。
「面白いわね。つまり、影鬼が“管理者”となれば、
ゼグラントが仕掛けた嘘を自ら暴くことになる……そういうことでしょう?」
「そういうことだ」
Kは静かに命じた。
「影鬼たち、市場を見張れ」
Kは目を細め、わずかに唇を噛んだ。
「……秩序を乱す者は――容赦するな」
「お前たちが、“ルール”だ」
影鬼たちの瞳が、Kを一瞬だけ見つめ――そのまま無言で動き出す。
その影は床を滑るように広がり、まるで地を這う黒い煙のように分岐していく。
柱の影、天井の隙間、市場中枢へと滲み出るそれらは、静寂の中に確かな“監視の目”を植えつけていく。
影鬼たちの動きに、Kは静かに頷いた。
……従っている? それとも――もう、俺の迷いすら見抜かれてるのか。
それでも構わなかった。
今のKには、選べる道が他になかった。
✦✦✦ 《秩序の逆転劇》 ✦✦✦
数時間後、魔王市場に衝撃が走った。
《魔王市場速報:緊急報告》
「ゼグラント陣営による市場操作が発覚!」
影鬼の監視によって、ゼグラント派のブローカーたちが、
影鬼の評価を意図的に下げる偽情報を流していた証拠が公開された。
スクリーンには、彼らが裏で取引を操る様子を記録した魔導データが映し出される。
それは数時間前、影鬼たちが市場に潜ませた監視式の“眼”が記録したものだった。
手は打ってあった。静かに、確実に、誰にも気づかれぬまま。
スクリーンには、裏で取引を操るゼグラント派の姿が記録されていた。
影鬼の信頼を意図的に下げる――そんなやり口の、決定的な証拠だ。
市場は騒然となる。
「な……何だこれは!?」
「ゼグラントが市場を操作していたのか!?」
「……影鬼が、本当にこの市場を“守っていた”ってことか……?」
市場の空気が一変する。
「影鬼って……本当に“守ってくれてる”のか?」
「ただの恐怖じゃなくて……秩序そのもの、だったのかも……」
「支配で守られた安定より、“見える秩序”の方が安心できる……Kのほうが信用できる気がする」
投資家たちの声が徐々に大きくなり、魔王市場全体に歓声が湧き上がる。
市場データは急激に変動し、影鬼関連銘柄の取引量が爆発的に増加。
Kの勝利を祝うように、取引所の光るスクリーンが新たな記録を映し出した。
投資家たちの視線が、一斉にKへと向けられる。
その視線を、Kは真正面から受け止めていた。
数えきれない視線が、光の粒のようにKに降り注ぐ。
祝福とも、畏れともつかない眼差しのなかで、Kだけが孤立した一点の影として立っていた。
その背後で、影鬼たちは音もなく佇んでいる。
……これが、“信じられる秩序”ってやつか。
✦✦✦ 《支配の宣言》 ✦✦✦
Kは静かに微笑みながら、スクリーンを見上げた。
「市場の秩序を決めるのは、もうゼグラントじゃない」
「俺が変える。市場も、召喚制度も……この歪んだ世界の“仕組み”ごと、すべてを」
エリシアは満足げに微笑み、ゆっくりとKに歩み寄る。
「ようやく、あなたらしくなってきたわね」
アルカナは冷静にデータを見つめながら、鋭く言った。
「影鬼を“管理者”にすることで、今は市場を掌握できた。でも、次に何をするかが問題よ」
Kは静かにスクリーンを指差した。答えは、数字が語っていた。
『魔王市場・最終ランキング』
1位 K(影響力指数:98.6%)⬆︎+14.2%
2位 ゼグラント(影響力指数:61.3%)⬇︎-22.8%
「市場は、いまや完全にKに傾いた」
市場は、まるで頭を垂れるようにKの足元に沈黙した。
恐怖ではなく、秩序に身を預けたのだ。
ゼグラントは静かにワイングラスを傾ける。
その指先は微かに震えていたが、口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「……K。ここまでやるとはな……」
彼の指先は微かに震えながらも、その瞳にはまだ余裕があった。
面白い……だが、まだだ。こんなものでは終わらんぞ、K。
しかし、スクリーンに映る市場支配力の急速な低下が、その余裕を確実に削ぎ落としていく。
側近たちはゼグラントの怒りを察し、次第に目を逸らし始める。
部屋全体に広がる緊張感が、重くのしかかっていた。
こんなはずはない。俺が築き上げた市場が、たかが一人の召喚者によって……!
心臓が冷たく締め付けられるような感覚が彼を襲った。
ゼグラントは一瞬、視界が揺らぐのを感じた。
K……貴様がここまでの存在になるとは、見誤ったか……。
Kは振り向かずに、ただ静かに言い放った。
「恐怖で世界は動くか? どうでもいい。俺が、“信じたいと思わせる秩序”を築く。
秩序は、正しさじゃない。人を動かす“仕組み”だ。そしてその設計者は――俺になる」
信じることの意味を、お前もかつて知っていたはず……そうだろう?
こちらが選択肢を示せば、な。
「お前のやり方は、ここで終わる」
Kは、スクリーンに映る数字を見下ろすように目を細めた。
「恐怖は秩序になれない。信じたいと願う意思だけが……未来を動かす」
――それが、Kが賭けた“秩序”だった。
――だが、ゼグラントの微かな笑みは、まだ消えていなかった。
まるで、次の一手がすでに決まっているかのように――。
魔王市場の覇権は、完全にKの手に落ちた。
だがその瞬間、影鬼の瞳は……別の何かを、じっと見据えていた。
それは、Kの背ではなく――まだ語られぬ脅威の気配だった。
【次回予告 by セリア】
「“信じたい秩序”が、市場にとって最も扱いづらい取引よ。だからこそ、価値があるのだけれど」
「影の王が座した円卓、その契約が呼ぶ波紋」
次回《秩序の新たな刻印》、『信頼は市場を動かすか』。
力の座から、価値の座へ――市場の本質が、問われるときよ。
「セリアの小言? そうね……“恐怖”より“信頼”の方が、よほど制御が難しいのよ。特に、それが本物なら」
「……まあ、秩序を握ったからって安心しないことね。Kも、影鬼も」




