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#9−3:影が裂ける時



✦✦✦ 《市場が揺らぐ》 ✦✦✦


 Kは影鬼たちに囲まれながら、静かに拠点の奥に身を沈めていた。


 無数の影が、床に溶けるように伸び、彼の周囲に蠢いている。

 人の形を模していながら、どれも“人間”とは言い難い異様な輪郭。

 光に反応するでもなく、ただ主の気配に従って静かに揺らいでいた。


 市場が軋むような音が、遠くから聞こえた……ような気がした。

 それは耳ではなく、胸の奥で鳴っていた。


 影鬼は戦力であり、同時に“資産”だった。だからこそ、数値の乱れは――暴動にも等しい。


 スクリーンに、無機質な数字が静かに浮かび上がる。

 その瞬間、空気が張り詰めた。


 浮かび上がった数値は青白く脈動し、まるで生体反応のように微かに揺れていた。

 空間そのものが“情報”で満たされていく感覚。

 Kは息を詰め、ただその情報の波に呑まれまいと目を凝らすしかなかった。


 魔王市場速報 - Kの市場価値が変動

 

 【影鬼関連銘柄の動向】

 ・影鬼市場シェア:増加

 ・ゼグラント陣営の軍事評価:微減 ⬇


 エリシアがデータを見て、冷静に呟く。


「……ゼグラント、ついに仕掛けてきたわね」


 アルカナは目を細め、淡々と分析する。


「まさかとは思ったけど、やっぱり動いてきたわね……市場を弄るって手で」

「影鬼が“制御不能”と噂されている。

 つまり、Kの市場価値を暴落させ、投資家たちを揺さぶるつもりね」


 Kの目がスクリーンに釘付けになる。


「……何だ、これは」


 データが、ざらついた波のように乱れはじめる。

 影鬼の市場影響が、急上昇――否、それは“上昇”などという言葉では足りなかった。


 影鬼支配領域の変動指数:限界突破――制御不能としか言いようがない。


 部屋の壁にかかった影が、にじむように形を変え始める。

 音もなく、黒い筋が天井へと這い、光源の輪郭さえ歪ませていく。

 影鬼の“支配”が、データの中だけでなく、現実にも染み出してきていた。


「待て……これはおかしい」Kが呟く。


 エリシアが唇を噛みしめた。

 

「……K、影鬼はもう“従っていない”のかもしれないわ」


「おかしいな……この成長速度は……」


 Kが想像していたより、影鬼の影はあまりにも速く世界を覆い始めていた。

 ゼグラントの市場操作による過剰な売り圧力が影鬼の市場価値を加速させ、

 通常の制御を超えて動き始めている。


 Kは眉をひそめた。その動きは、もはや自分の意志の範疇を超えていた。

 あまりに自然で、“自分らしさ”すら感じさせるその動きに、Kは胸の奥をざわめかせた。


 エリシアが息を呑んだ。


 影鬼が、Kの制御を離れて暴走している……?

 それとも、誰かが外部から干渉して、市場影響を操作している……?



✦✦✦ 《揺れる忠誠》 ✦✦✦


「K……影鬼は、あなたの魔力で維持されているんでしょう?」


 Kはスクリーンを見つめたまま、わずかに目を細めた。


「……影鬼は、俺の“影”だ。だが、影は時に、主よりも深く、先に進む」


「なら……もし、魔力が枯渇したら?」


 彼女の問いに、Kの指が一瞬止まる。しかし、すぐにまた動き出す。


「召喚制度を壊せば、この世界の魔力循環も崩れるわ」

「そのとき、影鬼は……本当に無事でいられるの?」


 Kの視線が一瞬だけ揺れる。


 ……あれは、魔力循環といえるような優しい代物でなく、純粋に“消耗”でしかない。

 召喚された者を原資として、燃やすための装置――。


「……わかっている。そんなことは、最初から分かっていた」


 この世界は、召喚者の魔力を“燃やし尽くす”ことで、辛うじて成り立っている。


 ――Kは、ほんの数秒だけ、沈黙を選んだ。

 

 制度が崩れれば、世界の構造そのものが軋む。だが、それでも。

 

「……それでもなお、この道を選ぶの?」


 エリシアの瞳が冷たく光る。


「召喚制度が壊れたら、この世界も、あなたの王国も崩れるかもしれない」

「……私も。すべて失っても、本当に進むの?」


 彼女の言葉に、Kは静かにスクリーンを見つめた。


 違う……影鬼は、消えはしない。

 

 影鬼は魔力ではなく、虚無そのものから生まれた存在。

 Kは、それを知っていた。

 ……だが今、それを語る意味はない。


 Kはエリシアの目をまっすぐに見た。

 

「……その可能性もある」


 ……たしかに、そうなるかもしれない。

 でも、それが“真実”とは限らない。

 

 エリシアの眉がわずかに動く。


「だが――それでも、俺は進む」


 言わなくてもいい。それだけは、Kの中で確かだった。


「影鬼が消えて、王国が壊れて……そのあとに、何が残るの?

それでも、生き残るのが正しいって、思うの……」


「進む? それって、本当に救いになるの、K?」


 エリシアの問いは、断罪でも否定でもなかった。ただ、その覚悟の形を、知りたがっていた。


 それでもKはスクリーンから目を離さず、静かに呟いた。


「力なんて、誰でも振るえる。破壊するだけなら、誰でもできる」

「だから俺は……組み替える。構造ごとな」


 Kは、それ以上は語らなかった。


 影鬼は、虚無の中に生まれた存在。


 ――静寂が、数秒だけ支配した。


 召喚制度がどうなろうと、影鬼が消えることはない。


 Kは言葉を返さなかった。

 エリシアの視線を避け、ただじっとスクリーンを見つめていた。

 彼女はゆっくり息を吐き、微かに瞳を揺らした。


「……私は、あなたを信じたい。でも――だからこそ、問うのよ、K」


 一拍の沈黙。


「あなたは本当に“その先”を見ているの?」


「もしもあなたが道を誤れば……その時は、私があなたを止める」


 その言葉の裏で、彼女の指先がわずかに震えていた。

 本当は、Kを止めたくなどない――ただ、崩れていくのを見たくなかっただけ。


 エリシアは言葉を切り、Kをじっと見つめた。

 その瞳には微かな揺らぎが見える。

 Kはその言葉に一瞬眉をひそめた。


「……影すら、俺から離れていく……か」

「そうだ。影鬼が存在するのは、この制度があるからだ」


 Kは静かに目を閉じた。

 かつての記憶が脳裏をよぎる――クラスメイトたちの苦しむ姿。


 赤く焼けただれた空。

 泥に沈んだ制服。

 声にならない叫びが、耳ではなく脳髄に直接届いてくる――。


 「助けてくれ!」

 「こんな場所に召喚されて……何のために戦うんだ……!」


 ――あの叫びが耳にこびりついている。

 それが本当にあった言葉だったのか、

 それとも彼の罪悪感が作り出した幻影だったのかは分からない。


 だが、Kにとって、その叫びは今も心に突き刺さっている。


 ここで終わらせるしかない――そう思った。

 いや、違う。終わらせるには、進むしかないんだ。


 Kは拳を握った。間違っていたのかもしれない。それでも、動くしかなかった。

 迷いがあっても、後悔があっても、進むしかないと――決めていた。


 Kは静かに目を開け、スクリーンに映る市場のデータを見つめた。

 それは、過去でも未来でもない。今、この瞬間に立ち続けるための――答えだった。



✦✦✦ 《見えない敵》 ✦✦✦

 

 しかし、その時、スクリーンが一瞬乱れた。市場データが急変する。

 Kが予測していたものとは違う動きだった。


 影鬼市場の全体投資額が、突然目減りし、下落していく。

 Kの指が一瞬、止まる。


 ……音が消えたようだった。

 スクリーンに走るノイズが、耳鳴りに似た圧を生む。

 数値が、次々と崩れていく。


 スクリーンの一角から始まったひび割れが、走るように広がっていく。

 Kはそれを見つめながら、かすかに拳を握る。

 ……まだ、終わっていない。

 何も壊れていないのに、すべてが壊れていく――そんな錯覚が、Kの鼓膜を支配した。


「……嘘だろ?」


 胸の奥が、じわりと冷えた。

 “読まれている”――そんな直感が、ゆっくりと這い上がってきた。


 信頼指数が、音もなく崩れ落ちていく。

 

 Kが描いていた未来――。

 それは、影鬼が秩序の“もう一つの核”になる世界だった。


 市場に新たな選択肢を与え、支配と信頼のバランスで安定を築く構想。

 だが――。


 今、この瞬間に起きているのは、

 そのどれにも存在しなかった“崩壊”だった。


 何だ、この動き……ゼグラントの操作だけじゃ説明がつかない……!


 エリシアがスクリーンを覗き込み、目を見開いた。


「……K、これは異常よ」


 彼女の指が、微かに震えていた。


「何かが、影鬼を……狂わせてる」


 彼の背筋に冷たい汗が流れる。


「市場操作だけじゃ、こんな急変はありえない」


 計画が……誰かに、先回りされている?


 Kの心臓が跳ねる。

 胸の奥で焼けるような熱が走るのに、指先は凍ったままだった。


「この動き……誰かが裏から仕掛けてるのか」


 その時、アルカナが低く呟いた。

 

「……ゼグラントだけじゃない。私たちの中に裏切り者がいる」


 その目はどこか遠くを見ていた。まるで、自分の中の確信を探るように。


 一拍の沈黙。

 言葉はアルカナのものだった。けれど、その奥に……言い知れぬ“指示”の気配があった。

 まるで、誰かに言わされているような――いや、それとも自発的に?

 Kは、胸の内側がじわりと冷えていくのを感じた。


 眉をひそめ、スクリーンを睨みつける。

 

 内部からの攻撃――? こんなタイミングで、まさか……。

 

 影鬼の中に……何か入り込んだ? いや、それだけじゃない。

 こっちの動きまで、逆手に取られてる……?

 まるで、目の前で見ていたかのように、知りすぎている。


 エリシアが慎重に言葉を選ぶように言った。

 

「K……もしこのまま影鬼の信頼が暴落すれば、市場は崩れるわ。

 そして、あなたの“改革”は、ただの破壊にしか見えなくなる」


 Kは言葉を飲み込み、拳を強く握りしめた。

 

 もしも、この未来ごと、誰かに握られていたら……?


 Kは初めて、自分の策が完全に読まれている可能性に気づいた。


「……全部見抜いてきたか。なら、その先を見せてもらう」


 Kはわずかに口角を上げる。

 

「読んできたか」

「なら――楽しませろ」

 

 このままでは、市場の支配者はゼグラントではなく、“第三の勢力”になるかもしれない。


 Kはすぐに影鬼たちに指示を出そうとするが、エリシアが静かに言った。

 

「……K、今は動くべきじゃない」

「次に誤れば、その先にあるのは、もう“意志”じゃない」


 Kは歯を食いしばり、拳を握りしめた。

 

「その判断が――未来すら誤らせる」

「K……いま一番恐ろしいのは、“あなたの焦り”よ」


 何も選ばなければ、全部が終わる。じゃあ、俺は……誰を信じればいい?

 

 影鬼の影が、微かに揺らいだ。

 Kはそれを見つめながら、無意識に拳を握りしめた。

 

 いま、かもしれない。

 何を、誰を――いや、そんなことを考えている余裕はない。








 【次回予告 by セリア】


「“恐怖”で縛った秩序は、崩れるときほど静かなものね。音もなく、信頼が脱落していくのよ」


「影が裁き、秩序が選ばれる」

次回《影が裁く》、『信じる力と、従わせる力』。

“支配”の形が変わるとき、問われるのは――“従わせる力”か、“託される意志”か。


「セリアの小言? ええ……“信じたくなる秩序”ほど、壊れたときの音は静かよ。まるで、最初から無かったみたいにね」



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