#幕間4:影鬼市場特別解剖・前編
この回は、本編から少し歩みを止めて、魔王市場という舞台を静かに見つめ直す一幕です。
ここまで歩いてきてくれたあなたへ――登場人物たちの視点から、“この世界”をもう一度辿ります。
✦✦✦《制度という名の支配》✦✦✦
――影鬼市場とは何か。
魔王たちは「戦い」から「交渉」へと歩みを変えた。
だが、その歩みの先に、旧い秩序を打ち砕く者がいた。
――名は、K。
これは“市場”という名の戦場における、新たな戦いの記録である。
✦✦✦ 《第一節:魔王市場とは何か》 ✦✦✦
語り手:すず(影鬼四将・黒市連盟代表)
場所:影鬼本拠・黒市の商業議場、夕暮れの回廊
赤い夕陽が、商業議場の魔導ガラスを染める。
その大理石の回廊に、セリアとすずの二人きり。
「……聞く気ある? 本気で知りたいの? ただの暇つぶしじゃないわよね?」
すずが腕を組みながら、やや警戒気味にセリアを見る。
「だってあんた、いつもそう。ちょっと黙って見てるくせに、急に“説明して”って来るんだもん」
セリアは微笑を浮かべたまま、歩調を崩さない。
「聞きたいのよ、すず。ちゃんとあなたの言葉で。……市場って、何なのか」
「はぁ……ほんっと、そういうとこ面倒くさいんだから」
すずはため息をついてから、ようやく話し出した。
歩きながらのインタビュー、という体で始まったはずの対話だったが……。
「……っていうか、あんたさ、わざと聞いてるよね? その顔、絶対わかってて聞いてる」
すずがセリアにぐいと詰め寄る。
「質問の仕方が、なんかムカつくんだけど!?
市場のこと知ってるくせに、私をからかってるの!?
……って、あ、ちょっと待って、泣いてないからね? 泣いてないからっ!」
……どう見ても、目が潤んでいる。
でもセリアは、そんな彼女の芝居がかった反応に慣れていた。
「すず、別にからかってないわ。私は“あなたの視点”が欲しいのよ」
「視点……?」
すずが目を伏せ、少し黙る。
その表情には、奇妙な誠実さが滲んでいた。
「魔王市場ってのはね、最初から“市場”だったわけじゃないんだよ」
と、唐突にすずが語り始めた。
感情の波を切り替えるその姿は、彼女の気質そのものだ。
「昔はさ、魔王って“戦って奪う”のが当然だったの。
領地も、資源も、力も……。でも、それじゃ滅ぶだけだって気づいたバカがいた。……やっと、変わり始めた」
「バカ?」
「……Kの前にいた、もっとバカな奴らだよ」
すずは、肩をすくめて笑った。
その笑みに、侮蔑とも、惜別ともつかぬ感情が混じっていた。
「それでも……取引するってことを覚えたんだ」
少しだけ遠くを見るように、言葉を継ぐ。
「手始めに、魔力資源や領土を担保に信用を築いて、資源を売買するようになった。
武力だけじゃ食えないって、やっと理解したの」
その語り口には、過去の魔王たちへの軽蔑と、わずかな敬意がないまぜになっていた。
「その中心にできたのが……?」
セリアの問いかけに、すずは軽く顎を上げて答える。
「中央取引所。いわゆる“魔王市場”ってやつ」
すずが手を広げ、街の方を指し示す。
まるで、影鬼本拠の中からでも、魔王全体の構造を握っているかのように。
「魔株ってあるでしょ? あれは魔王の影響力を“数字”に変えて~」
「ええ、“信用スコアを証書化した媒体”。かつて私が提唱したモデル通りね」
「その言い方、ほんっと嫌味なんだけど……ま、実際そうなんだけどさ」
すずは手で四角を切るような仕草をして、想像上の証書でも掲げるように見せた。
「あんたの力、どのくらい信じてもいいか――そういうのを、“紙切れ”にしてやり取りしてるのよ。
クソみたいな紙切れのくせに、あれがないと市場のドア一つ開かないってんだから、世も末よね」
「魔導担保を添えることで、その魔株が市場で“魔晶”と交換できるようになる。
……魔王の力を、そのまま経済に流し込むのよ」
「つまり、魔王の“力”を、信用評価に変えて、魔晶でやり取りできるようにしたってことね?」
セリアが、確認するように言う。
「正解。あんた、本当にわかってるくせに、聞くんだから」
すずが少しむくれながらも、どこか嬉しそうに口元を緩めた。
その直後、ふっと表情を曇らせたすずは、足を止めて空を見上げた。
「でもね……“経済にされた魔力”が、何を生んだかって話よ」
と、すずはふいに歩みを止め、くるりと振り返った。
その目は、どこか遠くを見ていた。
「……で、その本質をぶっ壊そうとしたのが、“影鬼市場”ってやつ」
「ま、要するに“魔王のためのオープン戦場”よ。誰でも入れるけど、誰でも沈む」
口調は軽いが、目はどこか張り詰めていた。そこには“知っている者”にしか語れない重みがあった。
「その魔王市場を今、牛耳ってるのがゼグラントなんだよね」
その名を出すとき、すずの声色がわずかに低くなる。
「あいつは“支配構造”を再発明した。市場の6割を支配して、評価制度も操作して、他の魔王たちを“借金漬け”にしてる」
言いながら、すずはどこか悔しげに口元を歪めた。
「まるで……?」
「まるで世界の中心にでもなった気でいる感じ。ほんと、鼻につくのよ。……でも、否定できない。ゼグラントがいたから市場はここまで安定したんだもん」
「すず、あなた……ゼグラントを認めてるの?」
「……ビジネスとしては、ね。感情では殺したいけど」
淡々とした声に、にじむのは本音か、それとも照れ隠しか。
「でもね。私は、もっと自由な市場が見たいの」
ふっと、声が和らぐ。
それは、怒りの裏に隠していた“願い”が、不意に顔を出したような響きだった。
「信じた相手と、対等に交渉できる……そんな場所」
すずの声は、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。
しばし沈黙が落ちる。回廊を流れる風が、ふと二人の間をすり抜けた。
すずは少しだけ顔を伏せた。
「……Kなら、それを見せてくれると思う。誰も殺さずに、この市場を壊せる……そんな気がしてる」
最後の言葉だけは、どこか呟くように。
「ビジネスパートナーだから……たぶん」
夕陽が、すずの顔に赤い光を落とす。
セリアは何も言わなかった。ただ、横で静かに歩き続けるだけだった。
✦✦✦《◆ 第二節:魔王市場のセクター構造》✦✦✦
語り手:ユリエルとセリア(対話形式)
――静謐な書庫の一室。壁一面に並ぶ魔導書と、机上に広げられた精密な図表。
ユリエルは、丁寧に紅茶を注ぎながら、セリアの前に一枚の資料を差し出す。
「お時間いただき、恐縮です。……今回は、あくまで“再確認”のつもりです」
セリアは静かに頷き、湯気越しにユリエルを見つめた。
「市場構造の理論を整理するのは、あなたの常よね。で? 今回の趣旨は?」
ユリエルは目を細め、端整な顔にわずかな熱を帯びた。
「影鬼市場の“セクター的位置づけ”について、仮説を整理しました。……セリア様の設計された魔導専念樹、それがいかにこの構造を支えているかも含めて」
セリアは苦笑する。
「そんな古い話まで掘り起こすとはね。……ええ、聞いてあげる」
「まず、魔王市場は単一の市場ではなく、性質ごとに分かれた複数の“セクター”によって構成された巨大な連合体です」
ユリエルは魔導ペンで円を描きながら、静かに説明を続けた。
「代表的なものだけでも――軍事、魔力循環、資源、技術、召喚者管理、物流、情報、信仰……。
これらが明確に区分され、それぞれに支配者と投資構造が存在します」
「魔導専念樹の観測領域において、資産の性質ごとに“魔導的実在性”を分類し、取引可能な状態にする仕組みね」
セリアが紅茶をひとくち含み、そう言った。
「ええ。おかげで、支配領域は“可視化された戦場”として機能するようになった。
ですが――影鬼市場は、そのどこにも属していません」
「……資格制ではない、唯一のセクターね」
セリアが、静かに言葉を継いだ。
「そう。捨てられた魔王たち、滅んだ家系の残党、無所属の異端者たち……。
そのすべてが、影鬼市場という“箱”に収まり始めた」
ユリエルは、視線を資料に落としたまま言葉を続ける。
「影鬼市場は、影鬼を通じてこれまで市場に参加できなかった魔王たちが自由に取引でき、さらに投資家から投資を得られる“開かれた領域”です」
一呼吸おく。
「結果として、軍事、資源、情報、信仰……あらゆる取引の種類が同時に混在し、現在では最も活況のあるセクターの一つとなっています」
そしてユリエルの目が一層輝き、わずかに熱を帯びた声で言った。
「だからこそ、最も制御が難しく、旧支配層にとっては“恐れ”の対象でもあるのです」
彼女は小さく息を吐いた。
「一言で言えば、“多様性と流動性の坩堝”。だからこそ、支配が難しく、最も恐れられているのです」
「まさに、自由市場の再発明」
セリアがぼそりとつぶやく。
ユリエルはわずかに微笑んだが、その声はどこか沈んでいた。
「ですが、その自由は裏返せば“無秩序”でもあります。
だからこそ、彼らはK様にすがる。“信用”ではなく、“信仰”として」
セリアは目を伏せた。
「……神になりかけているわね、Kは」
「……Kは、ただ“対等”って言葉を信じてるだけよ。力じゃなく、位置でもなく、“目線の高さ”を選ぼうとしてる」
ユリエルが息をのむ。数秒の沈黙のあと――
「K様は神ではありません。神など、彼の存在には及びません」
その声には、理性の仮面を被った熱がにじんでいた。
「私は……すでに確認済みです。あの方の通った廊下、触れた机、吸った空気……すべてに残留痕跡が存在する」
「……この空間にも、K様の“残香”がある。サイドポーチから、微かに」
ユリエルが静かに目線を落としたのは、セリアの腰に下げられた革製ポーチだった。
「……まさか。連夜の“個人的観測”記録まで、お持ちとは」
ユリエルは、わざとらしく口元に指を添え、すぐに目を伏せた。
「いえ、推測です。根拠は……今のところ、香りだけですが」
「っ……そ、それはただの香料! リラックス用の……!」
セリアが慌ててポーチを握りしめ、視線を逸らす。
ユリエルはそれ以上追及しなかった。ただ紅茶をひとくち含み、どこか満足げに微笑んだ。
「嗅覚検出、温度波形、魔力拡散痕、それらを組み合わせて解析すれば……K様の“概念的残響”が観測できるのです」
「それって……あなた、何を……?」
「私は、世界の真理を追っているだけです。K様の痕跡は、すべての理論を超えて、美しく、尊く、芳しい」
セリアが紅茶を吹きかけそうになった。
「芳しい!? ちょっとユリエル、あなたまた嗅いだの?」
「セリア様、誤解なさらず。私はあくまで分析者です」
と言いつつ、ユリエルの頬がわずかに紅潮している。
ユリエルは静かに、だが恍惚にも似た表情で言葉を継いだ。
「K様という存在が、市場という名の経済圏の“現象”なのです。私は……それを、この身で確かめたい」
ふと、静寂が落ちる。
その瞬間、机の隅に置かれた魔導記録装置が、かすかに反応音を立てた。
再生されたのは、過去のKの記録音声だった。
Kの声が再生される。
記録装置から流れるKの声は、どこか諦めを孕んでいた。
「……誰かを黙らせたところで、それは交渉じゃない。ただの命令だ」
支配という手段に、Kは常に拒否感を持っていた。それは、誰より深く染み込んだ記憶なのだ。
その声は低く静かだったが、哀しみにも似た温度があった。
Kは、そういう支配を心底、嫌っていた。
その声は低く静かだったが、どこか哀しみに似た温度を孕んでいた。
セリアは目を伏せ、ユリエルは紅茶の香りにまぎれるように、微かに息を止めた。
そこには、理屈を超えた“実感”があった。言葉ではなく、空気や温度、香りがその存在を伝えてくる。
彼女にとって、市場とはKの残響そのものなのだ。
セリアは、距離を少しだけ取った。
「……あんた、変態よ」
「はい」
即答だった。
そしてユリエルは、少しだけ視線を外して、どこか意味ありげに言った。
「……でも、セリア様も同じ香りを、手放せずにいますものね」
紅茶の湯気の向こうで、セリアがぴくりと肩を揺らした。
……香りに気づかれた。それだけで、胸の奥が妙にざわつく。
セリアは紅茶に視線を落とし、わずかに目元を細めた。
――これは、“私”のため。あのことなんて、関係ない。
……誰かにそう言い聞かせなければ、やっていられないほどに。
紅茶の香りが、なぜか、さっきまでより甘く感じられた。
喉奥に、あの夜の感覚がふと蘇る――口に含んだときの温度すら、なぜか忘れられない。
✦✦✦《◆ 第三節:指標の意味とその操作》✦✦✦
語り手:セルバスとセリア
石造りの会議室。机の上には魔導端末と記録水晶。
セリアは椅子に腰かけたまま、端末をなぞるように操作していた。
「……この揺れ方、尋常じゃないわね。不安指数が跳ねすぎてる」
扉が静かに開き、セルバスが歩み寄る。淡く光る魔導装甲の黒が、重い空気の中でも確かな輪郭を保っている。
「報告を。……“あちら”の幹部が一人、突然市場から退いたとの情報があります」
「またひとり脱落、ってことね。……噂で押し出されたか、それとも本当に何か見えたのかしら」
セリアが軽く嘆息する。
「影響力指数も妙に跳ねてる。内部での情報流通に何か仕掛けられた?」
「可能性はある。だが、それ以上に“心理”の揺れが大きい。
不安指数がこれだけ乱れるということは、投資家たちの“信じる基盤”が揺らいでいる」
セリアは目線を上げ、セルバスを見た。
「支配率じゃなくて、構造のほうが問題なのよ。資産じゃなくて“何を信じて取引してるか”が崩れてる」
セルバスは頷いた。
「だから我々は、数値だけを追ってはいけない。
“影響力指数”の中には、実績や支配力だけでなく、魔王個人の“語られ方”が含まれている。
噂、憶測、演出、そして恐れ……それらすべてが積み重なっている」
セリアが苦笑する。
「数字で人の気分が可視化されるって、面倒な話ね」
セリアは視線を伏せ、わずかに眉間に皺を寄せた。
いつからだろう、数値が感情を追い越すようになったのは。
彼女はひと呼吸置いて、もう一言だけ吐き捨てるように付け加えた。
「気分を数値で殴ってくる。……それが今の市場よ」
セルバスはその言葉を受け止め、表情を動かさぬまま頷いた。
「ですが、それを武器にしているのがK様です。……不確かな“空気”に指標という名をつけ、戦場に変える」
「本来なら、そんなもの市場には持ち込まないのがセオリーだった。でも、今や“それなしには何も動かない”」
セリアは小さく鼻で笑った。皮肉でも同意でもない、諦めたような音だった。
そして、魔導端末の数字をじっと見つめた。
「……私が設計した専念樹の基盤じゃ、ここまでの乱流は想定していなかったのよ」
「それでも今、揺れの中で数字が生きている。
“信じるに足る秩序”と、“信じるしかない混沌”――どちらを選ぶかの話です」
重く沈んだ空気が、ふたりの間に落ちた。数字の光だけが淡く瞬いている。
沈黙が少しだけ流れた。
やがてセリアは、端末を閉じた。
「理解してるわ。これは、Kが選んだ手段だもの」
セルバスは静かにうなずいた。
「我々は、ただ“崩れた秩序の後”に、何を残すかを見極める必要があります」
「……そして、それを数字が語る時代にしてしまったのも、またKなのね」
セリアの声は、静かな敬意と、どこか遠い憂いを含んでいた。
セリアの言葉が静かに落ちる。
その言葉の先には、“制度そのものを問い直す存在”としてのKの輪郭が、ゆっくりと浮かび上がっていた。
――影鬼市場。
それは、制度の隙間に差し込まれた希望であり、
やがて制度そのものを飲み込む“歪な秩序”となる。
だが、それはまだ“構造”にすぎない。
問われるべきは――誰がこの秩序を欲し、誰がそれを恐れているのか、ということだ。
次に語られるのは、その裏側に渦巻く“信仰”と“狂気”。
市場を動かすのは、数字ではなく“心”であるという、もうひとつの真実――。
【次回予告 by 妖精神官】
「理屈で動く市場なら、まだ救いがある。……でも“気持ち”が動く市場は、ね。破滅しかない」
「次回《影鬼市場特別解剖・後編》、『信仰という名の崩壊』。
カゲコちゃんも、セリアさんも……みんな、Kくんを“好き”すぎるんだよ」
「でもそれって、どうなると思う?
Kくん自身が、壊れるよね。……好きって、壊すんだよ」
「妖精だからね。わかっちゃうのさ」




