#5−8:価値を制する者
✦✦✦ 《支配者の眼》 ✦✦✦
魔王市場の頂点に君臨する者だけが足を踏み入れる最上階。
闇の金属でできた円卓が、冷たい息を吐き出すように光っている。
中央の玉座は、見る者を市場ごと呑み込むような威圧を放っていた。
座すは、市場の支配者――ゼグラント。
市場の秩序を管理し、異分子を排除する絶対的存在。
ゼグラントは玉座にもたれ、足元に置かれた報告書を拾い上げた。
冷たく鋭い眼差しが、紙の上を滑るように走る。
「市場速報――影の魔王K、初の市場評価を獲得」
「影鬼市場、新たなトレンドとなるか?」
「一部の投資家がKへの投資を検討……ゼグラント体制に影響の可能性?」
周囲の側近たちは息を飲み、ゼグラントの表情の微細な変化を探っていた。
だが彼は、眉一つ動かさず報告書を見つめ続ける。
ゼグラントの喉から、低い声が零れた。
「……ふむ、興味深いな」
その一言に場の空気が凍りつく。
ゼグラントが「興味深い」と口にするのは、単なる関心ではない。
それは、脅威を認識した瞬間に発せられる言葉だ。
「影の魔王……少々風変わりだが、どう転ぶか見物だな」
言葉とは裏腹に、その瞳には冷徹な計算が渦巻いている。
ゼグラントは報告書を閉じ、玉座の肘掛けに肘をついた。
「影鬼市場が広がっている……面白い動きだ。
Kはあえて流通を絞って、“手に入らない価値”を演出している。
投資家の心理をうまく突いた戦略だな」
さらに、「影鬼を持つ魔王こそが次代の覇者」という巧妙なメッセージを市場に植え付け、
投資家の期待を煽っている。
しかしゼグラントは口元を歪める。
「……だが甘いな。流通を制限しすぎた」
影鬼の希少性は確かに魅力だが、過度な限定戦略は供給不安に直結する。
「Kの最大の誤算は、“成果”ではなく“印象”で市場を動かせると思ったことだ。
市場は、幻を信じ込むほど甘くない」
ゼグラントは冷ややかに笑う。
「幻想で築いた信用なんて、風が吹けば消える。市場ってのは、そういう場所だ」
ゼグラントは指先で肘掛けを軽く叩いた。そのリズムが冷たい空間に響く。
「問題は、それがどれほど持続するかだ」
指を弾くと、虚空に魔力の波動が走り、数字とグラフが浮かび上がる。
市場支配率と成長率を示すデータだ。
数字が淡く光り、静かに脈打つように変化している。
《魔王市場・支配率と成長率》
ゼグラント:60.3%(-0.2%)
影の魔王K:0.9%(+0.9%)
数字が静かに脈打つ。
ゼグラントはわずかに目を細めた。
「影の魔王Kの市場支配率は、たったの0.9%。
だが、たった数日でここまで伸びた速度は異常だ――通常なら数ヶ月かかる変化だ」
彼は周囲を見回し、冷静に命じた。
「……市場のバランスが崩れる前に、叩かないとな」
ゼグラントは周囲の投資家たちを見据え、低い声で指示を下す。
「影鬼市場は不安定だ。混乱を起こす前に、圧をかけろ」
「供給も脆い。投資家に不信感を抱かせ、足を止めさせるんだ」
言葉を受け、投資家たちは迅速に動き始めた。
ゼグラントの意向が反映されると、市場の空気は急速に冷え込む。
数時間後、影鬼市場への資金流入は鈍化し始め、Kの市場評価が揺らぎを見せた。
「市場は公平ではない。強者がルールを作り、弱者を淘汰する。
それが、この魔王市場の絶対的な法則だ」
ゼグラントはワイングラスをゆるりと回し、微笑んだ。
その仕草一つで、側近たちは何をすべきか理解していた。
一方、Kの拠点では――。
静かな魔力の光が、深海の潮流のように作戦室の奥で揺れていた。
データ端末の光を背に、セリアが立っていた。
画面を指でなぞりながら、不敵な笑みを浮かべる。
「ついに、奴が動き始めたわ」
Kはその言葉に眉を寄せ、セリアが示す最新の市場データに目を通した。
そこには、《影鬼市場》の急激な変動が記されていた。
《影鬼市場》――影鬼という潜伏・諜報・攪乱を担う特殊兵種を基軸に、Kが築いた異端の経済圏。
魔王市場の枠に収まりきらない、情報と心理を武器にした新たな市場である。
「影鬼市場、不安定。長期的な成長性に疑問」
セリアはKに微笑みかけた。だが、その笑みはほんのわずかに硬かった――気づく者がいれば、の話だ。
……空気が、わずかにきしむ。
影鬼市場速報:評価が12.5%の下落。不安指数が86%に上昇。
「ゼグラントが動いたか」
セリアは冷静に頷きながら告げる。
「投資家たちに圧力をかけているようね。影鬼市場の信頼を揺さぶる情報を流している」
セリアは冷静に告げながら、心の中で冷たく笑った。
市場なんて、所詮、信用だけでできてる。ちょっと揺れただけで、簡単に崩れるんだから。
「……忘れないで。影鬼は万能じゃないわ。
特に未熟な魔王が使えば、逆に飲み込まれるかもしれないって、あなたもわかってるはずでしょ?」
Kは無言で画面をスクロールした。
苦々しげな表情――だが、その奥では冷静な計算が動き出していた。
データは冷徹だった。
「影の魔王K、実績不足。これは投資か、それとも賭けか?」
「ゼグラントが暗に警告――影鬼市場はバブルの可能性」
Kは歯を食いしばった。
その瞬間、胸の奥に冷たいものが走る。
……ゼグラントが動いた。
✦✦✦ 《Kの決意》 ✦✦✦
Kは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
焦燥と怒りが交錯する中、胸の内に静かに湧き上がる決意があった。
市場を支配するのは力だ。
しかし、その力のルールを変えられないわけじゃない。
彼はゆっくりと立ち上がり、冷笑を浮かべた。
「やるべきことは、もう決まってる」
――道は、たぶん見えてる。もっとも、踏み出してみなきゃわからないけどな。
Kは短く息を吐いた。曖昧な自信でも、今の彼にはそれで充分だった。
セリアが、挑発的な笑みを浮かべながら問いかける。
「――で? この先、どう出るつもり?」
Kは答えようとしたが、ふと影鬼の声が脳裏をよぎった。
「市場で勝ったところで、それだけで“召喚された者たちの運命”は変わると思ってるのか?」
その声は冷徹だった。
Kの中に巣食う影鬼が、まるで意志を持つかのように問いかける。
本当にそれだけで済むのか? 俺のやっていることは……。
セリアはKの沈黙を見て、ふっと目を細めた。
「……迷ってるわね。どうせ“勝っても救えない”とか、そんな声が頭に響いたんじゃない?」
「市場支配は手段って、あなた自身が何度も言ってた。なら――本当に壊すべきものは?」
Kは返事をしなかった。
一瞬、言葉を失い、ただ仲間たちの姿を思い浮かべていた。
俺がやろうとしていることは……本当に奴らを救う道になるのか?
一瞬の迷い――。
だがKは、すぐに打ち消すように言葉を吐き出した。
「市場の支配は手段にすぎない。本当に壊すべきものは――制度だ」
セリアは「……ええ、そうね」と肯定した。だが、その声には、どこか乾いた響きがあった。
一瞬、胸の奥が軋んだ。
Kはわずかに目を伏せた。
市場を支配したところで、根本は変わらない。
壊すべきは、この歪んだ仕組み――それは、もう分かっているはずだった。
Kの目に宿る光が、再び鋭さを取り戻す。
影鬼の力は確かだが……制御に慣れていない者では、逆に取り込まれるリスクすらある。
無理に支配しようとすれば、影鬼は術者の精神を侵食する。制御と共存の境界は、常に紙一重だった。
ゼグラントが突くとすれば、そこだ。
「影鬼市場の成長をさらに加速させる」
「ゼグラントが市場を使うなら……俺は、その市場を武器にする」
「そして――魔王市場そのものを巻き込む」
セリアはその言葉を聞き、満足そうに笑った。
その笑みに、わずかに冷めた色が混じっていることを、Kは気づかなかった。
「奪うだけの者は、価値を創り出す者には勝てない」
Kは静かに目を閉じた。
戦場はここじゃない。市場そのものだ。
ゼグラントが影鬼市場を抑え込もうとするなら、それを逆手に取る。
ゆっくりと目を開き、Kは呟いた。
「“価値”は奪い取っただけじゃ長続きしない。
生み出した者にしか、本当の意味で残せない。――それが、市場の本質だ」
「幻想ではないと、証明してみせる。それが、影鬼市場の存在意義だ」
だから――俺たち自身で証明する。
それが、影鬼市場の意味だ。
セリアは目を細める。
「つまり……市場そのものを戦場に変えるってわけか?」
Kは一瞬、喉が渇いたような感覚を覚えた。だが、無言で頷く。
「いいわ……あなたって、ほんとに狂ってる。でも――そんな狂気も、たまには悪くないと思うわ」
そう口にしながらも、セリアの胸には一抹のざわめきが残っていた。
――あなた、ほんとに一人で全部やる気なのね。
……その先に何が待ってるか、楽しみではあるけど。
セリアは無言のままKを見つめ直す。その瞳の奥に、一抹の不安が潜んでいた。
セリアは思わず内心で呟いた。Kのその狂気は、どこか懐かしく、そして――怖かった。
短い静寂が落ちた。
Kは無言で頷き、その瞳に冷静な野心の光を宿した。
「奪った価値は一時的だ。残るのは、創り出されたものだけだ」
Kの声は静かだった。
だが、その一言が空気の温度を変えた。
影鬼をめぐる攻防は、ついに市場全体を巻き込む段階へと進んでいく。
――その渦の中心で、Kはすべてを背負い、立ち続ける。
【次回予告 by セリア】
「――数字が踊るとき、一番怖いのはね、“本当に揺れてるのは誰か”ってことよ」
「ゼグラントが仕掛け、Kが応じる。情報戦と心理戦の幕開け。次回《幕間ニュース 静かな市場戦争:前編》、『信用は通貨に勝るか』。
スクリーンの光が冷たく瞬くとき、“信じる力”が試されるの」
「セリアの小言? そうね……“勝つための戦術”はね、誰かを騙すだけじゃ足りない。まず、自分自身の不安を黙らせなきゃ」




