#5−7:影、名乗りを上げる
✦✦✦ 《数字が刻む審判》 ✦✦✦
――魔王市場の中心地。
Kは小さく息を吐いた。
数字の踊り場――またか。
軽いざわめきと、魔力の震えが、耳の奥をくすぐる。
取引所のど真ん中に、古い魔法文字をびっしり刻んだ巨大な石碑がそびえている。
その様子はまるで、数字という名の獣が、名前を喰らいながら咆哮しているかのようだった。
ひと呼吸遅れて、取引所の床に小さな揺れが走る。
空気がびりびりと震え、ざわめきかけた声たちも、そこで一瞬、凍りついた。
「ゼグラントの魔株価がまた上昇したぞ!」
「……K? 確かに注目は集めてるけど、“監視リスト”に載ってるだけだな」
「信頼されてるってより、“観察対象”ってことだ」
「ヴェルトは堅調だが、アステリウスが少し怪しいな」
まるで他人事と言えるような冷めたKの目が、石碑をなぞる。
数字が弾けるたび、胸の奥でどこかひりつくものが広がった。
《魔王市場・最新ランキング》
1位:ゼグラント(1,200魔晶 / 魔株)時価総額 12兆魔晶 / 評価 S+ / 安定成長
2位:ヴェルト(950魔晶 / 魔株)時価総額 9.5兆魔晶 / 評価 S / 微増
3位:アステリウス(820魔晶 / 魔株)時価総額 8.2兆魔晶 / 評価 A+ / 下落傾向
【市場監視リスト】
表面的な成長は見えるが、実績や支援者の裏付けが足りないとされ、
投資判断を“保留”されている魔王たち。
信用の“芽”はあるが、“根”が張っていないと見なされている状態だ。
K(25魔晶 / 魔株)時価総額 30万魔晶 / 評価 D- / 暴騰中(投資判断保留)
Kは、自分の名前が小さく埋もれているのを見て、無意識に眉間にシワを寄せた。
監視リスト――成長は認められても、まだ“信用されていない”証明か。
成長していると見られても、まだ信用されていないということだろう。
その胸には焦りと苛立ちが交錯していた……かもしれない。
いや、気のせいか。
市場での評価は、まだ未熟――そう認めざるを得なかった。
……苛立つな。何が足りない?
無意識に拳を固く握り、またそれを緩めた。
「信用が財産で、信頼は投資ということか……」
信頼性……それを得るには何をすればいい?
Kは、影鬼がただの兵器ではないことを、市場に示すべきだと考えていた。
Kのそばにいるセリアは、無表情ながらも彼の内面の揺れを楽しんでいるようだった。
その視線は、彼がいつ、どこで、どう折れるのか――ひっそり探るようだった。
Kは、自分を支援するつもりなのか、ただ弄ぶだけなのか……はっきりしろと言いたい気持ちを、かろうじて押さえていた。
「そのリストに名前がある限り、誰も本気じゃ金を出さないのよ」
セリアは優雅に腕を組み、軽く肩をすくめた。
この女、本心は一体どこにあるんだ……。
まあ、いいだろう……。これもまだ信用されていないのかもな。
Kは彼女の言葉に反応せず、石碑の数字を見つめ続ける。
「唯一無二って響きは魅力的だけど……市場じゃ“誰もやってこなかった”という事実の方が重く見られるのよ」
セリアは一度、言葉を切った。
「なぜ誰もやってこなかったのか。その理由が見えない限り、投資家は“やれない”か“やる意味がない”と判断する。つまり――リスクってこと」
セリアの言葉にKはかすかに表情を歪めた。
「認められるようにするだけだ。それ以上でも以下でもない」
セリアはふっと小さく笑った。
「それには、影鬼を“商品”として市場に組み込む必要があるわ」
Kの目が冷たく光る。
「影鬼は……俺の一部だ。市場に出す? ……簡単な話じゃないな」
セリアはため息をついた。
「分かってる。影鬼はあなたの一部。でも、感情だけじゃ市場は動かせないのよ」
Kは視線を落とす。
拳を握ったが、すぐに力を緩めた。
「……にしても、飲み込みすぎて消化不良になりそうだな」
セリアは頷きながら、言葉を続けた。
「市場資産……嫌な響きよね。でもその仮面をかぶる覚悟もなきゃ、
“投資の土俵”にも立てないの」
Kは言葉を返さなかったが、内心では、セリアの“市場語り”を引き出すためにあえて無反応を貫いた。
彼女は言葉で支配する女だ。だからこそ、沈黙は武器になる。
沈黙――それは、彼女に対する唯一の“反撃”であり、時に“報酬”でもあった。
Kは言葉を返さなかったが、彼女が自分を試していることだけは確信していた。
彼女の微笑みは、Kを見ているのか、それとも――もっと遠くを見据えているのか、わからなかった。
セリアは肩をすくめ、皮肉げに微笑んだ。
Kは沈黙したまま考え込む。
影鬼は彼にとってただの武器ではない。
自分の一部のような存在であり、
それを切り売りすることには強い抵抗を覚える。
喉がつまる。指先が冷える。
……立ち止まるな。
現実は甘くない。
Kは言葉を選ぶように口を開いた。
「……影鬼を“売る”? ふざけるな……そう思ってた。けど、それを言ってたら、何も変わらない。なら――どう見せれば“投資対象”にできる?」
その声には、わずかな戸惑いがにじんでいた。
セリアの目が細まり、その瞳には冷静さと挑発的な光が混ざっていた。
「“戦える”じゃダメ。“市場を動かせる”って思わせるの。
たとえば……情報の可視化、魔力の流通、他の魔王との連携――」
「影鬼をただの兵器じゃなく、“仕組み”として見せるのよ」
✦✦✦ 《市場に問う価値》 ✦✦✦
その夜、Kは影鬼たちを従え、取引所を離れた場所にある拠点に戻った。
拠点の中には魔法装置が静かに稼働しており、Kはその光を眺めながら思考を深めていた。
黒く細い影が床を這い、壁を伝い、ひとつ、またひとつとKの背後に集まってくる。
気配だけが濃くなる中、Kは静かに呟いた。
「影鬼は、戦場じゃ無敵の兵士。でもそれだけじゃ、市場は動かせない」
Kは目を閉じた。
肩にまとわりつく影の気配――。
力の象徴。だが、胸の奥が重くなる。
「影鬼の強みは戦闘だけじゃない。
潜伏、情報収集、操作……それらを“システム”として提示できれば――」
セリアが彼の背後で微笑んだ。
「市場は具体性を求めるわ。例えば、影鬼が資金の流れを直接視覚化できると言えば、
投資家たちは魅力を感じるでしょう」
Kはその言葉に頷いた。
「“影鬼が市場を支配する”。それを信じさせるんだ」
翌日――。
Kは、寝ずに考え続けていた。
情報を流す。それは簡単。けれど、本当にそれでいいのか?
俺が……影鬼を売る?
少しだけ躊躇した指が、魔法通信の端末に触れる。
……もう後戻りはできないな。
『魔王市場速報!』
「影鬼」――魔王市場を震撼させる新たな資産!
影の魔王K、市場革命を宣言!
「……もし影鬼が本当に市場を動かせるなら、魔王の序列すら変わるかもしれん」
取引所がざわつく。
「資産? はぁ? 影鬼って……何だよそれ、冗談きついぜ」
誰かが石碑を叩いた。
「ただの話題作りじゃないのか?」
「いや、もし本物なら……とてつもない影響を及ぼす」
噂が広がるたび、投資家たちの目が変わった。期待と猜疑が、静かに火種を育てていく。
数日後、魔法石碑に変化が起きた。
一瞬、周囲の空気が止まった。誰もが息を呑み、数字の変化を待っていた。
……次の瞬間、数字が跳ね上がった。
市場全体がその動きに注目していた。
K(60魔晶 / 魔株)時価総額 6億魔晶 / 評価 C / +140.0%
「3日で140%上昇……だと?」
投資家たちが声を潜める。
取引所の中で歓声が上がる。
「影の魔王Kが監視リストを抜けたぞ!」
「影鬼ブランドが市場を揺らした……。でもこれは、成長というより“バブル”の始まりかもしれない」
「正直……まだ信じ切れねぇな」
「俺はゼグラント株を持ち続けるよ。あそこは“戦績”があるからな」
「またトリックスター気取りの魔王か? 一時の流行だろ」
「……でも、“流行”ってのは、本物になった瞬間が一番怖い」
セリアが満足げに微笑んだ。
「ようやく、市場が“あなた”を“匿名の奇策”じゃなく、“影の魔王K”として呼び始めたわ」
Kは石碑を見据えた。冷たく、鋭い光が、底に沈んでいた。
数字が上がった。それだけだ。
「……これで終わりだと思うなよ。ようやく始まっただけだ。――だから怖い。だが、もう止まれない」
石碑の数字を睨みつけながら、Kはそっと拳を開いた。
策はもう、放たれている。
この瞬間、影鬼は“売り物”ではなく、“策謀”に変わった。
Kの市場戦は、ここから本格的に始まる。
【次回予告 by セリア】
「“奪う”ことと“創る”こと、似てるようでまるで違うわ。前者は“飢え”を満たすけれど、後者は“責任”を背負うの」
「“支配者の眼”? ふふ、ゼグラントが本気を出す時が来たってことね。
次回《境界の揺らぎ》、『価値を制する者』。
市場が戦場に変わるとき、“価値”って言葉の本質が問われるのよ」
「セリアの小言? そうね……“生み出す者”は、孤独よ。
でもね、“孤独に耐えられないなら、創る資格はない”って、私は思うわ」




