#5−5:賭けられなかった者
✦✦✦ 《刻む者》 ✦✦✦
Kは影鬼を見つめた。
冷たい感触。指がわずかに動く。
無意識に拳を握る。すぐに開く。
汗が滲む。
「影鬼は……ただの兵器じゃない。意味を、残すための存在だ」
その響きが、静かに空気を変えた。
セリアはゆっくりと目を細めた。
口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。
「分かってきたのね」
「戦うだけじゃ、勝てないわ。市場は、未来を買う場所よ」
Kの胸に、未来という言葉がぼんやりと響いた。
不安と苛立ちが、じわじわと体の奥に染み込んでいく。熱ではなく、冷たい感覚だった。
「投資家が“未来を期待できる価値”を感じない限り、資金は動かないわ」
Kは拳を握ったが、指先の汗で滑った。
Kは思わず視線を落とした。この選択は本当に、正しいのだろうか――。
「影鬼を市場に刻む。誰もが語る存在にする」
影鬼を――語らざるを得ない存在に、でも、それは……自分の能力の間引きに、ならないか?
Kの瞳に鋭い光が宿った。
セリアがじっと見つめていた。
市場を支配し、召喚制度のルールを書き換えることだ。
召喚された者が自由に生きられる世界を作るために。
「だから……影鬼の価値を、魔王市場に認めさせてやる」
セリアの目が鋭くなる。
「……K。私も影市場で同じように挑んだ。
でも、そこで見たのは“正しさ”じゃなく、“都合のいい結果”だけだった。
ゼグラントはそういう世界を支配してる」
「ああ、そうだな。だからこそこれと同時に、
影市場の人・モノ・金・魔力の流れを影鬼を使い常時監視体制をとる」
Kはそう言いながらも、胸の奥に小さな違和感が残った。
本当に、それでゼグラントの動きを完全に抑えられるのか?
セリアは腕を組みながら答える。
「情報は任せて。あなたの影鬼とうまく連携が取れるようにしないとね」
Kは影鬼を見つめる。影の中で静かに揺れる存在。
だが、今は妙に頼りなく見えた。
セリアの言葉を信じきれない自分がいた。
不安が胸をつく。
今は、これが最善だ。そう思い直し、再び前を向く。
こうしてKの戦術は、形になりつつあった。
喉が渇いた。単なる戦略では済まない戦いが始まろうとしていた。
『速報:「影鬼戦術」新たな革命か? 投資家たちの間で議論沸騰!』
『影の魔王K、影鬼戦術による戦争を宣言』
しかし、市場には別のニュースも広まる。
『影鬼、制御不能? 市場に不安の声』
『暴走する影鬼? Kの戦略に疑問』
Kは報告を受け、険しい表情を浮かべた。
影鬼たちは、確かに静かに佇んでいる。
だが――何かが違う。
指先が、じわりと冷えた。意志が、届いていない?
「……影鬼が、指示を……無視してる……?」
「いや、まさか……けど、もし――」
セリアが苦笑する。
「市場は熱しやすく冷めやすいわ。
あなたの影鬼が暴走したと噂が広まれば、一瞬で価値は崩れる」
Kは影鬼を見つめる。
影の中で揺れる存在。
これがもし本当なら……影鬼のブランド化どころか、全てが終わる。
「Kの“影鬼戦術”……どう思う?」
低い声が、静かな部屋に響いた。
豪奢な机を囲む男たちが顔を見合わせる。
「……暴走のリスクはあるが、実際にどの戦争も影鬼が勝敗を左右している」
「リスクを織り込んでも、魅力的な投資対象にはなり得る。
今、我々が手を引くのは早計では?」
市場に、ざわつきが広がっていった。影鬼を巡る賭けは、まだ終わっていない。
Kは市場の情報網からの報告を受け、影鬼の評価が揺らぎ始めていることを知る。
「……まだ持ちこたえている。だが、問題は——」
そのときだった。
✦✦✦ 《裏切りの瞬間》 ✦✦✦
「……なあ、K……すまない」
不意に、低い声が響いた。
「……お前が変わったって聞いて、少しは期待してたんだけどな」
「でも、今の動きじゃ……俺には“勝ち筋”が見えなかった」
Kが振り向くと、そこにいたのは ヴェルン。
かつてKが最も信頼を寄せ、何度も局面を共に乗り越えてきた投資家だ。
その彼が、今、背を向けようとしている――。
「……何のつもりだ?」
ヴェルンは一瞬、口を開きかけて……わずかに躊躇った。
目を逸らすように、手元の書類に視線を落とす。
「……K」
不意に聞き慣れた声が響いた。
だがその響きは、いつもより低く、どこか躊躇いを孕んでいた。
振り向くと、そこにはヴェルンがいた。
肩越しに視線を合わせることすらなく、彼は手元の書類をいじっていた。
「……悪いな。言いたくなかったんだが」
Kは立ったまま、わずかに目を細める。
「何が、だ?」
ヴェルンはほんの少し口元を歪めた。
「影鬼……見てたよ。面白かったし、可能性も感じた。でも……」
一拍、空気が沈黙で固まる。
「俺は……ここで降りるよ」
Kの背筋がわずかに緊張した。だが顔には出さない。
「取引は白紙だ。もう資金は出さない」
目を合わせずに言い切ったヴェルンは、
まるでそれが唯一の自己防衛の術だと言わんばかりだった。
Kの声が、低く落ちる。
「理由を聞こうか」
ヴェルンはついにKの目を見た。
そこにはかすかな痛みが浮かんでいた。
「……お前に賭けたつもりだった。でも、たぶん違ったんだ」
「……俺たちは“K”に賭けたんじゃない。“勝ち馬”に乗っただけさ」
その言葉は静かで、どこまでも残酷だった。
Kの指が、わずかに震えた。拳を握り込む。
「……そういうもんかよ」
わずかに震える声。それでも、崩れた表情は見せなかった。
ヴェルンは一歩下がると、名残惜しそうに言葉を継いだ。
「……戻ってこいよ。お前なら、まだやれるって思ってたよ……ホントはな」
そう言って彼は踵を返す。
Kは何も返さなかった。影鬼が静かにうごめくだけだった。
ピクリと指が動いた。空気が張りつめる。
一瞬、何も言葉が出なかった。
それでもヴェルンは、平然とした顔で続けた。
「そういうもんだ。悪く思うなよ」
「……ただ、これだけは本音で言っておく」
「次に会うとき、お前が“勝ってる側”なら……そのときは、俺も賭ける」
Kの指が、わずかに動いた。だが、その口は固く閉ざされたままだった。
影鬼の市場価値が揺らぐ中、
K自身が「信頼していた投資家の裏切り」という、
新たな問題に直面することになった。
Kは短く息を吐いた。
「“勝ってる方が正しい”なんて、そんな市場の決め方を、俺は認めない」
影鬼の存在が揺らぐなら、それを操る側の力が試されるだけだ。
そうして初めて、市場は「価値」を認める。
Kはゆっくりと拳を握る。
「……刻む」
「この名を、この影を、市場という地図に――」
その呟きが、Kの胸に静かに落ちた。冷たく、揺るがぬ意志とともに。
静かに揺れる影の気配とともに、市場戦の幕は、静かに――だが確実に、上がろうとしていた。
【次回予告 by セリア】
「――強さってね、攻めにあるとは限らないの。……でも、守るしかない者は、壊れるときも派手よ」
「鉄壁の魔王カストール、完璧な防衛のはずだったのに。次回《市場は城を落とす》、『崩れゆく要塞、揺らぐ数字』。
要塞が崩れるとき、それは“刃”じゃなく、“市場の噂”に殺されるのよ」
「セリアの小言? そうね……“重ねた防壁ほど、資金に縛られる”。それがわからない時点で、勝負は始まってすらいないわ」




