#5−3:語られぬ力
✦✦✦ 《影の底にて》 ✦✦✦
荒れ果てた砦。
そこにいま、影鬼たちが巣食っていた。
漆黒の空気が満ち、壁に沿って影が蠢く。
静寂が、逆に空気を押しつぶしていた。
影鬼たちは、音もなく蠢いた。ただ、Kの意志だけを拠り所に。
焦燥が胸に滲む。Kは、影鬼から目を逸らさなかった。
「……これを“使う”だけじゃ、誰も振り向かないってことか」
脳裏に浮かぶのは、冷ややかな投資家たちの視線。
市場は、力だけでは動かない――Kの中に、ようやくその認識が芽生え始めていた。
『支配領域の拡大だけでは不十分だ。』
Kは指先をこすりながら考える。
影鬼をどう売り出せば、市場が“必要とする”存在にできるか――?
壁の影が揺れる。
だが、その揺れは何の答えもくれなかった。
魔王取引所で聞いた投資家たちの冷酷な言葉が、Kの脳裏をよぎる。
『市場では、成長性がない者には誰も投資しない』
『支配するだけじゃダメなんだよ。市場は、それ以上の“期待”を見たがる』
Kは指先で親指の関節を軽くこする。
影鬼の価値は、確かに築きかけている。……だが、投資家たちは、何を見ている?
冷静を装いながら、思考をかき回した。
……影鬼の力だけでは、不十分だ。
なら、何を――市場に、何を見せるべきなんだ?
背後から、セリアの声が響く。
「考えるべき時ね」
振り返ると、彼女は鋭い視線を向けていた。
「考えるべきって、何をだ?」
セリアは軽く肩をすくめる。
「強ければいいって思ってる? ……でも、それは戦場の話。
市場はね、“未来の絵”が見えないものには金なんて出さないのよ」
Kが口を開こうとするが、セリアはその言葉を遮るように続けた。
「影鬼は、確かに優秀よ。
でもK……今のあなた、“その兵器をどう見せたいのか”すら、まだ定まってないの」
その声は冷たいのに、どこか優しさを含んでいた。
「市場は、ただの“意志なき武器”なんて求めてない。――少なくとも、私はね」
「強さに投資? そんなの、戦争に巻き込まれたい奴のやることよ」
Kは目を細める。
どうやら……市場が欲しがっているのは、強さじゃない。
そう単純じゃないってことだ。
セリアは片手を口元に当て、少し考え込む素振りを見せた。
「投資家が……そうね、“あなたに賭けたくなる理由”を作らなきゃね」
Kは静かに視線を落とした。
「……“理由”か」
Kは黙考する。自分が、誰かに選ばれる理由。そして、影鬼に“そんな顔”をさせる理由――。
市場の次の一手を、彼の視線は静かに見据えていた。
セリアは微かに笑う。
「市場ってのはね、強さだけじゃ動かないのよ」
「動かすには、“物語”がいるの」
Kは黙り込む。
影鬼を市場で語られる“物語”にしなければならない。
Kは唇を噛んだ。
ただの“力”ではだめだ。……それをどう見せるか、何のために動くか。
そこに“意味”がないと、市場は動かない。
砦の外。冷たい風が吹き抜ける。
目の奥で何かを探すように、Kは影鬼を見据えた。
静かに佇む。
……だが、違う。
まるで夜の闇に溶け込む亡霊。
……だが、違う。
それだけじゃ、ない。
Kは、深く息を吸い込み、静かに吐き出した。
「こんなもんじゃ、誰も振り向きやしない……くそ、まだ足りないのかよ!」
投資家の声が頭に残る。
“選ばれる理由”を作れって……それは、物語を作れってことか?
影鬼を……“欲しがられるもの”に、変えなければ、か……。
黒い霧のような影が揺れる。
意思を持つかのように――いや、違う。
……この揺れは、ただの動きではなかった。
黒い影が、まるで“誰かに抱きしめてほしい”と願うように――微かに震えていた。
何かを、成し遂げようとしてる――そんな“心”みたいなものが、そこにある。
警戒か、怒りか――もしかすると、助けを求める何かかもしれない。
セリアの声がすぐ背後から届いた。
「どうかしたの?」
……声が、わずかに震えていた。
「K様、報告があります!」
砦の扉が乱暴に開かれた。
✦✦✦《揺らぎに抗う声》 ✦✦✦
駆け込んできた部下の顔色が悪い。
「影市場で、ゼグラント派が『影鬼はKにも制御できていない。
“いつ暴走してもおかしくない、危険なブラックボックス”だ』って噂です!」
Kは報告を聞いた瞬間、顔を上げた。
「市場での反応は?」
「投資家たちは、“あれはいつ暴れてもおかしくない爆弾だ”って……といった声が広がり、
影鬼の価値が急落しています!」
ゼグラント……また仕掛けてきたな。
Kは目を細めた。
影鬼は、Kの意志に従う。
……はずだった。
では、なぜ暴走の噂が流れる?
いや――もし、それが「事実」なら?
「……暴走する可能性も、否定できないのか」
Kは影鬼を見つめた。
次の瞬間、腰の刃に手を伸ばしかけて――止めた。
心の奥がざらついた。これを殺すことで、すべてが終わるとわかっていた。
……だが、それで本当に終わるのか?
指先に残る冷たさを、セリアには見せなかった。
「お前はどう読む?」
静かに問いかけると、セリアは一度視線を落とし、ふっと息を吐いた。
「……怖いのよ、K」
Kはわずかに目を見開いた。
「あなたが、今ここであの影を斬るって決めたら、私、もう……あなたを信じられなくなるかもしれない」
一瞬の沈黙。彼女の手が、そっとKの袖を掴んだ。
Kは冷静に影鬼を見つめた。
異常は間違いない……制御が乱れたか? それとも外部の干渉か?
影鬼の動きには意図がある。
単なる暴走ではない……。
鋭い影の爪が、Kの喉元へと迫る。
「K!」
セリアの声が響く。
Kは瞬時に影への同化を発動し、空間に溶け込む。
影鬼の一撃は空を切り、砦の床を削った。
繋がりが切れている……。いや、それだけじゃない。
Kは影の中から影鬼を見つめた。
わずかに震えている。
その揺れは、獲物の気配を感じた野獣のような反応だった。
Kはただ影鬼を見つめていた。
……問いを投げるような視線で。
影鬼の瞳が、揺れた。
その奥に、形にならない問いがあった。
「……お前は、俺をどうしたい?」
声なきその問いに、Kの胸が鈍く痛む。
一拍の沈黙が、胸を打つ。
影鬼はKの背後へと静かに滑るように移動した。
その視線は、誰にも見えぬ“何か”を睨みつける。
Kには感じ取れない。だが影鬼には――わかっていた。
守らねばならないものが、自分のすぐ後ろにいることを。
見えないはずの空間が、ざわりと震えた気がした。
Kは無意識に息を止めた。
「K!」
叫びが響く。
影鬼の爪が、空間を裂くような軌跡を残す。
その動きには、迷いも言葉もなかった。
だが、届く前に影が弾けた。
――その瞬間、動きが消えた。
静寂の中、微かな音が残る。
Kの耳に残ったのは、自分の呼吸と――影が消えた、刹那の残響だけだった。
……影は静まり返っていた。だがその奥で、物語が、確かに始まりつつあった。
その静寂の中、風のないはずの砦に、剣の音が鳴った。
音が、割れた。
闇の底から、鋼のきしみが這い上がる。
影が裂けた。空間が、悲鳴をあげた。
黒銀――それは鎧だった。
ゆっくりと現れる。背筋は、剣のように伸びていた。
目に光はなく、だが確かに“理”の気配を纏っていた。
「影鬼は影であって、鬼ではない。制御されねばそれは、ただの獣」
声と共に、その男は歩み出る。
影の裂け目から抜け出したその存在――セルバス。
Kはすぐに名を理解した。己の“意志”が呼び出したもう一つの存在。
「お前は、俺に命令するのか」
そう問いながらも、Kの声には怒りも反発もなかった。確認だった。
セルバスは静かに首を横に振る。
「指示ではなく、忠告です。……我らの誇りのために」
セルバスは影鬼の前に進み出ると、その気配だけで影鬼の動きを止めさせた。
鎮めるのではない。否定するのでもない。
ただ、“理性”として立つ――それだけで、影鬼は応じた。
Kは影鬼を見やった。
その瞳が、少しだけ――何かを訴えるように震えていた。
【次回予告 by セルバス】
「恐怖は、価値にも毒にもなり得る。支配とは、常にその境界を歩く行為だ」
「影鬼の異常、K様自身への疑念……揺らぐ視線の先に在るのは、“信頼”か、“不安”か」
次回《境界の揺らぎ》、『Kというリスク』。
価値が揺れるとき、真に試されるのは“制御する意志”だ。
「セルバスの小言? そうだな……混乱に価値を見出すのは市場の自由だ。だが、混乱に飲まれた者が“主”を名乗る資格はない」




