#1−2:逆理の刻印
✦✦✦《召喚は収穫である》✦✦✦
「――ようこそ、選ばれし “召喚者” たちよ」
低く、空洞のように響く声。
振り返ると、神殿の中央に立っていたのは、“漆黒の法衣をまとう男”。
その背後に無表情の神官たちが静かに並び――場を支配していたのは、沈黙と緊張だった。
男は冷たい目で、一人ひとりを見渡す。
それは、人を“価値”として測る視線だった。
「君たちがここに呼ばれた理由。それは単純だ」
一拍置く。
「英雄? ……いや、そんな洒落たもんじゃない。
お前たちは“魔力資源”だよ。鉱石と、そう変わらん。
ただ掘って、削って、中身を抜いて、魔晶石に……変えるだけの“鉱脈”だ」
「鉱山を穿ち、田畑を耕し、家畜を育てるのと同じだ。
召喚魔法は、収穫の一種――外界から“高濃度魔力”を得る手段に過ぎない」
場が凍る。
「資……源?」
誰かの震えた声が漏れた。
「英雄じゃ……ないのか……?」
周囲に戸惑いのざわめきが広がる。
「嘘だろ……そんな、ために……」
少年の怒声が飛んだが――。
「黙れ」
一言が、場の温度を一瞬で凍らせた。
「この世界じゃ、召喚者の命なんて――“使い道”でしか値段がつかない」
「学歴、出自、能力……貼られたラベルが、すべてを決める」
「“神の理”? そんなもん、口実に決まってる。結局は人族の都合で決めるんだ。名前を貼って、値段をつけて……使えなきゃ、ポイだ」
資源――。
Kは瞬時に、使い捨ての消耗品扱いだとその意味を理解した。
だが、納得する必要はない。
「これより、魔力量を測定し、適性を判断する」
壇上に、光の文字列が浮かび上がる。
数値で、命の値段を決める。そんな装置だった。
この世界では、魔力がすべてだ。血よりも重く、命よりも価値がある。
召喚された者は、“掘られる”存在にすぎない。
どれだけ叫ぼうと、抗おうと、意味はない。
ただ、“使い道”があるかどうか――それだけで、生きるか捨てられるかが決まる。
それは―― 。
「召喚者リスト」
Kは文字を見つめた。
しかし、その詳細を見る間もなく、男の声が場を支配する。
「召喚者がこの世界に存在を許される条件は、ただ一つ。“使えるかどうか”。それだけだ」
静寂が押し寄せる。
神殿の兵士たちは無言で周囲を囲み、誰もが息を潜めた。
拳の奥で、感情が静かに燃えていた。
だが、それを表には出さない。それがKという存在だ。
✦✦✦《資源の選別》✦✦✦
測定が始まる。
召喚者たちは一人ずつ壇上へと進み、光の輪の中央に立つ。
神官が淡々と結果を読み上げるたび、場の空気が変わっていく。
「魔力量【C】。適性:一般戦闘兵」
「魔力量【B】。適性:高位戦士」
「魔力量【A】。適性:王族護衛候補」
数値によって、運命が決まる。
安堵する者、絶望する者。
Kは、静かにその様子を見つめた。
誰がどれだけ“使えるか”。この場では、それだけが全てだった。
測定器は命ではなく、資源の密度を量る道具。
ここに並ぶ者たちは、心を持った鉱石として“等級分け”されていく。
自分も、これで何かわかるのか? と息を呑む。
やがて、Kの番が訪れる。
壇上に立つと、全員の視線が彼に集中した。
「触れろ」
その言葉には、命令とも呼べない、ただ吐き捨てるような響きがあった。
“他に言うことなんてない”――そんな諦めにも似た、温度のない声。
Kは一瞬、躊躇した。
何かが、おかしい。
だが、把握するには情報が足りなすぎた。
まずは全てを見極めるべきだとは思っても、周りがそれを許さない。
この場に違和感を覚える……ならば、何かが根本的に歪んでいるのか。
そんな直感が、頭の奥で警鐘を鳴らしていた。
しかし――。
兵士たちが動く気配を見せる。
Kは指先を伸ばした。
ほんのわずかに震えていたのは、恐れか、それとも……ただの躊躇か。
いずれにせよ、触れなければ前に進まない。
――そんな気がしていた。
瞬間――。
轟音が響いた。
黒い髑髏の水晶が、激しく脈打つ。
測定器……のはずなのに。怒ってる?
違う。まるで、この場所そのものが、Kを拒んでいるようだった。
空間が“軋む”音が、石床から響き始めた。
天井の魔法文字が一瞬、逆回転し――赤黒く点滅する。
神殿の壁面に張られた結界模様が、あたかも「拒絶の意志」を示すように、ひび割れながらゆっくりと螺旋を描いていく。
燭台が震え、神殿全体が不穏な波動に包まれた。
「なんだ、この反応は……」
神官が思わず声を漏らす。
「測定不能? ……いや、“制度の都合上、測れないことにする”んだ」
“抽出不能”……。それはこの制度にとって、何よりも厄介な存在だ。
使えない鉱脈は、掘られもしない。
歪んでいようが、規格外だろうが――扱えないものは、なかったことにする。
それがこの世界だ。
神官の声が震えたその時、Kの影が――わずかに笑ったように揺れた。
それは魔力ですらない、“何か”の脈動だった。
K自身、気づいていた。
Kにはわかっていた。あれは魔力なんかじゃない――もっと別の、“何か”がそこにいた。
通常、召喚者とは、“掘って使う”ものだ。
この世界において命は、耕し、刈り取り、絞り出される存在でしかない。
だが、Kだけは、世界の道具にならなかった。
それは、制度にとって“掘削不能”という、最悪の異常だった。
決められた手順では扱えない。分類も制御もできない。
だからこそ、それはただの異常ではなく、制度の前提を否定する存在だった。
それは、ただの異常じゃなかった。
制度が積み上げてきた“当たり前”そのものが、Kの存在によって否定された――そんな気配が、空間ににじんでいた。
✦✦✦《測定不能》✦✦✦
“測定不能”とされた者は、過去にも数例あったが――。
その多くは記録ごと、速やかに抹消された。
この制度で、数値化できない者は“制御不能”とみなされる。
そして――例外なく、排除される。
神官の胸の奥を、ある記憶が掠めた。
“第十七”――過去、測定不能となり制御できなかった召喚者。
あの時と、まったく同じ空気だった。
神官たちがざわつき始める。
天井の魔法陣がわずかに明滅し、どこからか石の軋むような音が響いた。
一人の神官が、思わず口元を押さえる。
その顔は蒼白に染まり、わずかに後ずさる者もいる。
光の水晶が脈打つたび、空気が軋むような感覚――“場”そのものが嫌悪を訴えているかのようだった。
神官の足元にまで広がる魔法陣が、ほんの一瞬だけ“別の図形”に変形する。
金色のはずだった光の輪郭が、影のように黒ずみ、光源のないはずの場所に“逆光”が走った。
その異様な反転現象に、数名の神官が思わず祈祷の構えを取ったが――呪文は、声にならなかった。
不安、驚き、疑念。
誰もが、違う目でKを見ていた。
怯え、驚き、あるいは疑い。
水晶の光は、壊れかけた心臓のように不規則に脈打ち、
神殿そのものが生きて拒んでいるかのようだった。
……異常だったのは水晶だけじゃない。
空間そのものが、Kの存在を拒絶しながらも、どこか――従っているようにも見えた。
Kの手の甲に、黒い螺旋状の紋様が浮かんだ。
意志を持つかのように脈打つそれは、眠れる異端の“存在証明”だった。
「……見たか、あの紋様。あれ、制度下にない……」
若い神官が、声を押し殺して呟いた。
「……報告には及びません、第一上級官。まだ観測が――」
「黙れ、副補佐。これは“理の逸脱”だ。もはや処理の次元にない」
「影の因子か? ……違う、もっと原始的で、根源に近すぎる」
老年の神官が、背後の魔導板を手に震えながら走査した。
「……やめろ。それ以上は……“起源”に触れるな。記録も……触れるな……」
「このままでは、“制度の根幹”が揺らぐ……誰にも気づかれるな」
「記録は改竄する。“正常範囲外”は存在しなかったことにしろ」
✦✦✦《拒絶された命》✦✦✦
神官たちは顔を見合わせ、誰も最初の一歩を踏み出そうとはしなかった。
Kは、脈打つ水晶を見下ろした。
測定不能。確かに、前例は存在する――だが、拒絶までされた例など聞いたことがない。
けど、拒絶された。それは、ただの「評価不能」ではない。
世界が、彼の存在そのものを――否定したということだ。
Kは静かに目を伏せた。
世界の枠に、最初から自分は含まれていなかった――。
その現実を突きつけられても、彼の心は不思議と静かだった。
……怖い。
頭じゃ理解してても、心のどこかが震えてた。
その震えの奥から、小さな……ほんとうに小さな声がした。
まるで、置き去りにされた子どもみたいな。
そのとき――。
黒衣の男が息を詰まらせたように呟く。
「……まさか、本当に――存在の枠から外れている……?」
「制度の外か……これは、記録不能どころの話じゃない」
黒衣の男が呟いた。
その瞬間、 周囲に微かな耳鳴りが走る。
神官の額に、一筋の汗。
空気は張りつめ、誰かが唾を飲み込む音だけが響いた。
すぐそばで、兵士の手が、わずかに剣の柄を鳴らす。
その目には、驚きではなく――。
警戒。
神官の一人が思わず一歩後ずさる。
さらに、近くの兵士が咳き込んだ。
空間に漂う空気が、ほんのわずかに濁ったように見えた。
「……こんな反応、制御不能に決まってる。
あれは“人間”じゃない……何か、もっと原始的な“混じりもの”だ」
その一言が、Kの中の何かを確かに壊した。
怒りでも、哀しみでもない。
理由のない喪失感だけが、静かに胸の奥で崩れていく――。
――“今、ここでは声を出すな”。
突如として、Kの意識の奥で、ひどく静かな声が響いた。
それは思考の延長ではなかった。
感情でも、本能でもない。
あまりにも冷たく、異質で、それでいてどこか“懐かしさ”すら感じさせる声だった。
誰だ? とKは内心聞き返すが、返事は期待できるはずもなく。
ただ、沈黙の奥に“確かな気配”だけが残った。
Kは拳を握り直した。
掌に残る冷気が、拒絶の証――だが、それだけで終わるつもりはない。
世界が拒むなら、その意味ごと塗り潰してやる。
俺の存在が、秩序を書き換える始まりになる。
Kは、男の目を真っ直ぐに見返した。
「……“いらない”って? なら、いいさ」
Kは魔力水晶を見下ろしたまま、微かに笑う。
「資源? なら見せてやるよ。“使い物にならない”って言葉の意味をな」
空間が静かに軋み、神官たちの背に冷気が走った。
✦✦✦《逆流の刻印》✦✦✦
Kは水晶を睨みつけた。
世界が……少なくとも、何かが俺を受け入れたのかもしれない。
じゃあ今度は……制度の方が、試される番ってわけか。
自身にできるかは、分からないけどな。
けど……やるしかない。そう思った。
――その瞬間、空気がわずかに震えた。
……まるで、何かが応えたようだった。
「……俺の“拒絶”が、世界に届いたのか?」
天井に走る魔法文字が、鈍く唸りを上げた。
石造りの天井が、不快な音を吐き出すように揺れた。
魔法陣が“逆回転”を始める。
……世界の歯車が、逆に噛み合った――そんな感覚だった。
刻印の輪郭がにじみ、魔法陣の文字が赤黒く染まっていく。どこか、血の気を失ったような色だった。
通常は時計回りだった光が、反時計回りにうねり始めた。
回転の中心――Kの足元に、空間そのものが“すり鉢状”に歪み、中心へと引き寄せられていく感覚が生まれる。
立っているはずなのに、地面に吸い込まれていくような“落下の錯覚”が、背筋を冷やした。
そして――それを証明するように、空間が唸りを上げる。
「まさか……術式が……逆流している?」
神官が叫ぶ。
天井の文字列が、赤黒い光を帯びながら崩壊を始めた。
空気が重く沈み、他の召喚者たちが膝をつく。
Kの足元に広がる魔法陣だけが、なお静かに――しかし、異質に輝き続けていた。
「……干渉してる……この空間に、“上位権限”を持っているのか……?」
誰かが呟く。
その声が、神殿の中心に沈んだ。
Kの手の甲に黒い紋様が浮かび上がる。
その刻印が、神の秩序すら変えるなんて、まだ誰も思ってなかった。
……けれど、Kはどこかで分かっていた。それが始まりだということだけは。
そして、その刻印がもたらす異変は、まだ誰も知らない。
……“神の秩序”さえ、例外ではないことを。
Kは、ただ水晶を見つめたまま、微かに笑った。
その刻印が、ゆっくりと光を放ち――やがて沈黙する。
神官たちは言葉を失い、誰も動けなかった。
……制度の歯車が、音もなく、ずれはじめていた。
魔力も、命も、この世界では収穫物にすぎない。
田を耕し、獣を屠り、鉱石を割るように――召喚された者たちは“使われて”きた。
だが、Kという存在は、使われることを拒んだ。
採掘されるはずだったKが、逆にこの世界を拒んだ。最初に異変を起こしたのは、制度じゃなく、彼自身だった。
「……名も、存在も、他人に決めさせはしない」
✦✦✦
【次回予告 by セリア】
「“想定外”って、便利な言葉よね。
理解できないもの、制御できないもの、扱えないもの――
そういうのは全部、“制度の外”ってことにすればいいんだから」
「次回、《制度の外》。
拒絶された召喚者、“K”。
その声は、正しさの仮面をかぶった制度に、はじめて“異議”を突きつけた」
測定不能。登録なし。想定外。
……でもね、“それだけで処分できる”と思ってたなら、制度の方が甘いのよ。
「セリアの小言? そうね……“掘られてない”ってだけで、
ただの石ころ扱いするからよ。
でも時々いるの。“自分で掘り進んでくる鉱石”が――制度の床板をぶち破って、ね」