#4−10:支配の代償
✦✦✦《影の魔王》 ✦✦✦
「恐怖と期待――それさえあれば市場は動く。数字や理屈なんて、飾りにすぎない」
……Kはそう“信じ込んでいた”。
それこそが、彼の思う魔王市場の“本質”だった。
だが――違った。
その背後には、もっと冷たくて静かな“何か”が、蠢いていた。
誰にも気づかれないまま、
確かに――そこに、影がいた。
バルトグスの市場評価は急落し、彼の存在は市場から消えつつある。
だが、Kの心の奥底では、確かな違和感が芽生え始めていた。
【魔王市場ランキング:最新評価変動】
▶ 影の魔王K:爆発的上昇(市場期待値、異常レベルで膨張中)
▶ バルトグス:急落暴落(資本流出が止まらず、撤退警報ライン突破)
影の魔王Kの評価は、この短期間で急激に上昇した。
市場は彼の「影を使った無血支配」に強く反応した。
まるで、何かを待ち望んでいたかのように。
新規投資家たちは次々と、資本を投じていった。
しかし、一部の投資家は警戒もしていた。
影の支配は不安定であり、Kの影鬼が制御不能になるのではないか――。
そう囁かれる声が市場の隅々で広がり始めていた。
対照的に、バルトグスの評価は崩壊しつつある。
評価指数が-70%を超えたことで、大口投資家たちは撤退を開始。
売りが売りを呼び、彼の市場価値は加速度的に下落していた。
セリアがKの肩越しに浮かび、彼の横顔をじっと見つめて微笑む。
「市場は、あなたを認め始めたわ」
そして、ほんのわずかに声色を冷たくして続けた。
「市場は、“期待”に応える者を……褒めるわ。けど、出せなかったら――誰であろうと、見捨てるのよ」
一瞬、空気が冷たくなった気がした。
彼女の言葉は、冷たさと満足が混じったものだった。
だが、Kは目を細めながら、静かに市場の評価を映す魔導スクリーンを見つめていた。
Kの視線は魔導スクリーンに向けられたまま、微かに揺れた。
市場の反応に、心の奥で生まれた小さな違和感。それは、すぐにかき消される。
この世界において、迷いは死を意味する――Kはそれを誰よりも理解していた。
✦✦✦ 《支配領域の拡大》 ✦✦✦
Kは、まず手始めにバルトグスの旧支配領域を掌握することに着手した。
敗北した彼の領地は、まるで孤児のように市場の片隅に放置され、狙う者たちが群がっていた。
だが、Kはその群れの中に入らない。
普通の魔王候補ならば軍勢を送り込んで占領戦を始めるところを、Kは影鬼を送り込むだけだった。
「……いいさ。影鬼にやらせる」
足元の影が、その言葉に応じるように、音もなく広がっていく。
その動きは静かで、無機質で、どこか人間らしい意志すら感じさせた。
城壁の隙間を這う、湿った影。
通りの足元を滑り、商人たちの目に気づかれないまま行き交う。
街の灯りが何の前触れもなく消える。
商人たちは口を噤み、ただ小声で囁き合う。
「何かがいる……」
「闇の中で、何かが動いている……」
影鬼は、まるで夜そのものだった。
気づいた時には、すでにすべてが終わっていた。
市場速報が静かに流れる。
影だけで領地を奪った――戦わずに。
気づけば、市場が……ざわつき始めていた。
誰も、何が起きたか、正確には言えなかった。
異様だった。いや、それ以上に……説明のつかない何かが、空気の下でざらついている気がした。
住民たちは恐怖を抱えながら、次第に服従を誓い始める。
見えない「何か」がいる――ただそれだけで、彼らはKを受け入れるようになっていった。
「……戦いもせずに、影鬼が……全部さらっていくのか」
Kは冷静にスクリーンを見つめていたが、胸の中に微かな不協和音を感じていた。
✦✦✦ 《市場戦略の不確定性》 ✦✦✦
市場は、Kの「影の戦術」に強く反応していた。
その動向は、一部の投資家たちを興奮させる一方で、ある者たちを警戒させる。
「無血制圧……だと?」
「支配領域が拡大しているが、彼の影鬼は大丈夫なのか?」
市場のざわめきは、喜びと不安が交錯するもので満ちていた。
Kはそれを冷静に観察しながら、ふと考えを巡らせる。
支配は……数字だけで語れるものじゃない。
けれど――影鬼がどこまで俺の意志に従うか、それが一番の不安だ。
影鬼は市場の動きと連動するかのように、次第に自立した意志を持ち始めている。
……じわじわと胸の奥で、“それ”は脅威に変わっていく気がしていた。
Kの命令を受けた影鬼は、確かに領地を掌握し始めていた。
だが、Kが把握していない動きを見せる影鬼も現れ始めていた。
ある影鬼が、命令を受けずに一人の商人の屋敷を覆った。
その商人は、Kの支配を受け入れていたにもかかわらず、その影に飲み込まれて消えてしまう。
「影鬼が……勝手に?」
いや、そんなはずは……でも……。……違う、違うはずだ。けど――なんで、今、こんなに寒気が……?
Kは眉をひそめた。……いや、気のせいであってほしかった。
そう思いたかった。けれど、背筋にじんと冷たいものが這い上がる。
理由もなく、影が怖いと思った。
もし影鬼が、俺の意志を超えて支配を始めるとすれば――。
「市場も影鬼も、“支配しよう”とした瞬間に――牙を剥く」
今、静かにしてるのは……たぶん、偶然だ。
Kは静かに目を伏せた。
「市場は、人が作るものじゃない。生き物みたいに、思い通りにならない時もある」
……人が作った“つもり”でいるだけかもしれない。
どう見ても、野生で……思い通りにならない時のほうが、多いくらいだろう。
……影鬼は、動かない。
ただ、縁が、揺れていた。
呼吸? 違う。そんなはずない。
でも、規則があるような……いや、気のせいか?
Kは無意識に、足を引いた。
……それが、自分の呼吸のリズムと、かすかにズレている気がした。
セリアは、Kの様子を冷静に観察していた。
「K、影鬼が……もし暴れたら……そのとき、あなた自身が……飲まれることになるかもしれないわよ。
ほんとに、それでもいいの?」
Kは彼女の警告に一瞬だけ眉を動かし、すぐに平静を装った。
「……俺が? ……いや、本当か?」
セリアの声には、静かな確信があった。
「影鬼は、あなたの一部――でももう、“あなたの影”じゃない。
暴れたら最後、市場も……あなた自身も、“飲まれる”ことになるわよ」
「……私は、もう“誰か”に飲まれるあなたなんて見たくないのよ」
一呼吸おいた。
「でも……私には……飲まれてもいいのよ?」
セリアは、意味深な薄笑いと共に、Kの瞳をまっすぐ見つめていた。
セリアの声には、いつもと違う温度があった。
それが不安だったのか、それとも……期待していたのか――K自身にも、わからなかった。
Kは答えなかった。
まぶたがわずかに震え、セリアの言葉が胸に沈んでいくのを、黙って見届けていた。
だが、心の中では答えを模索していた。
影鬼の“進化”? 市場に呼応してる……いや、違う。
俺の感情か? それだけじゃない、何かが――。
いや、そもそも「進化」なのか?
影鬼は、俺の影から生まれたはずだ。
だが―― 何かが違う。
市場が荒れるたびに、影鬼の揺らぎが増している気がする。
だが、本当にそうなのか?
市場が影鬼に引かれたのではなく、影鬼が市場に引かれている可能性は――?
Kの頭の中で、無数の仮説が浮かぶ。だが、そのどれもが確信には至らない。
Kが再び影鬼を送り込む準備をしていたとき、不意に足元の影が揺らいだ。
それは、波打つような単純な動きではなく、不規則で異質な動きだった。
まるで意思を持つように、影が波打っていた。
……止まらない。いや、止めていない?
Kには、それが“笑い”に見えた。
その“嗤い”は、どこかでK自身の顔にも似ていた。
支配者の仮面が、内側からひび割れていく音が聞こえた気がした。
影の動きに違和感を覚えた瞬間、Kは反射的に足を引いていた。
……何だ、今のは?
波打つ影が、かすかに“嗤って”いるように見えた――音もなく、だが確かに。
まるで意思を持つように、影が波打っていた。
その波打ちは、音もなく、しかしぞわりと背を撫でるような嗤いだった。
静かな戦場の闇の中で、影鬼がKを嘲笑っているかのような感覚。
Kは拳を握りしめ、無言で立ち尽くした。
✦✦✦《影の魔王、台頭》 ✦✦✦
市場はKを持ち上げ、支配領域を広げる影鬼は止まらない。
だが、その影がK自身を飲み込むのか、それとも新たな力として彼を支えるのか――。
遠く、影鬼の一部が静かに笑う。
Kの影響力が広がるたびに、それは「影の彼方」で蠢き続けている。
Kはスクリーンを見つめた。
だが――何かが違う。
指が僅かに動いた。呼吸が浅くなる。
影鬼の揺らぎに、無意識に拳を握りしめる。
そして――突然、市場が逆方向に動いた。
「な……?」
Kの手が止まる。意図しない変動。
これほど大きな資本移動は予測していなかった。
「……恐怖が、期待を超えたか」
Kは息を飲んだ。
「――チッ。操られてたってのか……!」
無意識に拳が震えた。
Kは口元を歪め、皮肉めいた笑みを浮かべる。
だが、その目だけは、冷えたままだった。
期待と恐怖――それらの波に乗ったつもりで、踊らされていたのは自分だったのかもしれない。
Kは苦笑を浮かべながら、魔導スクリーンに視線を戻した。
Kは、どこかで引っかかる感覚を拭えなかった。
期待と恐怖――そのどちらにも、同時に片足を突っ込んでいるような不安定さがあった。
魔導スクリーンの数字は、今も脈打つように揺れていた。
数字が、また揺れている。脈打つように。
俺の脈が……それに引っ張られている?
息苦しい。この揺れ――何かが、違う。
その揺れは、市場か、影か、それとも――K自身か。
わからない。けれど、確かに感じている。
静かに、何かが“芽吹いて”いる。
「……何かがおかしい。読み切れていないのか?」
意図したはずだった。
だが、どこかで、何かが違う。思考がまとまらない。
スクリーンの数字が暴れ、Kの指が一瞬、震えた。
読み切っていた――はずだった。
だが今、影も市場も、自分の意思から離れて動き出していた。
Kは歩みを止めない。
背後の空気が、ほんの一瞬だけ静かに澱んだ気がした。
歩みを止めた瞬間、足元から影が這い上がってくる気がした。
……次の波が彼を運ぶのか、それとも――飲み込むのか。
次の瞬間、K自身が“支配される側”に堕ちる可能性を――誰も否定できなかった。
……影は、常に足元にある。
翌日。
市場は静かだった。あまりにも静かで、Kは逆に落ち着かなかった。
【次回予告 by セリア】
「――動かない王座ほど、厄介なものはないわ。
だって、こっちは攻めてるつもりでも……最初から“見られてる”んだから」
「ゼグラントが、ついに“影鬼”を試しに来た。
次回《境界の揺らぎ》、『王座は動かない』。
主の影が反逆するとき、“支配する側”と“される側”の境界が、静かに滲み出すの」
「セリアの小言? そうね……“力を持つ”ことに酔ってるうちは、
まだ“支配する覚悟”には届かないのよ。K、そろそろ自分の足元、ちゃんと見なさい」




