表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/29

#1−3:制度の外


✦✦✦《処分対象》✦✦✦

「確保しろ!」


 神殿に怒声が叩きつけられ、Kの視界がぐらりと揺れた。


 高い天井の魔法紋がわずかに点滅し、そこから垂れ下がる燭台の炎が、不規則に揺れていた。

 柱の影には兵士たちのシルエットが沈み、神殿全体が、まるで巨大な心臓のように鼓動している気がした。

 

 ――また、あの“音”だ。遠くで誰かが……泣いてた気がした。


 思考より先に、冷たい金属の枷が手足を締めた。

 強引に地面へ引き倒され、背中が氷のような石床に叩きつけられる。


 痛みが脳を揺さぶる。

 息を吸おうとしたが、胸を圧迫される感覚に襲われ、うまく呼吸できない。


 周囲の召喚者たちが後ずさる気配があった。彼らの視線が突き刺さる。

 恐怖か、嫌悪か、それとも……。

 

 「……まあ、当然か。失敗した奴は、“魔力の燃料”にされるからな」

 

「即刻、隔離を。……これは“枠の外”だ」


 「“枠に収まらない”、って決めつけて排除かよ……それが正義かってんだ!」

 「……どうせ何言っても変わんねぇのは分かってる。でもな、黙って飲み込むなんて、できるわけねぇだろ」

 

 Kは身をよじろうとしたが、すぐにそれが無駄だと気づいた。

 全身にかかる、妙な重さ。

 

「……これが、“魔法封印の術式”ってやつか」


 視界の端で、青白い封印術式が淡く瞬き、まるで空中に蜘蛛の巣のような紋が絡みついていた。

 じわじわと染み込んでくる冷気が、関節の奥へと入り込み、肉の感覚を少しずつ奪っていく。


 「知識じゃ知ってたけど……こんなに速くて、重いもんだとはな……」

 「……これが、さばかれる家畜の気分ってやつか」


 やがて、術式の効果が完全に発動したのか、透明な鎖のような力が四肢を締めつけてきた。


 心臓が速く打ち始める。

 だが、それは恐怖だけのせいではなかった。


 落ち着け。まずは、状況を整理するんだ――そう、頭を回せ。

 

 ……吐き出すと同時に、奇妙な違和感が胸に引っかかった。


 記憶はあいまいだ。けれど、何かが――確かに、動いていた。Kの背筋が無意識に強張った。

 影が、こちらを見ていた気がした。偶然じゃない。けど……運命ってほどの確信もない。

 自身は願っていた。偶然であってほしいと。


「処分されるくらいなら……“あの影”にすがった方が、まだマシだな」


 心の奥で、何かが静かに灯った。


「……たとえ、悪魔の手だとしても、他よりはマシってことかよ……」


 ……でも、違う気もしていた。“それ”は、最初から内側にあった気がする。


 頭の奥で、名もなき声が、記憶の縁をなぞるように揺れた。

 

 眉をひそめ、目を細める。

 

 記憶……? いや、違う。

 

 ……視界の隅、何かが揺れた。

 黒い、靄。

 自分の中からか? それとも……この場所が見せている……?

 ――はっきりとした確証はない。


 一つだけ確かなことがあった。

 

 「……このままだと、消されるな。最初から、そのつもりだったんじゃねぇのか……?」

 

 そんな気が、してならなかった。


 神官の一人が低く呟いた。瞬間、Kの拘束具が鈍く光を放ち、冷たい魔力が肌を這う。

 視界が揺れ、まるで水底に引きずり込まれるような感覚が襲った。


 ……なんだ、この感覚。

 内側から、他者の視線を感じるような……そんな違和感、気配が、確かにあった。


 あれは、自分ではない“何か”が、内側からこの世界を見ているような――そんな錯覚だった。

 ……まるで、“自分”という枠が、他の意思に薄く満たされているような感覚。

 呼吸だけが、ひどく遠く感じた。


「……動かねぇ……くそ、足に……力が入んねぇ……」

 

 その瞬間、視界の隅で黒い靄がうごめいた。

 人の形をしているようにも見えた――だが、はっきりとは分からない。


 神殿の壁に吊された燭台が、かすかに揺れていた。


 神官たちは無表情のまま並び、まるで審判の道具のように動かない。

 ――だが、その中に、一人だけ目を伏せた神官がいた。

 

 まだ若く、制服も新しい。

 その目には、一瞬のためらいと、何かを押し殺すような色が宿っていた。

 だが隣に立つ上級官が視線を向けると、若い神官はすぐに姿勢を正し、

 何事もなかったかのように目を閉じた。


 ――それでも、何かを飲み込むように喉が動いた。


 

 ✦✦✦《咆哮と異物》✦✦✦ 

 

 「異端の召喚者、K。登録なし。身元不明。第十七の例」


 神官の冷徹な声が神殿に響き渡る。


 十七人目、か。


 Kは宙を見つめた。

 自分と同じ、“登録されなかった召喚者”。

 ……生き延びた者など、いなかった。語られなかったのは、語る必要がなかったからだ。

 

「記録にない存在は、この世界の“制度”の想定外だ」


 一拍の沈黙。


「制度は、想定外を怖がる。“未知”ってやつは……まあ、火種になりやすいからな」

「存在の抹消が最適と判断する」


 制度だと? 怒りがこみ上げる。

 まるで世界の維持こそが絶対的な正義であり、

 自分はその邪魔者だと決めつけられたような口ぶりだった。


 Kには、世界が音を失ったように感じられた。

 言葉は、どこか遠くの他人の物語のようだった。


 「弁明しろって? どうせ最初から、聞く気なんてないくせによ……」


 顔を上げた。その瞳に、わずかな火が宿る。


「……お前ら、例の“第十一の例”はどうなったんだ?」


 空気が一瞬だけ揺れた。神官たちの目がわずかに泳ぐ。


 一瞬、最上位の神官の目がわずかに細まった。

 封じたはずの記録。表に出してはならない“例”を、少年はなぜ知っている。

 喉の奥に冷たいものが落ちた。

 制度にとって、触れてはならない記憶が、今――浮上しつつあった。


「……反応した。やっぱり、隠してるな。第十一の例、ってやつを」


 Kの視線は、まっすぐ神官の目を射抜いていた。

 怒りでも、恐れでもない。

 ただ、静かに――抗っていた。


「弁明、ね……」


 わずかに唇を歪める。皮肉のように、あるいは諦めのように。


「……生き残るために必要なら、してやってもいい」


 言えっていうのなら……まあ、そうだなと思った。


 冷たく目を細めた。

 

「言葉を交わす価値が、最初から存在しない連中だ」

 

 ――その言葉は、もはや諦めではなく、選別だった。


「……何を言っても無駄かもしれねぇ。だけど、それでも……まだ、俺の中には残ってんだ。火種が……」


「……ここで終わらせてたまるか。まだ、消えちゃいねぇんだ」


 

「では、処分を――」


 その瞬間、Kの中で、何かがブチッと音を立てて弾けた。


「このクソがあああッ!! お前のケツに蝋燭突っ込んで蹴り上げるぞッッ!!」

 

 叫びというよりも、咆哮だった。

 神官たちがざわつき、兵士が一歩引いた。


「人はなァ、口から“言葉”を吐くんだよ! お前はクソと音だけしか出せねえのか!? なんだそのツラ、聞こえてんのかよ! お前、肛門か!?」


 空気が軋んだ。誰も言葉を返せなかった。

 Kの声は、怒鳴っているのに、どこか“悲鳴”のようにも聞こえた。


 叫んでいて、自分でも訳がわからなかった。

 でも――なぜか、頭の奥に浮かんだのは、もっとくだらない記憶だった。


 ……幼い頃、帰り道で牛を物珍しく眺めてたら、財布を落としてさ。

 拾ったら、糞まみれだった。

 泣きながら拭いた。意味なんて、今でも分かんない。

 

 ……たぶん、あの時から。もう、何かおかしかったんだろうな。

 関係ねぇはずだった。けど……これ、本当に俺の記憶か? まるで、“誰かの昔話”みたいで……。

 

 一瞬の沈黙。


「おい、なんだよ。みんな黙っちまって……人間じゃねぇのはどっちだよ……」

 

 誰も言葉を返せなかった。

 ……たぶん、Kの声が一番“人間らしかった”からだ。


 そして、その直後。


「待ちなさい」


 セリアの声が、空気を真っ二つに割った。


 

✦✦✦《予兆》✦✦✦


 ……空気が、変わった。

 熱でも冷気でもない、別の“圧”が空間に満ちる。


 そのとき、神殿の隅で静かにすべてを見ていたセリアの心に、かすかな違和感が走った。


 確かに、彼は一瞬だけ怒鳴った。激昂した。

 だが、それは暴力ではなかった。ただの発散でもない。


 ――あの怒声の奥にあったのは、“受け入れたくない何か”への拒絶だった。


 この空間には、もはや言葉も熱もなかった。

 ただ冷たい正義の形だけが、均質に並んでいた。

 それでも、たった一人、その「形」に馴染まない少年がいた。


 ――K。


 叫んだあとは、何も暴れず、黙って死を受け入れるような佇まいでいて……。

 だがそれは、ただ沈黙したのではなかった。

 まるで、自身の中に残っていた最後の火を、すべて吐き出してしまったかのように。

 怒りが引いた後に残ったのは、静けさと、ほんのわずかな疲労感。

 それでも、どこか底の知れない存在感があった。


 彼は口を開かずとも、抗っていた。

 怒りでも恐怖でもない。……あれは、拒絶だ。制度に対する。


 “測定不能”の記録は過去にもある。

 だが、ここまで周囲を圧倒するような“気配”を持つ例は――記憶にない。


 セリアは気づいていた。この異端者に、何かが宿っている。

 未熟な異物ではない。定義を超えた“新しい何か”。


 だからこそ、今――彼をただ処分することに、疑念が浮かんだ。


 ……“測定不能”? 違う。こいつは、そういうんじゃない。

 もっと……名前のない何かだわ。


 怖い。声もなく、暴れもしない……それなのに、底知れない。


 言葉にできない不安と、奇妙な確信。


 それでも彼女は、一歩を踏み出した。


 張りつめた空気がわずかにゆらぎ、視線が一斉に揺れ動いた。


「待ちなさい」

 

 ――誰だ?

 厳しい声が場の空気を震わせた。

 Kが顔を上げると、銀の髪の女性が視線を向けていた。


 神官服の波にただ一人逆らうように立ち、長い銀髪が燭火の揺らぎを跳ね返していた。

 背後の魔法陣の光すら、彼女の一瞥にたじろいでいるようだった。


 冷たい光を宿した瞳。それでいて、どこか挑戦的な気配を感じる。


「処分を決めるのは――」


 彼女の声が、場の空気を裂いた。


「……早すぎるわ」


 神官たちがざわめいた。


「未知ってね。誰も掘ったことのない金脈みたいなものよ」


 その言葉には、かすかに笑みが混じっていた。


「一見ただの土でも、その下に掘り当てる価値があるなら――誰かが手を汚す価値もある、ってことよ」

 

 ……“価値”、か。ついさっきまで、ゴミだの異物だのと扱われていたというのに。

 顎に力が入る。奥歯が、わずかにきしんだ。


「セリア様……!」


 神官の一人が、驚きのあまり声を上げた。


 Kは目を伏せ、かすかに笑った。


 「……そうか、俺は“まだ掘られてなかった”石ころってわけか」


 自嘲とも希望ともつかない笑みが、わずかに浮かぶ。

 ……まるで道ばたに蹴られてた石が、突然、値札付きで並べられたみたいだな。


 一瞬の静寂――。

 その瞬間、神殿の奥――封印された扉の向こうで、かすかな振動音が響いた。


「“第十七”が……応じた?」


 神官の誰かが、声を震わせた。

 その響きは、確実に“次の異変”の始まりだった。


 Kは無言のまま、セリアを見返した。

 そして、ゆっくりと立ち上がるかのように、背を起こした。


 静かに、だが確かに――戦う者の目をしていた。

 



✦✦✦




【次回予告 by セリア】

「記録に残らない者ほど、やっかいよ。

測れないものは、簡単に壊せると思ってたら大間違いだから」


「次回、《拒絶された記録:前編》――秩序の内臓を、影が穿つ」


制御不能とされたKは、制度の“最も奥深い場所”へと足を踏み入れる。

そこに待っていたのは、数字で価値を測る装置、そして……存在しない者としての宣告。


けれど、記されなかった存在が一行だけでも歴史に“ノイズ”を加えたなら?

――世界は、そのバグをどこまで無視できるかしら。


「セリアの小言? そうね……“記録されない怒り”ほど、燃えやすいものはないのよ。

でも、その火はね。自分で“名前”を持たなきゃ、ただの焚き火で終わるの」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ