#3−2: 影鬼の胎動
✦✦✦ 《脱走の余波》 ✦✦✦
――轟音が響き渡る。
Kが放った黒い霧が、実験場の扉を吹き飛ばし、廊下にまで広がった。
施設全体に警報が鳴り響き、赤いランプが点滅を繰り返す。
Kは、ゆっくりと足を進めながら、手をぎゅっと握った。
始まる……のか? いや、もう始まってるんだ。
なんだ? 本当に俺の意思か?
この妙な力――俺のものにできなきゃ、全部意味ない。
ほんと、それだけ。
だが、廊下に踏み出した瞬間、複数の足音が響いてきた。
視線を向けると、魔法装甲で武装した警備兵たちが立ちはだかっていた。
「……対象51番。脱走を確認。すぐに拘束しろ!」
Kは冷静に周囲を見渡し、状況を分析する。
迎撃部隊……あれはただの捕獲要員じゃない。俺を“処分”するための精鋭か。
生き延びたければ、ここで止まるわけにはいかない。
警備兵たちはKを取り囲むと、槍を構えて一斉に襲いかかってきた。
奴らは秩序に従い動く駒。しかし、俺は違う、いやそのはずだ。
シュルッ――。
Kの足元で影が蠢く。
波紋のように広がった影が、警備兵の装甲に触れた――だが、予想よりも反応が遅かった。
「……ッ!」
影はじわじわと装甲の隙間に侵入していくが、何かが引っかかるように、うまく“喰い破れない”。
Kは眉をひそめ、影に意識を集中させた。
……動きが重い。影の中で、何かが引っかかってる?
いや……俺が、まだこの力を馴染ませきれていないのか。
それでも、影は執拗に魔力の回路を追い詰め、ついには内部へ侵食を果たす。
警備兵の肉体がわずかに痙攣し、血管が浮き上がる。
喉元まで影が伸びると、ようやく声が途絶えた。
――それでも、確実に仕留めるまでに時間がかかりすぎた。
次は……あの動きでは、他の兵に反撃される。
案の定、別の警備兵が横合いから突撃してくる。
Kは影を跳ね上げて応戦しようとしたが――。
「……ッ!?」
影が、思った軌道を描かない。
わずかにずれたその瞬間、敵の槍がKの肩をかすめ、
鋭い焼けるような痛みが走った。
視界の端に、赤い軌跡が残る。
鈍い。なんだ……?
そこにくるはずが違う。俺なのに俺がしていない。
何を言っているんだ?
影が、ズレる。俺の影なのに。
いや、違う、たぶん俺が……まだ、ちゃんと、こいつに触れてない。
ヤバイ。
……このままじゃ、“喰われる”のは、俺の方だろ。
Kは痛む肩を押さえながら、息を吐いた。
なら、学ぶしかない。使いこなせなければ、この力はただの呪いだ。
次の瞬間、影が再び足元で蠢いた――。
Kの思考に呼応するように、影の“刃”が微かに脈打った。
影が、うっすらと……呼吸するみたいに動いた。Kがそう感じた、だけかもしれない。
Kは再び構える。
今度は影をもっと鋭く、的確に放つために――。
✦✦✦《影の意志》✦✦✦
「……な、何だ……俺の……」
彼の声が途切れると同時に、影が触れた瞬間、警備兵の足元の影が、円状に開くように動き始める。
中心から“歯車”のような影の稜線が現れ、黒い渦が螺旋を描きながら肉体を取り込んでいく。
肉体はゆっくりと沈み、最後に槍の先端だけが床に落ち、カラン……と鳴った。
黒い渦が巻き起こり、次の瞬間――影は警備兵を"吐き出した"。
崩れ落ちた肉体から、音もなく力が抜けていく。そこに“生”は、もうなかった。
鎧は砕け、皮膚は灰色に変色し、虚ろな瞳が空を見つめている。
魔力も、生命も、何もかもが削ぎ落とされていた。
Kは、無意識に指を折っていた。その視線は影へ向かっていた。
……速すぎる。待ってない。俺の指示、無視してる? いや、違う。
そうじゃない……いや、そうか……?
影が床を這い、別の警備兵の足元へと忍び寄る。
その動きは、Kが指示を出すよりも早く――まるで、影自身が「獲物を狩る」ように。
脈動……いや、なんていうか、鼓動の“ふり”みたいな。胸の奥が、ざわ……っとした。
俺の指示じゃない……影が勝手に動いた? どうやって?
ほんの一歩、後ろに重心をかけると、影の波打ち方がわずかに変わった。
意図したものじゃない。だが、確かに“反応”していた。
息をのんだ。
影が独自の意思を持っている。その可能性が、Kに明確な危機感を与え始めていた。
壁の赤い警報灯がちらつく。
倒れた警備兵の手が床を引っ掻いた音が、唐突に途絶える。
影に引き込まれた警備兵は二度と戻らず、生命も魔力も奪われ、ただの灰色の残骸となる。
影が動けるのは、影のある場所だけ。
だが、Kにとってそれは制約ではなかった。影がある限り、彼は進める。そう信じていた。
Kの指が、影の脈に合わせるようにゆっくりと曲がっていった。
すると影が反応し、彼の周囲で低く波打った。
……支配、できるかなんて……関係ない。
やらなきゃ、やられる……“飲まれる”だけだ。
だったら、俺がやる。俺が、先に――。
Kの意識が影と繋がる感覚を得た瞬間、
黒い波紋が足元からじわじわと広がっていく。
床の闇がふるえる。水面みたいに揺れて、Kの足元に“輪”が浮かんだ。
その中心から突き出すように、影が刃の形を形成した。
……これは、“従っている”だけの動きじゃない。
まるで生き物のようにうねりながら形を変え、Kの呼吸に合わせて震えている。
これは……俺の影、なのか?
……違う。従っているはずなのに、何かが“別の意図”で動いているような……。
Kは無意識に拳を握る。
……たぶん従ってる。けど、それだけじゃない。揺れてた。どこかで息をしてるみたいに。
その闇は、天井の梁、壁の陰影、床の隙間――あらゆる影に潜り込むことで広がっていく。
決められた道しか歩かないくせに、そこに命がある。……それが、気味が悪い。
……影は影の上しか動けない? 上等だ。そのぶん、鋭くすりゃいいだけだ。
✦✦✦
【次回予告 by ユリエル】
「……あなたの魔力温度、さっきより0.6度上昇しています。
ねえ、K様。あなた、今……心が震えたでしょ?」
「次回、《境界の融解》――理性と神性が溶けあう、その境目に」
K様の影が……目を覚ましました。
命令でも祈りでもない……“残りかす”みたいな感情が、私の肌に……まだ、いるんです。
……気持ち悪いくらい、素敵……!
「ユリエルのひとりごと? ええ……“触れられないこと”って、こんなに美しいなんて。
私、K様の壊れかけた境界線に、一生分の歓喜を感じてるんです……!」