#2−4:値札のない命
✦✦✦《ゼロ値の烙印》✦✦✦
Kは、ただ黙ってスクリーンに映る“商品たち”を見続けた。
美しい筋肉も、演出も、数値も、すべては「見せる」ために最適化されていた。
……これが、価値の正体か。
見せ方次第で、何かしらの意味が生まれる。
意味があれば、誰かが欲しがる。
でも、意味がないなら……存在にも気がつかれない。いないのと同じだ。
結局のところ、全部、欲望ってことか。
……背中のどこかが、急にヒュッと冷えた気がした。
そのとき、足元に光が走る。まるで彼自身が“市場の評価対象”であると告げるように。
《魔導専念樹、応答――K、値定めの場へ》
闇を切り裂くように、ひとつの光が天井から差し込む。
床に描かれた円形の魔法陣が鈍く脈動し、Kを中心に広がるように輝きを帯びていく。
外縁に並ぶ黒衣の“審査官”たちの輪郭は逆光に沈み、無数の瞳だけが光っていた。
え……俺が?
考える間もなく、床が発光し、世界が回転するように反転した。
次の瞬間、Kはひとり、スポットライトの中央に立たされていた。
その周囲には、冷ややかな目をした審査官たちの立ち並ぶシルエット。
数字で構成されたような視線が、Kを舐め回すように注がれる。
「模擬登録者、K。
戦闘能力:不明。配下:なし。資源保有:ゼロ。人格スキャン:抵抗傾向あり」
ディスプレイに、評価項目が並ぶ。
ひとつずつ、冷たく“0”が打ち込まれていく。
――評価:……なし。
――市場性:……おすすめしません。
――投資適性:該当項目、見つかりませんでした。
最後の一行に、Kの名が打ち込まれた。
《未上場魔王:K》
赤い点滅は、存在価値がまだ“測定されていない”ことの証明。
市場では、“数値を持たない者”は存在しないも同じだ。
その瞬間、審査官のひとりが小さく鼻で笑った。
「ナチュラル・ゼロか。久々に見たな」
「観賞用にもならねえやつ、珍しいよな」
「リスクすらない。存在が無視レベルってことさ」
声は出なかった。背中が……むず痒いというか、ぞわっとしたというか。
心臓が、変なタイミングで“ひゅっ”て鳴った。
ああ、たぶん俺、今「人間やめます」って札、貼られたんだな。
「……なんなんだ、これは――」
Kの心臓は一瞬、音を外した。思考だけが遅れていく。
拳を握った。言葉は出なかった。
――ここでは、「何もない」ことが最大の敗北だ。
一拍、空間が静まった。
セリアがゆっくりと声を落とす。
空間の喧騒が、嘘のように遠のいた。
周囲の魔道スクリーンが同時に光を絞り、Kとセリアを囲むかのように暗転する。
まるで、数値だけが輝く“静寂の牢獄”に立たされたようだった。
「ここではね、“測れない”ってだけで、なかったことにされる。……まあ、誰も見ようとしないって話」
セリアは視線を落としながら、わずかに眉を寄せた。
「……昔、いたの。あなたと同じ“ナチュラル・ゼロ”の子が。
“測れないなら、測る者を変えればいい”って言っていた」
「でもね……その子は、評価されないまま消えた。
“制度の外”には、墓標すらないのよ」
セリアの声が、ほんの一拍、迷った気がした。
たぶん、思い出しちゃいけないことが、喉に引っかかってた。
もし、かつて「夢に賭けた誰か」がいたのなら――その結末を、彼女は知っているのかもしれない。
✦✦✦ 《売却の枠組み》 ✦✦✦
Kの足元に、三つの円形プレートが浮かび上がった。
それぞれにラベルが刻まれている。
《戦力枠》――個体としての出力性能
《支配枠》――統率と説得の影響度
《領地枠》――運営土台としての資源値
セリアの声が頭上から降ってくる。
「この世界は、選んだ“枠”からしか見えない。……いまは、そのひとつを試して」
Kは三つの光を見つめた。
どれも、力を得る手段に違いない。
けれどそれは同時に、“どう売られるか”を選ぶことでもあった。
「…………強さ、数、土地……なんだよそれ。職業選択かよ。どれ選んでも、売られる未来しかねえってのに」
肩の奥に、わずかに冷たい汗が伝った。
Kは拳を握り、三つの光を見下ろす。光は静かに脈打ち、彼を見返してくるようだった。
“どう売られるか”を、自分で選べ。そんな無言の圧が喉を締めつけてくる。
「なら――」
Kの指が、ひとつの光に触れた。
手始めに【Power】に触れてみた。
一瞬で仮想アリーナが展開される。
目の前に立つのは、量産型の魔王NPC。肩に数字入りの刺青を刻まれている。
《模擬戦開始》
Kの手に黒い剣が生まれる。説明はない。
次の瞬間、敵が吠え、突撃してくる。
衝突――。
本能で防いだ。振り下ろした剣が、ギリギリで敵の肩を裂く。
《与ダメージ:37 評価値:C-》
敵が怯み、空間がスキャン音で震える。
……今の動き、どこか……。
次の瞬間、スクリーンに“与ダメージ”“評価ランク”が無機質に並ぶ。
隣には他の魔王候補の数値――平均、最大、最低――が淡々と比較されていた。
背中を、氷の指先でなぞられたような感触が残った。
あれ……俺、いつのまにか“値札つき”になってる?
再び視界が一瞬白くなると元の場所に戻ってきた。
「なあ、セリア。これ、他のも選べるんだろ?」
「ええ、そうよ。試してみるといいわ」
Kは続いて、【Followers】に触れた。
✦✦✦ 《言葉で値がつく》 ✦✦✦
空間が転じ、小さな演説会場が出現。
数人の仮想配下たちが、半信半疑の目でKを見ている。
「指示を出して、説得して。支持率は“数値”として出るから」
セリアの声だけが案内する。
Kは息を吸った。
「……俺、まだ何にもない。……けど、なんか……この世界、気持ち悪いんだよな。変えられたら、いいなって」
数人の視線が突き刺さる。
Kは一歩前に出ようとして、足を止めた。
……言葉で、人が動くのか?
けれど、何もしなければ“0”のままだ。
ゆっくりと息を吸い込んで、一歩前へ出た。
「……俺は、まだ何者でもない。けど――」
……何を言えば、伝わる? どこを突けば動く? Kは自分でも答えが分からなかった。
言葉を区切るたび、目の前の視線がわずかに揺れる。
「……正しさ? 知るか。まあ、選び方ぐらい……こっちに決めさせてもらうぜ」
会場に静寂が落ちた。
言い終えると、頭上のバーがわずかに伸びた。
《支持率:43% → 58%》
NPCたちがざわめく。ひとりが手を上げた。
「……ちょっと面白そう、かも」
その瞬間、Kのデータに“Followers:仮採用数1”が記録される。
演説が終わった直後、NPCたちのざわめきに紛れて、場違いな陽気さを帯びた声が響いた。
「僕、妖精だけど? 投資は感性だよ。感じるままに応援するんだよ」
Kが思わず振り返ると、群れの後方で、小太りの神官風の男が手を振っていた。
「まあ、分類的には……“取引サイドの祝福枠”なんだけどね!」
無邪気に笑うその顔に見覚えがある。あの、例の神官だ。
だが今、この場にどうして――と、考えがまとまる前に、彼は首をかしげて一言だけ呟いた。
「そのノイズ、最高だね……君の“魂の湿度”、たまんないよ。ここ最近で一番、胃が喜んでる」
何気ない調子だったが、なぜかその一言がKの耳に残った。
Kは応えられず、ただ虚空を見つめていた。
市場の喧騒が再び遠ざかっていく中で、さっきまで感じていた現実感だけが、すこしだけ削がれていった。
かなり臨場感あるな。本当に現実ではないのが不思議だとKは思った。
一呼吸おく。
そして最後に、【Domain】を勢いよく叩いた。
「よし、行くか」
仮想の小島が浮かび上がる。土地、資源、予算すべてがミニマル。
「制限時間内に収益を出せれば、それが“経営センス”って評価になるわ」
とりあえず木、あと水……いや、人? 順番……どれが正解なんだよ。
Kは、ぐるぐる迷いながら、手を止めるわけにもいかず、とにかく指を動かした。
土地は貧弱で、資源は限られている。
「……まずは、人手……いや、水源か?」
どっちが先か。いや、そもそも両方足りない。Kの指が、数秒間だけ宙を彷徨った。
……これ、本当に“選べて”るのか? どれも必要なら、最初から詰んでるだろ。
選択肢が浮かぶたびに、焦りが積み重なる。
Kは、初めての“経営”に、手探りで指を動かしていた。
時間は容赦なく過ぎ――画面に数字が浮かぶ。
評価が浮かび上がった。
《収益:わずか 成長率:鈍い 評価:D+》
そこにあったのは、数字だけだった。過程も、迷いも、どこにもなかった。
Kは、じっとその数字を見つめた。
自分の手で築いたものが、たった3行で「測られた」ことが、少しだけ悔しかった。
「……最初にしちゃ、なかなか面白い選び方だったじゃない」
Kは自分の手が少し震えていることに気づく。
「これが……選んだつもりで、選ばされてた価値か……」
胸の奥で、何かが小さくひび割れた気がした。
Kは、心のどこかで気づいていた。
選ばせているようで、選ばされている――そんな構図があることに。
Kは拳を握った。
そして、自分の中に芽生えた感覚を見据えるように、低く呟く。
「……選ばされてるだけ……か。じゃあ、俺は、どうすりゃいいんだ」
どこか静かな自覚と憤りだった。
✦✦✦
✦✦✦【次回予告 by セリア】✦✦✦
「ねえK、“見えてしまった”んでしょう? 数字の揺らぎ。
それはね、あなたがもう“傍観者じゃない”って、証明よ」
「《グラド》の暴落? 《ゼグラント》の絶対性?
――評価は、信仰と一緒。高すぎる信頼は、もはや事実の敵なの」
「次回、《観測される側へ》。
世界の数字に手が届くってことは、そのまま“責任”に触れること。
この市場で“触れていいもの”なんて、本当は、なにひとつないのにね」
「……でもまあ、どうせあなた、もう戻る気ないんでしょう?
なら――“揺らいでる側”として、最後まで観測しなさい。
それがこの世界の、いちばん嫌がることだから」