#2−1:導入:体験する制度:前編
✦✦✦ 《召喚の間 》✦✦✦
――たった一回の精査で、“人間”の価値が決まる世界。
沈黙に包まれた“契約の間”。
セリアはKに背を向けたまま、片手を軽く掲げた。
空間の中心に、白く淡い光の粒子が浮かび始める。
「説明は要らない。聞くより、感じた方が早いわ」
セリアの手元から放たれた光が、霧のように空間全体へと染み出していく。
光は静かに広がり、足元の床から浮遊感がじわじわと這い上がる。
重力が抜けていくような感覚。Kの耳には、自分の鼓動すら響いてこない。
視界が静かに反転するように、世界の“裏側”へとめくれ始めた。
そのセリアの声はどこか静かで、冷ややかだった。
けれど、Kには“待っていた”ようにも聞こえた。
「召喚制度がどういうものか、記録再現で“見せてあげる”――あの子たちが通った道を、ね」
光が脈打つように鼓動を刻み、やがて空間全体が揺れ始める。
Kの視界が音もなく切り替わった。
足元がふわりと浮き、空気が一変する。まるで現実の外にいるようだった。
白い教室のような空間。整列する制服姿の若者たち。
ひとりずつ、無機質な機械の前へと進んでいく。
「適性スキャン、開始」
無感情な声とともに、スキャン結果が即座に表示される。
《S:英雄候補》《E:資源行き》《無:記録削除》
それは、たった一言で“運命”を振り分ける分類表。Sは武力要員、Eは魔力素材、無は存在ごと消去。
……つまり、“人”という素材を、ただの数値に変える工程。それ以上でも、それ以下でもない。
そのスキャンを担当する神官のひとりが、どうにも異様だった。
背丈が異様に低い小太りの中年で、儀式用の法衣を着ているのに、どこか“だらしない”印象を与える。
セリアとは別の存在だ。
Kは、その滑稽な神官の仕草をセリアと重ねることはなかった。
「僕、妖精だよ?」
腰に手を当て、羽ばたくように両手をひらひらと動かすポーズ。明らかに場違いだった。
初対面の召喚者に向かって、そのたびに同じジェスチャーを繰り返す。
反応が悪ければ、距離を詰めてくる。
召喚者たちは困惑し、無言で一歩ずつ距離をとるが、それを楽しむようにさらに近づく。
「妖精ってさ、どんな素材でも笑って刈り取るんだ。だから、僕に選ばれたら“当たり”だよ?」
神官は鼻歌まじりに腰を揺らした――その瞬間。
「……あ、やば……」
ピチ……と、ほんの小さな音。法衣の裾に、かすかに濡れが滲んだ。
その場にいた数人の召喚者が、同時に無言で一歩引いた。Kも、一瞬息を止める。
だが神官は、何事もなかったように笑顔を貼りつけたまま、ポーズを取り直す。
「だって君たち、どうせ“素材”でしょ? ……妖精の目は誤魔化せないんだ」
その声には悪意も同情もなかった。
ただ、作業の一部として、無関心が貼りついていた。
「……さあ、次のスキャンに進もうか。妖精は忙しいのさ」
奇妙な仕草と共に、神官はひらひらと手を振った。
Kは目を細めた。その態度の裏に、作業として割り切られた冷たさを感じる。
――見慣れている、ということか。
人の価値を数値で決める日常。狂っているのに、誰も疑っていない。
だがその狂気は、目の前の若者たちに確実に“結果”を与えていた。
その都度、彼らは判定を知り目の色が変わる。歓喜、絶望、そして茫然。
抵抗する暇もなく、流れ作業のように“分類”されていく。
Kは、ただ黙っていた。
映像だと分かっていても、胸の奥にじわりと重さが沈んでいく。
Kは光景を見つめながら、静かに息を吐いた。
目の前に広がるのは、歯車のように整然とした風景。整いすぎていて、逆に現実味が薄い。
だがそこに流れるのは、“人間の悲鳴”そのものだった。
結果を出せば成功。出せなければ、ただの無能。
存在ごと、無かったことにされる――そんな制度。
たった一度のスキャンで、価値が定まる。
それがこの“召喚制度”の第一段階。
Kは薄く目を細めた。
「学校でも、会社でも……社会ってやつは、決まりきった“型”に人を流し込むのが得意なんだ」
その言葉は、Kの内側から、濁った水のように浮かび上がった。
借り物の記憶か、自分の痛みか――判別できないまま。
Kは、それが“自分の言葉”なのか、それとも模倣された記録なのか――確かめる術を持たなかった。
だが今、この制度の光景を前にして、それはあまりにも“真実”に思えた。
少女の姿が見えた。制服の袖を握りしめ、唇をかみながら、その場に立ち尽くしていた。
顔は曖昧に滲んでいて判別できない。
でも、あの袖の動かし方だけが、妙に胸に引っかかる。
思い出せない。でも――何か、大事な“約束”を思い出しかけているような。
一瞬、Kはその場に足を止めた。
けれど、なぜか胸がざわめいた。
――どこかで、知っている気がする。
いや、違う。
“知っているように感じる”……それは、模倣された記憶の残響か。
Kはひとつ、深く息を吐いた。
背後で、セリアの声が静かに響く。
「ピンポーン。正解……って言いたいところだけどね。
少なくとも、この世界の仕組みは、そうなっているわ」
✦✦✦ 《英雄の玉座》 ✦✦✦
場面が再び、音もなく切り替わった。
Kの視界に映るのは、巨大な玉座の間のような空間。
柱は純白の大理石で、高く伸びた天井から金の光輪がいくつも吊るされていた。
装飾はすべて左右対称に配置され、計算し尽くされた荘厳さが空間を支配している。
だがその美しさのどこにも、体温の痕跡はなかった。
どこを見ても、綺麗に整ってる。
でもKには、それが“処理された空間”にしか思えなかった。息苦しいほどに無機質だ。
光に満ち、整った装飾に囲まれたその中央に、一人の少年が立っていた。
表情は静かで、凛とした気配をまとっている。
だが、その目はどこか――死んでいた。
「英雄適性、Sランク。国家戦略兵器としての認可、完了」
誰かがそう言った。
拍手が沸き、臣下たちが跪く。
だが、その中心にいるはずの彼は――感情の所在を、すでに忘れているように見えた。
Kは眉をひそめる。
……なんだ、これは。
その少年は、かつてのクラスメイトの誰かかもしれない。
だが名前は伏せられ、口元も曖昧に霞んでいる。
代わりに、明確に見えたのは“指輪”だった。
光を帯びた契約刻印。意識操作の封印文。
「忠誠命令、再確認。個人の意思は、公共利益を優先するよう制限」
Kの脳裏に、解析された文脈が浮かぶ。
……意思の制御。つまり、“自由意志を奪われている”。
少年は笑っていた。
穏やかに、穏やかに。
だがその笑みは、完全に「洗脳された表情」だった。
「勝っても……これが正解か?」
Kは小さく呟く。
この少年が手に入れたのは、称賛でも、栄光でもない。
“都合よく使える器”としての完成品。
自分が、自分でなくなる――。
それが“勝者のゴール”だというのなら。
Kの中で、ひとつの感情がじわりと滲んだ。
怒り、ではない。哀れみ、でもない。
――違和感だった。
どこか、歯車が噛み合ってない。
すべてが整っていた。だが、その完成には――魂の温度がない。
その刹那、玉座の間が白く弾けた。
視界が再び、闇へと落ちていく。
「……そうやって“選ばれた”子はね、王冠をかぶったら、人格ごと国家産になるの」
セリアはちらりとKの方を見て、肩をすくめた。
「でも安心して。失敗したら、資源化の特典がついてくるわ。……お得でしょ?」
Kは無言のまま、わずかに眉を動かす。
「国家産? 肩書きだけは一流よ。中身は、都合よく動く“パーツ”。
飾れば飾るほど壊れやすくなるの。……割に合わないのよ、ほんとは」
セリアはわずかに口角を上げて言った。
「……冗談よ。今の、笑っていいところだったんだけど?」
「私ね……効率のいい世界が好きなの。だからこそ、誰も壊せないものがあると……少し憧れるの」
「……でもそれって、私には絶対“手が届かないもの”ってことでもあるの」
Kはじっとセリアを見つめた。
――この女、どこまでが本気で、どこまでが演技なのか。
けれど今だけは、あえて問いただす気にはなれなかった。
Kは何も言わなかった。ただ、視線だけが妙に冷たかった。
✦✦✦
【次回予告 by セリア】
「制度が歪んでる? ええ、ずっと前からよ。
でも、それを“正常”と呼ぶのが、この世界の常」
「次回、《定義なき者たち》。
名前も、意味も、価値すらも与えられなかった“存在”が――
自らの意思で、書き換えを始める」
“使い捨て”は、制度の都合。
“測定不能”は、排除の言い訳。
“廃棄”は、沈黙への報酬。
「でも……それでも立ち上がるって言うの?
なら、見せてもらうわ。あなたの“定義”ってやつを」
構造の隙間に火を灯せるなら、たとえそれが一瞬の輝きでも――
意味は、確かに生まれるのだから。