第94話:ジョーシュトラウム 死す(死んでない)
ウニリィは5年前のあの日から心に決めていた。
ジョーが戻ってきたら、何はともあれ1発殴ると。
ジョーが家を出て行った理由は、妹である彼女もなんとなく悟っていた。
そしてナンディオがやってきてジョーが英雄になったと、どこか遠い地でお姫様を救ったと聞いた時、驚きはしたが一方で彼らしいとも思った。誇らしさも感じた。
久しぶりに会ったら、懐かしさに喜びを感じ、嬉しくなってしまうかもしれない。
だが、それはそれ、これはこれである。
十歳のウニリィが、あるいは父が、ジョーの不在に悲しんだこと、苦労したことと、ジョーが大成したことは別のことなのだ。
スライム厩舎で彼らを抱きかかえて泣いた夜もあった。あの夜の涙を忘れて出迎えるわけにはいかなかった。
ウニリィは拳を振り上げる。
ジョーもまた覚悟していた。
エバラン村に帰った時に、親父に殴られたり妹に引っ叩かれることを。
彼だって何も考えずに村を出たわけではない。自分がスライム職人に向いておらず、ウニリィには天性の才能があったこと。そして自分には棒を振る才能があったこと。
ジョーは無学であり、自身の有する魔力について知ったのは村を出てから何年も経ってからであった。だが棒を握っている時、明らかに尋常でない力が湧き上がってくることは誰に言われずともわかっていた。
そしてその力は平穏な村の中にあっては活用することが叶わないこと、あるいは誰かを傷つけることになるであろうことを。なぜなら歳を追うごとに、その力は鍛えられ強くなっていったのだから。
だが、それはそれ、これはこれである。
5年前の自分が全てをほっぽり出してエバラン村から出奔したのはわかっている。それが親父や妹を悲しませ苦労をかけたであろうことも。
ジョーはウニリィが自分の顔を殴りやすいように、腰を僅かに落とした。
ふるふるふるふる!
スライムたちは覚えている。こちらに向かってくるニンゲンが、かつて自分たちの世話をしてくれていたことを。しかしある日突然いなくなったことを。
そしてスライムたちは覚えている。彼がいなくなった後、主人であるウニリィが泣いていたことを。もう一人の主人であるクレーザーも辛そうにしていたことを。
ウニリィは言っていた。『ジョーが帰ってきたら絶対殴ってやるんだから』そう言いながらスライムたちをぼすぼす叩いて変形させていた。
スライムたちはジョーに恨みも怒りもない。だが彼らは絶対的にウニリィの味方なのだった。
「どこ5年もほっつき歩いてたのよ!」
だからウニリィがそう叫んで拳を振り上げた時、今こそその時だと理解した。
ぶわり、と風が吹いた。それはウニリィの右拳を中心とした旋風のように。
旋風に導かれるようにスライムがウニリィの拳にまとわりついていく。
「えっ」
ウニリィは一瞬驚いたが、動きは止めなかった。スライムたちが『手伝っている』ことは彼女には明らかだからだ。
岩のように硬いスライムが彼女の拳を覆う。水の膜がウニリィの半身を覆う。
「ちょっ、うえぇっ!」
ジョーは驚愕した。ウニリィとスライムからは大いに武威を感じる。それはただの村人や一介のスライムが出せるものではない。ジョーはスライムが進化していることを知らないのだ。
だが呆けている場合ではなかった。連れていた馬の荷から棒を急いで取り出すと、腹に力を込める。
ウニリィの右腕はスライムをまとわりつかせて巨大化したかのようである。ウニリィは顔を殴ろうと思っていたのだが、腕が重くなったので、正面、ジョーの腹のあたりに正拳突きするような形となった。
ガイイィン! と拳が当たったとは思えぬ音が響く。
ジョーの鎧と硬質化したスライムが当たった音だ。
「ふう……」
ジョーは安堵した。
こんなに硬くて重い一撃を顔にくらったら酷かっただろうが、鎧を叩いてくれたのでそこまでの衝撃ではなかった。むしろ金属を叩いてしまったウニリィの手は大丈夫だろうかと心配するほどであった。
考えが甘いのである。
なぜスライムが水の膜を作ってウニリィを覆ったかということだ。それは炎より身を守るために他ならない。
鎧に当てられたウニリィの拳が紅蓮に光った。
「は?」
どん! と轟音と共に激しい衝撃がジョーを襲う。ウニリィの右の拳が爆炎と共に射出され、岩の拳が鎧を貫いてジョーの腹に刺さる。
静寂。
ジョーもウニリィも動かず、村人たちは固唾を飲んでゆくえを見守っていた。
からん、とジョーの手から棒が滑り落ちる。
ジョーは腹を押さえながら呻いた。
「……俺が……長男じゃなかったら死んでいた」
ジョーはゆっくりと地に膝をつく。
ウニリィは手を払った。スライムたちはぼとぼとと地面に落ちてふるふる揺れる。
「ふん、なに言ってるのよ」
ジョーはばたりと前のめりに倒れた。
料理途中でやってきていた村人が、お玉でボウルを叩く。
カーン!
その音は朝のエバラン村に高く響き、ウニリィは拳を掲げる。
歓声があがった。
ξ˚⊿˚)ξナインハルト・ウニーガー。






