第86話:ふよふよふよふよ(震え
リンギェは背筋を伸ばし、マグニヴェラーレに向き直った。
「いいですか、ちぃ兄様」
「うん?」
「ウニリィさんは私がお義姉さまと呼んだことに対し『気が早くないですか』とおっしゃいました」
うんうんとウニリィは頷く。そうそう、気が早いにも程がありますよねーと思いながら紅茶を口にした。
リンギェは言葉を続ける。
「つまり、いずれはちぃ兄様と結ばれ、お義姉と呼ばれる気があるということです」
ぶふぅ。ウニリィは紅茶を吹き出した。
「げほごほ、すいませっ……げほごほ」
気管に紅茶が入ってむせるウニリィの背中をマグニヴェラーレはさすってやる。リンギェとしてはその様子を見ているだけでも、ただならぬ仲であると思うのだが。
「リンギェ、ウニリィ嬢はそういう意図で言っていない」
マグニヴェラーレは苦言を呈し、まだむせいているウニリィもこくこくと頷いた。
「表面上はそうかもしれませんが、心の奥底ではそう考えている。そういうこともあり得ますね」
リンギェはすまし顔でそう言った。
「リンギェ……!」
「ちぃ兄様、ここは身内の場だから構いませんが、しっかりとウニリィさんをリードして差し上げなくてはなりませんよ。彼女の後援者であるとおっしゃるのならね」
「……うむ、……そうだな」
サレキッシモは妹に論破されているマグニヴェラーレを眺めてにやにやと笑っていた。かくいう自身もリンギェに動かされているのであるが。
リンギェの言うのも正しいのである。実際のところ、貴族の社交や外交などの場においては言葉尻や揚げ足を取られて面倒なことになることは多々ある。
マグニヴェラーレには特に覚えのあることであった。
ミドー公爵家の直系であり、天才的な魔術師であり、さらには美貌の彼である。幼い頃に貴族の礼儀としてうっかり女性を褒めたことをきっかけに、女性本人やその父によって婚約者として捩じ込まれそうになったことは二度や三度ではすまない。
マグニヴェラーレの女嫌いというか女性不信の端緒であるとも言えた。
「ウニリィ嬢は貴族社会には不慣れだからな。私も気をつけよう」
マグニヴェラーレはウニリィの背を撫でながらそう言った。そしてこぼれている紅茶を拭こうとナプキンを取って、咳の止まったウニリィはそれを手でとどめる。
「……大丈夫です、ありがとうございました」
ウニリィはそう言うと、膝の上のスライムを持ち上げて、こぼれた紅茶をふき始める。
うにょうにょ。
テーブルクロスの染みにならんとしていた紅茶が、スライムの体に吸われていく。
「お召替えを……」
「いえ、大丈夫です!」
ウニリィは服をスライムでぱたぱたとはたいた。紅茶をこぼしたような跡は全く見えなくなった。
「良かったです。スライムさんは有用なのですね」
リンギェはそう言って笑みを浮かべた。
「ふふふ、ありがとうございます」
「カカオ家のスライムだけだがな、こんなことができるのは……」
使用人たちを下げさせていたから話はこれで終わった。だがもし彼らがこの様子を見ていたら、主人たちの話に割り込んでもスライムの性能について聞こうとしたであろう。掃除や洗濯に革命が起きていたかもしれない。
ふるふる。
卓上に置かれたスライムは誇らしげに揺れるのだった。
ともあれ翌日は国王陛下との謁見であるから、あまり長々とお茶会を続けるわけにもいかない。マグニヴェラーレは王都に戻ってきたことの報告や仕事の引き継ぎのため、一旦は魔術塔、王城にある宮廷魔術師の職場に向かった。
そしてウニリィは謁見のためにマナーの復習と、風呂に入れられてぴかぴかに身体を磨かれるのであった。
そして翌日である。
王都チヨディアの中央に高く聳えるお城へと向かう馬車に、宮廷魔術師の正装に身を包むマグニヴェラーレにエスコートされて乗り込んだウニリィである。
「似合ってますよ」
「ひゃ、ひゃい!」
お風呂にエステとピカピカに磨かれ、美しいドレスを纏ったウニリィはガチガチに緊張していた。
「そこまで緊張しなくても大丈夫ですよ」
「ふひゃい!」
ウニリィはぶるぶる、がたがたと震えている。
ふよふよふよふよふよふよ。
彼女の着るシフォンのドレス、そのスカートの上では青いスライムが小刻みに揺れていた。スライムが揺れているのではなく、ウニリィの太ももが揺れているのだが。
「ほら、陛下はスライムの帯同を許してくださったのだから、安心して」
昨日、マグニヴェラーレが登城した際に、その話をしたら連れてくるようにというお達しがあったのである。
ウニリィの震えが大きくなった。
「むしろそれが緊張するんですよぉ!」
前回は陛下の前にスライムを連れて行ってやらかしたのである。
ウニリィは涙目であった。
「私もついているから、悪いようにはならないさ」
マグニヴェラーレはそう言ってチーフを取り出すと、せっかくの化粧が崩れないようにウニリィの目元に当ててやるのであった。






