第85話:気が早くないですか。
ウニリィたちは屋敷の中へ。壁の一面に大きなガラスが張られ、整えられた庭の見える応接室に通される。
「うわぁっ」
ウニリィは感嘆する。
夏とは違う落ち着いた色の葉を背景に、秋バラが鮮やかに咲いていた。さらには部屋の中にも切り花が生けられていて、ふくよかな香りが部屋に満ちている。
「素敵ですね!」
季節は秋、美しい花を愛でるのに庭に長居しては肌寒くなってしまうものだ。こうして応接室で部屋の中にいて、花の色も香りも楽しめるようにという行き届いた配慮が感じられた。
「ふふ、そう言っていただけてなによりですわ。ささ、お座りになって」
リンギェに促されて席につくと、すぐに使用人たちがお茶の用意をする、それが整うやいなや、マグニヴェラーレが口火を切った。
「リンギェ、ずいぶんと面白い真似をしてくれたじゃないか」
「面白いならようございましたわ」
「皮肉に決まっているだろう」
兄妹のやりとりに、サレキッシモが思わず吹き出す。
「ちい兄様、お客様の前でそのような話はいかがなものでしょう」
「それこそお客様の前でちい兄様はやめなさい。だが、ここにいるのは関係者だけだろう」
マグニヴェラーレが卓を指で叩くと、それが合図であったように壁際に控えていた使用人たちが一礼し、ぞろぞろと部屋から出ていく。
おぉ、すごい……。とウニリィはその統制の取れた様子に感心して、小さく声をあげた。
「ここにいるサレキッシモなる吟遊詩人を使って、私とウニリィ嬢の恋の歌を歌わせていたのはわかっているぞ」
「まあ、ちい兄様のおっしゃる通りですわねぇ」
「なぜ許可も得ずにそのようなことをしたのか」
「許可なんて得られないに決まっているからですわ」
そりゃそうだと、サレキッシモが腹を抱えて笑う。
ふー、とマグニヴェラーレは長いため息をつき、紅茶を口にした。ウニリィは卓上に置かれた、きらきらとつややかなケーキにちらりと視線をやる。
「どうぞ、お召し上がりください」
すかさずかけられたリンギェの声に軽く頭を下げて、ウニリィはフォークを手に取る。
村でも祝い事などあればケーキくらい食べることはある。エバラン村は僻地の寒村でもないし、カカオ家は村人であった頃からも裕福な方であったので。
だが、どうしてこのケーキはこんなに色鮮やかで輝いているのだろうか。私の知るケーキと違うと思いながら、美術品のようなそれにフォークを入れる。
ぱくり。
口の中に広がる幸福にウニリィは思わず身悶えした。足がぱたぱたと揺れて、膝上に置いておいたスライムがふるふると揺れる。
「なるほど、この可愛らしさにちぃ兄様はやられましたか」
リンギェがしたり顔で頷く。なぜか3人の視線がウニリィに集まっていて、ウニリィは赤面した。
マグニヴェラーレは咳払いを一つ。
「やられてはいないが、その素直で善良な気質は得難いものであると思う」
「これをあざとくなくやれるのは素晴らしいですわ」
ウニリィは軽く首を傾げた。褒められているのかなんなのか怪しいところである。
「確かに貴族的ではないですけどもね。ちぃ兄様に迫っていた女性たちには持ちえぬ資質ですから」
「迫られていたのですか」
「ええ。ちぃ兄様は美形ですからね。非常にモテたのです。本人は望んでいなくともね」
ウニリィは横に座るマグニヴェラーレを見上げた。顔が良い。
そして確かにさっきも女性たちに追われていた。
「女性にはいつも塩対応どころか氷点下の対応でしたからね。それがウニリィさんには優しいのですから、家族としても驚いたものです」
ウニリィは膝上のスライムを抱き上げた。
胸と腕に挟まれるスライムは、抜け出そうとうにょうにょ身を揺らす。
「それはこう……なんとなくわかりますが。うちのスライム目当てな気もするんですよね、ヴェラーレさんは」
「ヴェラーレさん!」
リンギェは目を丸くして驚いた。
あ、とマグニヴェラーレが失敗したという表情を浮かべ、サレキッシモはニヤニヤと笑った。
「ヴェラーレさんですって!!」
リンギェは大事なことなので2回言った。
「この、朴念仁で女性なんて魔術より価値がないと思い込んでいるこのちぃ兄様が! 自分をヴェラーレと呼ばせることを女性に許しているんですか!」
「はいぃぃ!」
リンギェが迫り、ウニリィは肯定する。
立ち上がったリンギェはウニリィの手を掴んだ。
「兄をよろしくお願いします……!」
「えー……」
「ウニリィお義姉様!」
「気が早くないですか」
「……お嫌ですか?」
リンギェは悲しげに眉を寄せて小首を傾げた。
まだ若く小柄で可愛らしいリンギェがそうすると、胸がきゅんとするのをウニリィは感じた。なるほど、これがあざとい。とウニリィの冷静な部分は思うのだが、これを断ることはできなかった。
「……嫌というよりは驚いたというか……困惑しただけで」
「ではそう呼んでも構いませんね!」
「えー、はいぃー」
ウニリィは言い淀みながら肯定してしまう。
「リンギェ、やめなさい。ほんとに」
マグニヴェラーレは渋面でそう言うのだった。






