第84話:こいつくすねていったんですよ。
「え……いや? ええっ!?」
ウニリィは慌ててスカートを押さえる。その手の下から、青いスライムがふよん、と馬車の床の上に転がった。
「結局連れてきたんですか?」
マグニヴェラーレが問う。
エバラン村を出るときに、青いスライムがポケットの中に入って付いてこようとしていた。マサクィはそれを看破して、スライムを村に置いていかせたのだが。
「ええっ! ……なんでいるの?」
だがウニリィもスライムがついてきていたのを知らなかったようである。
彼女は驚きながらスライムを持ち上げた。
ふにょん。
青いスライムであるが、体内に何か浮かんでいる。茶色っぽくて細長いものだ。
ふよふよもにゅもにゅ。
スライムの体内でそれはゆっくりと溶けていく。消化されているのだ。
「……鮭とば?」
ウニリィはスライムに顔を近づけ、すんすんと鼻を動かした。
僅かにフルーティーな香りがする。先ほどまでウニリィが飲んでいたリンゴ酒のものだ。
「お酒飲んだ?」
うにょん。
スライムは身を捩った。
サレキッシモが笑う。
「姿は見えませんでしたが、さっきの卓で残った酒やつまみを、こいつくすねていってたんですよ」
「なにやってんのよもー」
ふるり。
えへー、ばれちゃいました! と思念が流れてくる。
ウニリィに気づかれないようについてきたのだが、酒の味を覚えてしまった青いスライムはひょっこり出てきてしまったのだろう。
だがそれより……。
「そもそも、どうやってついてきたのよ」
エバラン村から出るときに、マサクィに取り押さえられたのではなかったのか。
ふるり。
「なになに……、自分たちがいなくなれば、わたしとかマサクィさんに気づかれて捕まっちゃうから……」
ふるふる。
「体を半分に分けてわざと捕まって……」
ふるりふるり。
「残った方は隠れてたと……」
うにょん。
「これぞニンポー、身代わりの術。って、どこで覚えてくるのよそんなの……」
ウニリィはガクリと肩を落とした。
スライムはうにょうにょ揺れながら、牧草地のそばで遊んでる子供たちが言ってたと思念を送る。
ちなみにニンジャとは冒険者の中ではいわゆる盗賊、シーフ系の上級職として有名である。子供たちがニンジャごっこをしていても不思議ではない。
横で聞いていたマグニヴェラーレは驚愕した。
「スライムがそこまで高度な思考力、そして自我を持ちますか」
「最近こうなっちゃいましたねー」
マグニヴェラーレはスライムに鋭い視線をやる。
「非常に素晴らしい。ですが危険でもある」
「……ですよねー」
主について行きたいという、子が親を慕うような素朴な愛情である。だが、それによって魔獣が主人の命令に逆らっているのは非常に危険なことだ。
人間の子供と違い、魔獣は容易に人を傷つける力があるのだから。
ふるふる。
ぼくわるいスライムじゃないよ。スライムはそう言う。
「言うこと聞かないのは悪い子ですー」
「っはは」
マグニヴェラーレとサレキッシモは笑った。
こうしてウニリィがスライムにお説教しているうちにも馬車は進む。チヨディアの城に近づけば、その威容は見上げんばかりであるし、道行く人の姿も変わる。平民の姿が見られぬ、いわゆる貴族街という区域に入るのだ。
サレキッシモが尋ねる。
「城の南側ですか」
「うむ、ミストゲートに屋敷を賜っている」
王城の南側の貴族街はミストゲートの町といい、貴族や、特に役人の屋敷が立ち並ぶ一角である。マグニヴェラーレは宮廷魔術師であるから、そこに官舎があるのだろう。
「宮廷魔術師次席ともなれば、いいとこに家をもらえますな」
「まあ、そうだな」
マグニヴェラーレは曖昧に答え、サレキッシモは笑みを浮かべた。
ウニリィは、はえーと感心した表情を浮かべている。
サレキッシモが南かと尋ねたのは、マグニヴェラーレがミドー公爵家の令息であると知っているためであり、ミドー公爵家の邸宅があるコストンカワは王城の北に位置するので、そちらに行くわけではないのかという意味でもあった。そして、コストンカワの広大な庭園つきの屋敷に住んでいた彼ならば、ミストゲートの一等地に家をもらったとて、そりゃ感動もあるまいと笑ったのだ。
馬車は瀟洒な屋敷の前に停まった。
「おお……素敵」
ウニリィが感嘆の声をあげた。
屋敷の大きさ自体は周囲の屋敷に比べると小さいものである。だが、純白に塗られた外壁には汚れひとつなく、窓や屋根は優美な線を描いており、小さな庭の草木もまた完璧に整えられている。その外観の美しさはこのあたりでも随一に見えた。
「そう言っていただけるのは何よりだ」
馬車の横に従者が階段を取り付け、扉が開けられる。
マグニヴェラーレはウニリィの手を取って階段を降りた。
彼らの前には使用人たちが頭を下げて並んでいるが、その奥。家の玄関の前にはドレス姿の少女が胸を張るようにして立っていた。
「おかえりなさい、ちい兄様。そしていらっしゃいませウニリィさん!」
彼女、リンギェはそう言って淑女の礼をとるのだった。






