第82話:はふひへはーへはん!
「やれやれ、災難であった」
マグニヴェラーレはぼやいた。
マグニヴェラーレは追っかけの女性たちをまいて、しばし身を隠してから元の店に戻ってきたのである。
逃げ出す前にウニリィに防御の魔法をかけてから出たのは、もちろんウニリィを護るのが第一であるが、かけた魔術の場所によって彼女の居場所がわかるようにするためでもある。
彼が魔力を感知したところ、どうやら別の店にいるらしかった。騒ぎになって、もといた店を追い出されたのだろうか。
行ってみればそこは開店前の酒場で、ウニリィの知る店とも思えないからサレキッシモが連れて来たのであろう。
「さすがに腹も減ったな……」
すでに昼時はとうに過ぎてしまっている。彼女はなにか食べられているだろうか。
「失礼、ここにサレキッシモという男はいるだろうか……」
マグニヴェラーレはそんなことを考えながら店に入った。
(もにゅもにゅもにゅもにゅ……)
「……」
店に入ればすぐの席にサレキッシモとウニリィはいた。
(もにゅもにゅ……)
ウニリィはなにやらいっしょうけんめい口を動かしていた。
そして入り口に彼の気配を感じたのか振り向いて手をあげる。
「ん! はふひへはーへはん!」
「食べてからでいいですよ。落ち着いてどうぞ」
マグニヴェラーレさん、と言いたかったのだろうが、口にものが入っていてくぐもった音しか出ていない。
「随分な真似をしてくれましたね」
「いやあ、すいません」
マグニヴェラーレはサレキッシモに凄んでみせるが、彼は杯を手にへらへらと気にした様子はなかった。
マグニヴェラーレは椅子を引き、卓につく。
サレキッシモは用意してあったグラスに蒸留酒を注ぐ。
「どうぞ」
マグニヴェラーレは少し躊躇したが杯を手にした。ここは茶など供する店ではない。ウニリィの前にも林檎酒の瓶が置かれていた。
そして卓上の皿にはジャーキーや炒り豆などの乾物が載っている。
彼は上等とまではいえないが、そう悪くない質の酒を飲み、豆を口に運んだ。
「何を食べているかと思えば鮭とばですか」
「ふぁい」
ウニリィは頷く。
(もにゅもにゅもにゅ)
なかなか噛みきれない様子であった。マグニヴェラーレは皿の上の鮭とばを持ち上げて眺め、皿に戻す。
「この季節の鮭とばは硬いでしょうに」
鮭は秋の魚、つまり今頃が収穫期である。ただそれは遥か遠方のエッゾニアでその時期に取れるという意味であり、ここ王都チヨディアで秋に食べられるというわけではない。
チヨディアで生やそれに近い状態の鮭が食えるのは王侯貴族や豪商たちの中でもでもごく一部だ。魔術で凍らせて輸送する必要があるためである。
では平民はどうするかというと、塩漬けにしたり乾燥させて保存のきくようにしたものを食するのである。鮭とばもその一種だ。
つまりどういうことかというと、作られてから1年が経つこの時期の鮭とばが一番乾燥が進んで硬いのであった。
「それもまた酒が進むのさ」
サレキッシモはそう言って笑うが、それを酒飲みでないウニリィに食わせているのはどうなのか。
実際、彼女はマグニヴェラーレが来てから喋られていない。
ふん、とマグニヴェラーレは鼻で笑う。
「追求されるのが面倒で、黙らせてでもいるのかね?」
「ほーはんへふは?」
「いやいや」
サレキッシモは降参するかのように両手を挙げた。
「これは妹御からのご依頼ですよ」
マグニヴェラーレはその言葉に舌打ちをし、豆を口に投げた。
「リンギェか……余計な気を回す」
マグニヴェラーレの妹であるリンギェは、女性に興味を示さなかった兄がどういう経緯であれ令嬢の後援者となったことを好機と考えている。
それ故に兄とウニリィが良い仲であるということを、サレキッシモを使ってアピールしているのだ。外堀を埋めているということだ。
「お前も碌なことをしない」
「へへへ」
マグニヴェラーレから見たサレキッシモは、スライムに酒を飲ませて騒動を起こしたり、そんな歌を歌っている男なのだ。そう感じるのも仕方ないだろう。
ウニリィはごくんと鮭とばを飲み込むと、やっと人間らしい言葉を放つ。
「そーですよサレキッシモさん! 楽器の調律がーとか嘘ついて残って、あんな歌を歌ってるだなんて!」
ウニリィはぷりぷりと怒るが、サレキッシモはわざとらしく袖で目を拭う。
「おお、ウニリィ嬢、申し訳ない。ですがリンギェ嬢にそうしろと脅されて仕方なく……」
よよよ、と泣き真似を始める。
「む、それはー……仕方ないのですかね?」
ウニリィが首を傾げ、マグニヴェラーレはため息をつく。
「ウニリィ、騙されるんじゃない。これが嫌々やらされていた男の顔なものか」
サレキッシモは笑っている。マグニヴェラーレは言葉を続けた。
「それに今の客の入りをみれば、随分と儲けていたのがわかるだろう」
「懐がだいぶ温かくなりましたね」
「もう!」






