第71話:彼女さんですか?
「ふあぁーぁ」
午前5時ごろである。ちゃっちゃと朝の支度を簡単に済ませて外に出たマサクィは、大きな欠伸をした。
太陽はまだ東の地平線を薄らと明るくし始めたような早朝であり、カカオ家の前の牧草地もまだ影の中に沈んでいる。
だがマサクィはその中を慣れた足どりで歩き始めた。
コケーコッッココケー。
村の方からは鶏が鳴く声も聞こえてくる。
「……ねっむいわー」
コケコッコー!
マサクィの呟きに返事がきたかのようである。
鶏系の魔獣、有名なのだとコカトリスなどいるが、テイマーの中でもそういうのを飼っている奴らは、その世話のために早起きである。
だが、マサクィもよもや自分が彼らよりも早く起きるような仕事につくとは思っていなかった。
これだって昨日ウニリィが王都から帰ってきたおかげで、スライムを起こす当番じゃなくなったのである。スライム起こし当番だと、これよりさらに1時間は早くスライム厩舎に向かわねばならない。
「おはようございます、マサクィさん」
背後から声がかけられた。
「うぃー、セーヴンおはよっす」
同僚のセーヴンである。彼は村に自宅があるので、村の中心部から村外れのカカオ家に歩いて通っているのである。マサクィは片手をあげて挨拶を返し、彼がやってくるのを待った。
「お疲れ様です」
「お疲れっスー」
二人は肩を並べて歩く。ふとセーヴンが笑みを浮かべた。
「何すか、急に笑って」
「いや、結局マサクィさんはカカオ家の専属みたいになっちゃってるなと」
「む、まあそうな」
木級や鉄級の若いテイマーも呼び寄せて作業を手伝わせているのだが、なかなか居着かないのである。
今も村にはテイマーが数名きていてスライムの世話の仕事を請け負わせているのだが……。
「あいつら起きてこねえんだからなぁ」
彼ら村の宿屋に泊まっているが、起きられずに遅刻である。
こうなると彼らの仕事の評価が下がり、それをマサクィがテイマーギルドのコマプレース支部に報告せねばならない。すると彼らの評価が下がり、テイマーランクの昇格が遅れるということになる。
「呼びに行きましょうか?」
セーヴンが提案するが、マサクィは首を横に振った。
「自己責任っしょ。ウニリィさんも帰ってきたし、あいつらいなくても仕事は回るっスからね」
マサクィはそう言う。確かに仕事の評価が下がるのは彼らの自己責任であるが、問題は別にある。仕事を終えた彼らがギルドに戻って、カカオ家の仕事クソきついという噂を流すのは止められないということだ。
キツい分だけ、仕事料は低ランク向けの仕事にしてはかなり高額であるので、誰も手伝いに来なくなるということもないだろう。
だが短期のキツい仕事でちょっと稼ぐ的な使われ方をされれば、管理する者が抜けづらくなる。つまり、マサクィがカカオ家の専属テイマーになりつつあるのであった。
「ニャッポちゃん、ずっと会えてないなー」
「ニャッポちゃん?」
セーヴンは聞き返した。
「彼女さんですか?」
「いや、ゴリラ」
「ああ……」
マサクィのテイムしている魔獣はヘルフレイムゴリラである。確かに彼がエバラン村に来てからそのゴリラを連れてきたことはなかった。
だがそれにしても全然ゴリラっぽさのない名前だなとセーヴンは思った。
「この村に連れてきちゃマズいかな」
「いやあ、こっちからはなんとも。マサクィさんの魔獣ならちゃんと躾けられてるとは思いますが、ゴリラですよね。さすがにクレーザーさんと村長なんかに許可貰わないと」
「だよなぁ……ん?」
マサクィはふと何かに気づき、足を止めた。
「どうしました?」
「スライムいなくね?」
二人は周囲を見渡す。
確かに牧草地にスライムがいなかった。普段ならこの時間には起きてきたスライムが、のそのそと牧草地中を散歩するかのようにうごめいているのだが。
「ウニリィさんが寝過ごしたっスか?」
「あっ」
セーヴンがスライム厩舎に指を向ける。厩舎の入り口のあたりにスライムたちが固まっていた。
彼らはふるふる、ふるふるとなにやら厩舎の中を覗き込んでいるかのような仕草を見せていた。
「何してんだありゃ?」
「さあ、行ってみましょう」
二人がなんとなく足を忍ばせて向かえば、厩舎からはいつも通りのスライムを叩きつける音が聞こえてくる。
ぱん。
「いいですね!」
いや、普段より少し音は小さいだろうか。そしてウニリィが何やら賞賛する声。
ぱーん。
「どんどん良くなってますよ!」
ぺぃん。
「ちょっと外しちゃいましたね。でも大丈夫です!」
スライムたちをかき分けて中を覗けば、マグニヴェラーレがスライムを持ち上げて棚に叩きつけている。
ウニリィはそれを隣で指導しているのだった。
「こうですよ、こう」
ぱぁん!
「なるほど、こうか」
ぱぁん!
「そう、それです! ヴェラーレさん最高です!」
男二人は顔を見合わせる。
「……彼、貴族じゃないすか。不敬罪とかにならないっスかね」
「楽しそうだし、いいんじゃないでしょうか」
マグニヴェラーレは非常に興味深げにスライムを叩きつける作業を教わっているのであった。






