第70話:スライム職人の朝は早い——(再)
スライム職人の朝は早い——
マグニヴェラーレがカカオ家に滞在するようになった翌日、午前四時前。ウニリィは日が昇る前には起床して、寝巻きから作業着に着替えはじめる。
季節は秋、だんだんと早朝の肌寒さが増してくる季節である。闇の中、灯されたカンテラの頼りなげな光に白い裸身が浮かび上がった。
たおやかな女性の身体である。だがその柔肌には脇腹のあたりに大きな傷痕があった。古く、薄れてはいるが、広範囲に肌の色が変わっている。かつてスライムの酸を浴びてしまい、ただれてしまったものだ。
「うー、……さむっ」
ウニリィは肌寒さにぶるっと身を震わせると、いそいそと作業着を着込んで、その上から対酸・腐食性能のあるエプロンを羽織り、橙色の長い髪を伸縮性のある輪でさっと後頭部に束ねるだけの簡単な身支度を済ませた。化粧などはしない。最後に分厚い革の手袋をはめるとカンテラを持って部屋の外へ。無人の工房を通って家の外に出れば……。
「おはようございます」
「うわぁ、びっくりした」
家を出ようとしたところで客間……として利用されている、かつてジョーが住んでいた部屋の扉が開いて、マグニヴェラーレが姿を現した。
紫の瞳にかかる瞼はまだ眠たげに落ちかかっているが、そんな姿であっても美形は美形であった。
朝からイケメンは心臓に悪い。などと訳のわからないことを考えながらウニリィは頭を下げる。
「おはようございます。大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありません」
マグニヴェラーレは頷きを返す。二人は並んで外に出た。家のまえに広がるのは朝靄に覆われた草原である。マグニヴェラーレがウニリィの仕事を見学したいと言うことで、一緒にスライム厩舎に向かっているのだ。
「ウニリィさんこそ、いつもこんなに朝が早い?」
「最近はマサクィさんやセーヴンが手伝ってくれるのでだいぶ楽になりましたけどねー」
それはつまり、彼らを雇うより前は彼女がずっと毎朝の仕事をしていたということを意味している。
ウニリィは重く軋む厩舎の扉を開けた。淡い緑色の瞳が倉庫を見渡す。
「異常なし」
白い息と共に、可愛らしい女性の声が響いた。ウニリィは齢16の乙女である。
厩舎内には木製の棚がずらりと並んでいる。扉などはなく、柱に横板が渡されただけの簡素なものだ。そしてそれの上にはこんもりと、色とりどりの丸い影が無数に載っている。
大きさは30cm前後。縦にはつぶれていて、まるでパン種の小麦粉を練った塊か、あるいは東方のカガミモツィなる食物が並んでいるかのようである。
スライムであった。
ウニリィはカンテラを壁に掛け、マグニヴェラーレに一言声をかける。
「じゃあ始めますね」
「はい」
ウニリィは壁に掛けられていた棒を掴むと、大きく息を吸う。
「みんな! 朝よ!」
そう叫んで厩舎の入り口にあった銅鑼を大きく鳴らした。ジャーンと金属の打ち鳴らされる音が響き渡り、スライムたちの表面が振動にぶるぶると波打つ。
ウニリィは銅鑼を数度打ち鳴らしてから棒を置くと、やおら棚に駆け寄った。
「はいおはよう!」
ウニリィはスライムを脇から持ち上げるように両手で掬い上げると、空中でくるりと回転させて棚に叩きつけた。
ぱぁん、と気持ちの良い音がする。それはまるで熟練のピッツァ職人のようでもあった。
スライムがもぞり、と動いて棚から降りていく。
その時にはウニリィは隣のスライムの前にいた。
「おはよう!」
ぱぁん!
「おはよう!」
ぱぁん!
「……何をしているか伺っても?」
ウニリィが作業を続けていると、マグニヴェラーレから遠慮がちに声がかけられる。
「これはですね! スライムを起こしてるんです!」
ぱぁん!
質問に答えながらもウニリィの手足が止まることはない。
ぱぁん!
「スライムは感覚器官が鈍いので」
ぱぁん!
「こうして空中でこねることで空気を取り入れさせて」
ぱぁん!
「衝撃を与えると活性化するんですよ」
ぱぁん!
「はいおはよう!」
ぱぁん!
起こされたスライムたちはのそのそと柱を伝って床に下り、のそのそと入り口側へと進んでくる。
マグニヴェラーレはそのうちの一匹を掴み上げると、視線の高さに持ち上げる。
にょろん。
そしてまだ棚の上にいるスライムを一匹持ち上げた。
にょー……。
「ふむ、興味深い……」
なるほど、たしかにその動きには目視でもわかるほどの差がある。空気の取り込みと衝撃を与えること。スライムを活性化させるために効率の良い動きとして見出されたのがコレなのであろう。
ぱぁん!
「合理的ですね」
マグニヴェラーレはスライムをもといた場所に戻しながらそう言った。
ぱぁん!
「ご、合理的ですか?」
ぱぁん!
「うむ、そして美しく洗練された手際です」
「ええっ!」
ぺぃん!
突如褒められたウニリィの手元が狂ってスライムが棚から落ちた。
スライムは抗議するように床で跳ねてから外に向かっていった。
「急にそんな褒められると……」
ぱぁん!
美しいは手際にかかる形容詞であって、ウニリィにかかっているわけではない。オーケー、ウニリィ? ウニリィは心を落ち着かせた、
ぱぁん!
「それは失礼しました。私も体験してみても?」
「ええっ!」
ぺぃん!
再びスライムが棚から落ちて転がっていった。
この作業を見た令息たちは、みな嫌そうな顔をして離れていったのだ。よもや自分からやってみたいなどと言う者がいるとは!
ウニリィは頬が緩んでくるのを感じた。
「もちろんです! 手とり足とりお教えしますね!」
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