第66話:なん……だと……?
それから数日後、合戦の前日である。
ベアーモート伯爵は軍勢を動かす準備を始めていた。本陣から敵陣に向けて、ノイエハシヴァ軍の後背をつくために移動を開始するためである。
「糧食、行き渡りました」
輜重部隊の兵がベアーモート伯に敬礼して報告する。
「うむ」
移動のため、これから補給を受けられないからである。輜重は行軍速度が遅いため、彼らに帯同できないのであった。
報告した男は、鞄から琥珀色に輝く瓶を取り出した。
「それとこれは輜重部隊特別顧問から、閣下への特別な差し入れでございます」
「特別顧問とは……アレクサンドラ姫からか」
それはウィスキー、オッターフェスタの15年ものであった。王族すら好む逸品だ。戦場でお目にかかれるような品ではない。
「はい、勝利の美酒としていただければと」
「感謝しよう」
軍隊は完全なる男性社会である。女の兵や騎士もいるが、上層部はほぼ全てが男だ。
アレクサンドラが貴族の筆頭たるキーシュ公爵の令嬢とはいえ、軍の正規の指揮系統に組み込まれるのは不可能であり、特別顧問なる待遇で身を捩じ込んだのであった。
兵が去った後、伯爵は副官にぼやく。
「あれも平民なんぞに入れ込まなければな……」
彼女が来て食糧の配給量も質も増えた。こうして気の利いた付け届けまである。公爵家からの支援があり、それをしっかりと生かす才能が彼女にはあるということだ。
「その平民もここで終わりです。彼女の立場もなくなるでしょう」
「うむ。それよりヘヴンシー殿はどうだ」
ヘヴンシーとはこの戦争に従軍している、イェッドニア王国の宮廷魔術師筆頭たる老魔術師である。
「腰の調子がすぐれぬとおっしゃって帯同は叶わぬと……」
「大魔術師も寄る年波には勝てぬか……仕方ない。行くぞ!」
「はっ!」
ベアーモート伯爵らの別動隊がセーキフィールドの外縁部をぞろぞろと進軍する。
それをジョーは本陣から見下ろし、呟く。
「こんなんで裏をかけるわけねえんだよなぁ」
「全くだな」
ナンディオが同意する。
確かに平原とはいえ多少の凹凸はあるし、敵陣から直接この動きは見えないのは確かである。
だが鎧姿の騎兵が数多く移動し、それを敵の斥候が気づかぬはずはない。
「ふん」
鼻を鳴らす音が響く。
「これで敵方と通じているというのがばれんとでも思っているのかの」
魔術用の捩じくれた長杖をついた老爺である。
彼こそがヘヴンシー。宮廷魔術師筆頭であった。腰が痛くて動けぬとはなんだったのか、ベアーモート伯の軍が行くと、すたすたと歩いて自身の天幕へと戻っていった。
「偏屈なじいさんだ」
「聞こえておるぞ!」
ジョーの呟きに怒鳴り声が返り、ジョーは笑ったのであった。
「ま、これで勝ちの目があるってことだ」
さらに前日の夜である。
ジョーは手土産に高品質の魔石、彼が以前狩った魔獣のものを手土産に、ヘヴンシーの天幕を訪ねていた。
魔石をランプの灯りにかざしてその品質を確かめている老魔術師にジョーは話しかける。
「じいさん」
「なんだね若造」
「大将から別動隊に誘われたか」
「ふむ? そうさな」
老爺は無造作に魔石をローブの袖に放り込むとそう答える。
「ありゃあ裏切るぜ」
「ほう、思ったより馬鹿ではないらしい」
「馬鹿さ、そう教えてくれるのがいただけだ」
老魔術師は手にした杖で床を叩く。
「愚か。自分が賢いと思って人の話を聞かぬ者より、自分が愚かと思って人の話に耳を傾ける者のほうがずっと賢いものよ」
「んんん……?」
愚かと言いながら内容は実のところ、ジョーを褒めているようだった。
「裏切ると分かっててついていくのか?」
「奴らはあれでも貴族よ。裏切りの証拠など残しておらんし、言質も取らせはしない」
「なるほど?」
「奴らが裏切りを決定的にしたところで、儂が奴らを殺すまで」
ジョーは笑う。思ったよりこの老爺はずっと過激であるようだった。
「だがじいさんはそれじゃ戦場の逆側に取り残されるし、戦は負けちまうぞ?」
「若造が儂の心配なぞ片腹痛い。一人であればどこであっても城に帰れるとも」
そういった魔術が使えるということであろう。ジョーは素直に頭を下げた。
「それは失礼した。後者については?」
ふむ、とヘヴンシーは長い髭を撫でて逆に問い返した。
「愚か者よ。お主はどう思う?」
「この戦の勝敗は、国としては大したことはないらしい。俺たち戦場にいるものには大問題なんだがな」
ジョーの言葉に老爺は頷き、先を促した。
「だからじいさんにとっちゃ勝敗よりも忠義のが大事ってことか。それがあんたの選んだ道なんだろう」
「然り。宮廷魔術師とはそういうものよ」
老爺は満足そうに笑みを浮かべる。
ぱぁん!
大きな音が響いた。
ジョーが両の手を合わせた音である。
「……なんだ」
「そこを頼む。俺に勝たせてくれ」
「先の魔石はそれを頼むためか? ならばこれは……」
ヘヴンシーが魔石を返そうとし、ジョーはそれをとどめた。
「いや、それはじいさんに会うための手付けだ。返さなくていい」
「では何だ。儂の目的を曲げさせるために、お主は何を提示する? 英雄と祭り上げられている平民の命なんぞ、儂が惜しむと思うなよ?」
ジョーは心の中でウニリィにすまんと謝った。家を出て義理を欠いているのにお前を利用すると。
「あんたのとこの秘蔵っ子、俺の妹と良い仲らしいぞ」
「なん……だと……?」
老爺の手から杖が倒れた。
あまりにも衝撃であったらしい。
「あの魔術にしか興味ないマグニヴェラーレが! お主の妹にだと!?」
「らしいね。俺もさっきアレクサンドラ嬢から聞いたから詳しくは知らないんだけどよ」
ヘヴンシーはさらに驚愕する。キーシュ公爵家の調査だ。間違いなどないし、それが宮廷魔術師の長に嘘を言う筈もない。
ジョーは再び両手を合わせて、頭を下げた。
「妹に男ができたってなら、生きて帰ってその面を拝みたいんだ。頼むよ」
「ふはは! お主がマグニヴェラーレの義兄か! ふははははは!」
老爺は大いに笑い、ジョーへの助力を約束したのだった。
宮廷魔術師筆頭が従軍してるって話は以前に書いてあるはず。
ジョーと会わせるはずだったけど前話まで忘れてたよね(死
戦争自体はナレにしてさくっと終わらせて次話くらいでジョー視点終わらせてウニりたい(願望






