第6話:だがそれではダメだ。
その日の夕食の席にナンディオは同席し、ウニリィとクレーザーに向けて言った。
「お渡した男爵への任命状ですが、あれはあくまでも辞令にすぎません。正式には王城で任命式を受けていただかねばならないのです」
「お、おうっお、王城に!」
クレーザーがひっくり返ったような声を出した。
「王都に行かれたことは?」
「それはありますが……」
クレーザーは年に数度、スライム製品を卸すために王都チヨディアの職人街や問屋街に赴く。エバラン村から王都までは歩いて片道3時間程度、日帰りも可能な距離だ。商談や接待もあるので、概ね一泊してくることが多い。
だが当然、王都の中央にそびえる城はおろか、城の近くに位置する貴族のタウンハウスなどが並ぶ住宅街にすら入ったことはない。平民が用もなくうっかり近づけば巡回している警邏に捕まるだろう。
「ウニリィ殿は?」
「何度かは……」
スライムを飼っているということはその世話のために誰かいなくてはならないということだ。二人家族ということもありなかなか出かけるのは難しい。
ということを説明すると、ナンディオは尋ねる。
「お弟子さんはとられていないのですか?」
「いやあ、いたんだけどねぇ……なかなか」
かつてはいたこともあるが、仕事が厳しくやめてしまうことが何度かあったという話をクレーザーはした。さもありなんとナンディオは頷く。
ナンディオはクレーザーとウニリィの仕事ぶりをどちらも見学したのだ。正直、常軌を逸した仕事量とそれを支える熟練の技を感じた。まだ10代のウニリィからもだ。
「クレーザー殿、ウニリィ殿。自分はスライム職人という仕事に詳しくはありませんし、たった1日あなたたちの仕事を見学しただけです。それでもそれは素晴らしいものだとわかりました」
「ありがとうございます」
ナンディオの賛辞にクレーザーとウニリィが感謝を述べ、ナンディオは頷く。そして真剣な表情を浮かべて厳しく告げた。
「だがそれではだめだ」
ひゅっ、っとウニリィの喉の奥が鳴った。
ナンディオは両手をあげて拳を重ねた構えをとる。剣の構え、いつもジョーが棒を振っていた時のような仕草だ。
「あなたたちを剣の達人にたとえましょう。剣の戦いでは無敗、ですが戦場で剣が折れたらなんとします?」
少し悩んでウニリィが答えた。
「……予備の剣を抜きますか?」
「ええ、その通りです。ですがあなたたちにはそれがない」
クレーザーが反論する。
「もし私が倒れても娘が、娘が倒れても私がそれを補うでしょう」
だがナンディオは首を横に振った。
「この家の家業はスライム職人であるとジョー殿から伺ってきましたが、自分が見るにそうではありませんな。クレーザー殿はスライム職人の仕事をなさる。ですがウニリィ殿はスライム飼い、テイマーと呼ばれる仕事をしておられる。互いが予備の剣にはなりますまい」
もとはスライム職人であったクレーザーが品質向上のために原料であるスライムの質にまでこだわったがためである。
なるほどクレーザーのスライム製品の質は高いのだろう。だが、それゆえに仕事量が単純に倍化しているのだ。それを二人で回しているのは彼らの有能さには違いないが、破綻の見えるやりかたでもあった。
「そもそも、お二人のどちらかが家にいなくてはならない、長く家をあけられないでは困るのです。男爵とはいえ最低限の社交はこなしていただかねばなりませんからな」
「しゃこー?」
ウニリィは首を傾げた。
「社交です。狩猟会やお茶会、夜会などですな。お二人でジョー殿が所属することになる公爵家の派閥の貴族を中心に顔合わせしていただかねば困るということです。それはこの村から向かって日帰りというわけには行きませんぞ」
「それは、困るっ」
クレーザーが言うが、ナンディオは再び首を横に振る。
「根性のある徒弟が捕まらないのなら、普通の徒弟やあるいは日雇いでも10人集めれば良いのです」
「そんな金は……!」
「あります」
ナンディオはぐっとクレーザーを見つめる。
「金なら、いくらでも、あります」
つよーい、とウニリィは思った。お父さんが一瞬で黙らされたわと。
お金があるのは強い。その大金とやらをあの兄が稼いできたというのがどうにも信じられないという思いはあるが。
「任命式まではまだ時間はあります。我々も手伝いますから、しっかり準備をしていきましょう」
「……お願いします」
クレーザーが頭を下げ、ナンディオは笑みを浮かべた。彼の纏う雰囲気が柔らかくなる。そしてウニリィの方を見た。
ウニリィはドキッと心臓が跳ねたような気がした。
「シルヴァザには行かれます?」
ウニリィはぷるぷると首を横に振る。
シルヴァザといえば、王都の一等地にある、この国で最も有名な高級商業地である。一介のスライム職人である村娘が行けるような場所ではない。
「シルヴァザのスリーコッシュに行かれますよう」
「す、すすす、スリーコッシュって、私でも知ってる高級店じゃないですか!」
「はい、そこで礼服とドレスを仕立ててください」
「はぁっ!?」
「はあっ!?」
クレーザーとウニリィが揃った悲鳴をあげる。
「ご安心ください。公爵家の姫君の名で予約を押さえてありますので」
何も安心できる要素がなかった。