第58話:むしろこっちが本業でしてね。
翌日である。
朝の食事を終えてすぐくらいの時間にマグニヴェラーレが馬車で王都邸に訪れた。
ウニリィたちももう出発の準備はできている。エバラン村は王都近郊とはいえ、移動にはそれなりの時間がかかるものだ。このあたりからスナリヴァまで2時間ほど、休憩を挟んで、そこからエバラン村までさらにもう2時間というところだろう。
荷物を馬車に積みかえるなどして終えたところで、サレキッシモが頭を下げる。
「それでは道中お気をつけて」
「はーい、あなたもね」
うにょん。
馬車の窓からウニリィが手を振り、スライムが身を捩る。マグニヴェラーレが尋ねた。
「おや、君はカカオ家に戻らないのか」
「サレキッシモさんは、なんか楽器の調律とかの用事があるらしいですよ」
ウニリィの言葉に、マグニヴェラーレは彼の服装を見る。従者の服ではなくマント姿の旅装に見えるが、背にはリュートを担いでいた。
「ふむ、君は楽器を嗜むのかい」
「むしろこっちが本業でしてね」
なるほど、吟遊詩人か音楽家が従者の真似事をしていたらしい。
サレキッシモは馬車が見えなくなるまで邸の前で彼らを見送ると、踵を返す。
彼が向かうのは王都チヨディアの中でも楽器屋などが立ち並ぶ、ティノウォータの街である。彼は歩きながら一人ごちる。
「ま、調律のためというのは、本当であり嘘でもあるがね」
リュートの調律が甘くなっているのは事実である。だが、酒場で歌うにはそれで良い、むしろそれが良いとすら彼は思っているのだ。
例えばヴァイオリンのことをフィドルともいう。それは同じものであるが、実のところニュアンスが異なる。音楽会で使うのがヴァイオリン、酒場や民謡で使うのがフィドルなのだ。
よって、ヴァイオリンは歌い、フィドルは踊る。ヴァイオリンは酒に酔っては弾けないが、フィドルは酒に酔わねば弾けない。などといわれている。
リュートも同じであるとサレキッシモは考えている。つまり、酒場で歌うならちょっと音の外れたくらいの方が、品がなくて盛り上がるということだ。
つまり、調律をするとは彼が酒場ではない場所で歌うということである。サレキッシモは一軒の古びた楽器店に入った。
「いらっしゃ……ターマッキか」
店主の老爺はサレキッシモをそう呼んだ。彼を昔から知っているのだ。
「サレキッシモな。こいつを頼む」
サレキッシモは呼び名を訂正すると、リュートをカウンターに置いた。老爺はふん、と鼻を鳴らし、リュートの側面を軽く叩く。
「どれくらいかかる?」
「昼にゃ終わるよ」
老爺は慣れた手つきでリュートから弦を外し始める。
「そうかい。なあじいさん、貴族名鑑ってあるか?」
「ゴッドボーの町にでも行け」
ゴッドボーは書店が立ち並ぶ区画であり、ティノウォータからも歩いてすぐだ。だが、サレキッシモはそこまで行く気はないようである。
「ちょっと古くてもいいんだ」
「三年前のでよけりゃ、右奥の棚にある」
老爺は楽器から目と手を外さず、そう答えた。サレキッシモは本棚から目当ての本を見つけると、演奏用の椅子に座ってそれを開く。
楽器は貴族の道楽でもあるから、貴族やその子女が買い求めることも多いのだ。かつてのサレキッシモもその一人であった。
この店にはそういう客も来るので、貴族名鑑の一つくらい当然置いてあるのだ。
ぺらり、と紙をめくる音が響く。
「貴族関係の厄介ごとか?」
「どうだろ? まだ厄介と決まったわけでもない」
「お前さんの実家絡みかね?」
「ウチとは関係ないね」
サレキッシモはミドー公爵家の項を確認する。
『マグニヴェラーレ・ミドー 21歳 未婚 婚約者なし 宮殿魔術師』
『リンギェ・ミドー 12歳 未婚 婚約者なし』
なるほど、本当に公爵家の末の姫であるらしい。マグニヴェラーレよりも9つ下で、この名鑑が三年前の発行ということは、今の彼女は15歳ということだ。サレキッシモは22歳だから7つ下ということになる。
昨日みた彼女の小柄な姿を思い浮かべた。
「自分が家を出る前から知っているとなると……10歳くらいで一度か二度会った程度の、7つ上の男の顔を覚えている? ……怖っ」
しかも貴族としての装いをしていなかったというのにだ。尋常ではない記憶力であると、サレキッシモは戦慄した。
ともあれ待つついでに、ぺらぺらと紙をめくって主要どころの家や王都近郊の貴族家を確認していく。
カカオ家にはまだ世話になるつもりである。覚え直しておくことに意味はあるだろう。
こうして時間を潰し、店主からリュートを返却されると、軽く何度か音の様子を確かめて銀貨を置いて店を出た。
「やれやれ、どこがいいかね」
サレキッシモが次に向かったのは喫茶店である。平民でも富裕層が通うような店、それも女性客が多いところだ。そこにリュートの生演奏はどうかと売り込みをかけたのである。店主の前でちょっと歌って許可を貰った彼は、店の隅で歌いだす。
「氷のー宮廷魔術師様についてー歌おうー」
店がざわついた。
「昨日の夜ー、彼が誰と踊ったのかー」
吟遊詩人は歌い手であると同時に、この時代では情報を伝える者でもあるのだ。
「甘い笑みがー誰に向けられていたのかー」
聴衆から、か細い悲鳴のようなものがあがった。
反応が良い。やはり旬のネタは違うなとサレキッシモは内心笑った。
そして一曲歌い終えたところである。女性客たちが彼の元に殺到しかけるが、その機先を制して一人の身なりの良い従者が話しかけてきた。
「吟遊詩人殿。リンギェお嬢様がお茶にお招きしたいと」
「光栄です」
サレキッシモは恭しく頭を下げる。
やはり監視されていたかと。そしてどうやらお嬢様のお眼鏡にかなったらしいと。
ξ˚⊿˚)ξ次話は普通にウニリィのシーンに戻るよw






