第5話:スライムの申し子っていうんだよ
ともあれ、そのような未来を知らないウニリィと父は顔を見合わせ、そしてナンディオに向けて首を横に振るのである。
「ありがたいお話ですが、私はスライム職人ですのでな。それを捨てて王都に向かうわけには」
スライムに限らずではあるが、職人とは国家や組合により転職などが厳しく制限されるものである。だが貴族となったのだからそのあたりは申請すれば通るはずとナンディオは説明するが……。
『親父も妹もスライム職人をやめやしねえよ』
ナンディオはエバラン村に来る前に、ジョーがそう言っていたのを思い出した。
『あの二人はぱっと見は普通の村人のようかも知れねえが……』
ジョーはそこで言葉を区切り、にやりと笑みを浮かべるのであった。
『お前たちは俺を剣の申し子とかいうが、俺に言わせりゃあの二人みたいなのをスライムの申し子っていうんだよ、魂の奥底までスライムが住んでいるのさ』
ちなみにジョーがこうナンディオに語っている時も、彼はぶんぶんと棒を振っていた。公爵家の姫君との婚姻の話が進んでいようが、騎士を率いる将の位を授けようという話が持ち上がっていようが、彼の棒振りを止められることはないのだ。
ぶんぶんぶん。
『ところで今は教養の勉強をする時間なのでは?』
『……なんで知ってるんだよ』
『いえ、向こうから家庭教師殿が恐ろしい形相で……』
『やべっ』
ジョーは逃げ出した。
話はそこで途切れてしまい、結局ナンディオはエバラン村に来るまでの間に、婚約やら何やらと多忙なジョーから彼の父や妹の詳しい話を聞くことはできなかったのだった。
ともあれ、ナンディオはスライムの申し子という言葉をさすがに誇張が過ぎるとは思っていた。
だが実際、彼らは貴族にはなることを承諾しても、この村でスライム職人を続けるということは決して譲らなかったし、そして彼の前に広がる光景がジョーの言葉の正しさを何よりも雄弁に示していた。
「なるほど、これがスライムの申し子……」
エバラン村の牧草地に立つ彼の前に無数のスライムがうごめいている。色とりどりの粘液の雫がぶちまけられたような有様だ。
彼も騎士であるから幾多の戦場で人と戦ってきたし、魔物を狩ったこともある。だが、ここまでのスライムを一度に見るのは初めてであった。
「なにか言いました?」
ナンディオの呟きにウニリィが振り返って尋ねる。彼は何でもありませんと首を横に振った。
『いや、何でもないわけあるか……!』
ナンディオは思わず叫びたくなる気持ちを必死にこらえた。手は思わず腰の剣に伸びそうになる。
スライムは低級、つまり危険度が低いとされる魔物である。スライムの全身は抱えられる程度の粘液の塊である。思考能力が低く動きが緩慢であるため、女子供が出くわしたとしても逃走が容易なのだ。
だが、いざ戦うとなると厄介な魔物でもある。彼らの消化液である酸を帯びた攻撃はゆっくりではあるが金属の鎧だって溶かしてしまうし、小さな隙間にだって入り込んでくる。逆にこちらの攻撃を粘液の体はほとんど無効化してしまうのだ。
そんなスライムが視界を埋め尽くしている。
ふるふるふるふるふるふるふるふる。
野生のスライムよりここで飼育されているスライムはずっと体の透明度が高い。何も知らなければ大きなゼリー菓子が風に揺られているような光景といえるのかもしれないが、戦場としてなら悪夢のような絶望的な状況である。
「はーい、みんなごはんの時間よー!」
ふるふるふるふるふるふるふるふる。
ウニリィは鍋を抱えて、そんなスライムの海の中に無造作に踏み込んでいく。
スライムたちはずぞぞぞとウニリィの足元にまとわりつき、だが彼女を攻撃することはない。
ウニリィは鍋からお玉でスライムたちに謎の液体を振りかけていく。
「それが食事で?」
「そー! お父さん特製の栄養剤!」
ナンディオの質問に答えながら、ウニリィはばしゃばしゃとスライムたちに食事を与えていった。
スライムたちは栄養剤をかけられると喜ぶようにふるふると身を震わせ、のそのそとその場から離れて、次にくるスライムに場所を譲っている。
「おいしいー?」
ふるふるふるふる。
「こらー、あなた一回食べたでしょー!」
ふるふる。
一度離れてまたやってきたスライムがいるらしい。だが、この数のスライムの見分けがつくのか。ナンディオは驚愕する。確かに色やサイズに違いはあるが……。
「ほーら、くっつかないくっつかない。……そこー! 進化しちゃだめよー!」
ふるふるふるふるふるふるふるふる。
「……恐ろしくはありませんので?」
「慣れてますものー」
ウニリィはそう言って笑った。
すごい女の子だ。ナンディオは感心する。だがその一方で、これは彼女の婿取りは苦労するかもしれん。
そういった予感も覚えるのであった。