第47話:いちにぃさん、いちにぃさん……。
「行きましょう」
マグニヴェラーレがウニリィを促して広間を歩く。
「……こういう話もあるのですね」
「私の連れということで迷惑をおかけしました。ですが実際、社交界ではよくあることではあります。お辛いですか?」
ウニリィは少し考えて、首を横に振った。
「少々驚いただけ。大丈夫です」
「それは何よりです。では踊りましょうか」
ウニリィがぎくりと身を竦ませた。
「えっと、経験がなくてですね……」
練習はした。だが実際のこうした場で踊る経験は当然ない。
「誰しも初心者からです。それに、壁際にばかりいると、ああいった手合いに絡まれる時間が長くなりますから」
シダーモーヌのことである。逆にいえば、踊っている間は安全とも言えよう。
「うう、お手柔らかに……」
「ちょうど小夜曲です。踊りやすいでしょう」
夜会の最初の方ということもあり、初心者向きのゆっくりとした曲が流れている。
ウニリィは覚悟を決めて頷いた。
広間の中央へ。向かい合って、互いに礼を。
ウニリィがおずおずと伸ばした右手を、マグニヴェラーレの左手に捕えられる。そして彼の右手がウニリィの背に回された。
「ひうっ」
緊張で息が乱れる。マグニヴェラーレの手が優しく、とんとんとウニリィの背を叩いた。
くっ、顔がいい……。こうして近づくと香水の香りとかも華やかで……。
「自分のペースでどうぞ」
ウニリィはその言葉にしたがって、何度か身体を揺らせてから、三拍子に合わせて右脚を前に。マグニヴェラーレはその動きにしっかりと合わせて左脚を後ろに。
回転しながら円を描くようにステップを踏んでいく。
「いちにぃさん、いちにぃさん……」
ふっとマグニヴェラーレが笑い、ウニリィの耳元に唇を寄せた。
「声が漏れてますよ。このリズムで大丈夫、顔をあげて」
ウニリィは赤面した。だが、実際にそうしてみると気づくことがある。
踊りやすい……!
ウニリィの足がもたついても、マグニヴェラーレはそれをフォローしてくれるし、周囲の景色が見えると、綺麗な衣装の男女がくるくると回っていく様は綺麗で、なにか心が沸き立つようだ。
「ほら、あちらを見て」
ウニリィが視線をやれば、父クレーザーがサディアー夫人と踊っていた。
緊張した様子はここからでもわかるが、それでもしっかりと夫人をリードしていた。
「お父さん……」
「彼も大丈夫だし、ウニリィ、貴女だってしっかり踊れているよ」
そこからはウニリィにもダンスを楽しむ余裕ができた。音楽に合わせてくるくると回っていれば、曲はあっという間に終わったのだった。
「お上手でした」
「ふふ、お世辞ですね。でも楽しかったです」
ウニリィだって自分のダンスがあまり上手くないのは分かっている。だが、失点といえるようなミスもなかった。
「それが一番大事ですよ」
次の曲が始まる時に、二人は広間の中央から端へ。
「この後は?」
「少々挨拶回りをしないといけませんが、少し休憩を」
二人は給仕から黄金色のシャンパングラスを受け取ると、互いに軽く掲げて喉を湿らせる。
軽い酒精と炭酸が喉で弾ける。
「ふぅ」
ウニリィは小さくため息を一つ。
「お酒は大丈夫ですか?」
「はい。強くはないですけど、軽いものは村のお祭りのときなんかに飲んでいますから」
「ほう。どんなものを飲まれますか」
「林檎酒とか、薄めのサングリアとかですね」
サングリアはワインに果実を漬け、甘味を加えたものである。甘くて女性にも飲みやすく、水で割ったものも好まれるのだ。
「ただ、人には酔ったかもしれません」
「これでも今日の夜会はまだ人が少ない方ですけどね」
ウニリィはびっくりして広間を見渡す。
「これで?」
「戦時中ですから」
確かに兄のジョーがこの場にいないのは戦場にいるからである。兄のことが好きというアレクサンドラも前線にいるわけではないが、後詰めとして補給などを担い、その近くにいるらしい。
愛だよねぇ、すごいなぁ。とウニリィは感心するのだった。
「次席」
そのとき小さな声でマグニヴェラーレが呼ばれた。
ウニリィとマグニヴェラーレが振り向けば、壁際の会場から目立たない位置に宮廷魔導士のローブを着た男がいた。
「シークラー、どうした?」
このシークラーという男はマグニヴェラーレの部下で、パーティー中にマグニヴェラーレを役職名で呼んだということは、急な仕事の話であろう。とウニリィは考える。
「私は少し外しましょうか?」
実際に仕事なのはその通りで、現在、宮廷魔術師の筆頭は軍務で王都を離れているから、次席であるマグニヴェラーレが宮廷魔術師を統括しているのだ。何かあればこうして連絡が入るのである。
「いえ、そちらのカカオ嬢もいらしていただけると」
よってマグニヴェラーレはウニリィの言葉に頷こうとしたが、なぜかシークラーはそう言った。
二人は首を傾げながらも壁際に立つ彼の側に寄る。
社交界の雰囲気を壊さないためか、マグニヴェラーレはシークラーと向かい合うのではなく、壁に背を預けるようにして、ちょっと疲れて休憩しているのですよというそぶりで横に並んで彼の話を聞く。
「王都の貴族街で事件です」
「ふむ」
なるほど、そのために私も呼んだのねと、ウニリィもそれに倣い、シャンパンを口にしながら、シークラーの言葉に耳を傾けた。
「キーシュ侯爵家所有の王都邸のひとつで、スライムが大量発生しています」
「んぶっふ」
ウニリィはシャンパンを吹き出した。






