第46話:えっと、ベアーモート、ベアーモート……。
「カカオ家の長女、ウニリィと申します」
ウニリィはそう名乗ると、マグニヴェラーレと繋いでいるのとは逆の手でスカートを軽く持ち上げ、膝を曲げて腰を落とす。つまり淑女の礼をとった。
ここしばらくはスライム相手にずっと練習させられていた動作である。付け焼き刃にしては、なかなかしっかりとした所作であろう。マグニヴェラーレからすれば、新興男爵家の令嬢としてはちゃんと学習しているのだなと感心するくらいである。
だが、シダーモーヌは、ふん、と軽く鼻を鳴らす。
周囲の貴族たちは静まり返り、この様子を取り巻いて彼らの様子に注目している。ただ、楽団の演奏の音は広間に響く。シダーモーヌが鼻を鳴らして嘲る音は、ウニリィにのみ聞こえる程度の音であった。
「……顔をお上げなさい」
そして随分と時間を待ってから、そう声がかけられた。
そもそも淑女の礼は結構疲れる姿勢である。背筋を伸ばしたまま膝を曲げて腰を折る動作であり、なおかつその苦しい体勢で微動だにしないことが求められるためだ。
ウニリィが短期間で綺麗な動作が身についているのは、スライム飼育で体幹や足腰が普通の令嬢にはなくしっかりしているからであろう。
シダーモーヌは軽く頷きを返すことで返礼として名乗る。
「シダーモーヌ・ベアーモートですわ」
えっと、ベアーモート……ベアーモート……。
ウニリィは礼儀作法と同様に、ここしばらく時間のある時に覚えさせられていた貴族名鑑を思い起こす。
ベアーモートは確かイェッドニア王国西方の伯爵家で、メイデンヘアー・キャッスルというお城が観光名所でー、馬の産地とかで有名でー、馬のお肉も美味しいらしくてー、当主の名前が……なんだっけな。
「コホン」
マグニヴェラーレは小さく咳払いを一つ。この国の貴族社会では令嬢や夫人たちのやりとりに男が介入するのは望ましくないとされるが、軽くシダーモーヌを牽制した。
礼をさせる時間が長めであったのは、例えば礼の際に僅かでも身体がぶれるようなことがあれば、それを大いにあげつらうためであろう。
そしてウニリィは貴族名鑑を思い出すのに必死で気づいていないが、礼に対して頷きだけで返すのはかなり無礼なことである。
もちろん、相手が王族であるなど、地位に大きな隔たりがあればその限りではない。ウニリィは男爵令嬢なので、伯爵家の当主夫妻であればその対応で問題ないだろう。
だが、シダーモーヌは伯爵家の者であるとはいえ、本人は無位無冠の令嬢である。あまり褒められた態度とは言えまい。
「カカオ家というと、ジョーシュトラウム卿の……」
「はい、兄です」
シダーモーヌの唇がにやりと弧を描く。
「まあまあ、かの英雄殿もお可哀想に。その妹さんが不出来では、ねぇ」
わざと周囲に聞かせるように声を大きくし、そして続けて言う。
「何やら、昨日の授爵の儀において、恐れ多くも陛下の御前に魔獣を持ち込んだ者がいたとか?」
ああ、恐ろしい。と自身の身体を抱くような仕草をしてみせた。
周囲の者たちがざわめく。これを知っていた者も知らない者もいるのだろう。ひそひそと貴族たちが囁き合う。
ウニリィは反論しようと口を開きかけるが、そもそもが事実ではあるので反論はできない。
「マグニヴェラーレ様。あなたともあろうお方が、そんな女を侍らせるのはおよしくださいまし」
なるほど、シダーモーヌ嬢はこれを言いたかったに違いない。
マグニヴェラーレはウニリィの腰に手を当てて一歩前に。彼女の姿に注目させた上で声を張り上げる。
「せっかくの機会ですから、ここにいらっしゃる皆様にお伝えいたしましょう」
そう言って周囲を見渡す。
「私、マグニヴェラーレ・オーウォシュ次席宮廷魔術師が彼女の後援者となりました」
先ほどよりもさらに大きくざわめきが起こる。
「なんと……」「卿が新興の男爵家の令嬢を?」
「兄はキーシュ公爵家が後ろ盾なのに妹までもか!?」
年嵩の貴族たちは兄妹が別の大貴族の後援を受けたことが衝撃なのだろう。
「後援者ですって!」「マグニヴェラーレ様が!?」
「氷の魔術師様があんな小娘を!?」
だが妙齢の女性たちはマグニヴェラーレが貴族令嬢の後援者となったことそのものがショックなようだ。令嬢の中には、ふらりと倒れ込む者も出る始末。
「これは陛下にも奏上済みです。もし彼女に何かあれば、私が対処することになりますので。これでよいかな、シダーモーヌ嬢」
シダーモーヌはぐぬぬ、と苦虫を噛み潰したような表情を一瞬見せたが、それをすぐに隠して笑みを浮かべる。
「左様ですか。それでしたら何の問題もございませんわ。では、ごめんあそばせ。良い夜を」
「ええ、良い夜を」
シダーモーヌは優雅に淑女の礼をとると、すれ違うように歩き出す。そして彼女は去り際に、ウニリィにだけ聞こえるような声で耳打ちした。
「身の程を知りなさい」
「ぴぇっ」






