第107話:ウホホ。
ニャッポちゃんはゴリラである。
厳密にはゴリラ系統の魔獣であり、その身に炎を纏うことができる。
この世界にはダンジョンという不可思議があり、元々は地下迷宮を示しているのだが、地下迷宮という言葉から想像されるように天然の鍾乳洞や、あるいは石を積み上げたり土や岩を掘って作られた人工の壁に囲まれている訳ではない。
同じく世界に満ちる神秘の力、魔力。その魔力によって生成された限定的な異世界、それがダンジョンである。もちろん石造りの回廊のようなものもある一方で、穴に潜っていったのに空には太陽が輝く空があったり、果ては海が広がるようなものも存在するのだった。
「お前、俺の仲間にならないっすか?」
ニャッポちゃんはそんなダンジョンの一つ、密林が広がる階層に生息していて、そしてマサクィに拾われたのだった。
ニャッポちゃんは魔獣である。よってかつてのニャッポちゃんは捕食と戦闘の衝動に支配されていた。
日々、ダンジョンに侵入してくる人間や、あるいは同族である他のゴリラ、ダンジョンの他の魔獣とも戦っていた。
だからマサクィからその言葉を聞いた時、それは激しい戦いの後であり、マサクィも彼の仲間もニャッポちゃんも他の魔獣達も倒れ、血まみれ、泥だらけであった。
ぼろぼろになったマサクィがなぜニャッポちゃんに手を伸ばしたのか、そして起き上がることもできなかったニャッポちゃんがなぜ彼の手を取ったのか。その理由はあいまいだ。当時のニャッポちゃんは魔獣としての本能、血の渇きによって理性的な思考能力などなかったのだから。
「ウホ」
でもそれ以降のニャッポちゃんにはわかる。ボロボロのニャッポちゃんがボロボロのマサクィの手を取ったことが奇跡であったのだと。
テイマーという主人を得たことにより、従魔となったニャッポちゃんの激情は抑えられ、理性と慈愛を手に入れたのだから。
そして魔獣としての本能と戦いの日々を失ったことにより、ニャッポちゃんが弱くなったかというと逆であった。
「ニャッポちゃん、魔力を制御するんすよ。炎をもっと深いところから汲み上げるんす」
主人であるマサクィは魔術師ではない。だが彼は、冒険者仲間の魔術師から話を聞いたり教本を借りたりして、ニャッポちゃんに聞かせたのだ。
そしてニャッポちゃんはそれを良く理解した。そう、ゴリラは本来、森の賢人なのである。
「ウホウホウホ!」
「おー、すげーっすよニャッポちゃん!」
いつしかニャッポちゃんの纏う炎は、ただの炎ではなくなった。ただ高熱を出すだけではなく、霊的なものまで燃やすことのできる地獄の炎へと。そしてフレイムゴリラであったニャッポちゃんはヘルフレイムゴリラに進化したのだ。
ともあれそんなわけでニャッポちゃんは主人であるマサクィを尊敬し、敬愛している。
「んじゃニャッポちゃん行ってくるっすー」
「ウホホ」
マサクィが手を振り、ニャッポちゃんは手を上げて一声鳴いた。
ニャッポちゃんは常にマサクィと共に行動できる訳ではない。ニャッポちゃんは巨体である。体高でいえば人間とそんなには変わらないと思うが、種族的なものとして体格が違う。体重は人間の倍以上あり、その大半が筋肉なのだ。
単純な腕っぷしで言えば主人のマサクィよりずっと強い。ニャッポちゃんは従順であるが、それでも他の人間達を怯えさせてしまう。
そういう従魔たちはテイマーギルドの飼育施設に普段は預けられるのである。
「マサクィさんいっちまったなー」
「……ウホ」
テイマーギルドの職員がニャッポちゃんの肩を叩き慰める。
今のマサクィの仕事は本人いわく、危険ではないらしい。だが、長期の仕事でもあるらしい。
時折コマプレースのギルドにきてニャッポちゃんを構ってはくれるが、なかなか会う機会が減っているのは寂しいところである。
他の大型魔獣と力比べをしたり、マサクィから習った魔力の訓練をしているので心身はなまっていないが、それを主人のためにふるう日が来ないのは悲しいものだ。
そんなある日、ニャッポちゃんの前の地面に魔法陣が展開された。
従魔転移の陣である。これは主人であるマサクィが緊急にニャッポさんを必要としていることを意味している。バナナを食していたニャッポちゃんは、皮を投げ捨て転移陣に飛び込んだ。
ずうぅぅぅん。
転移による僅かな浮遊を経て大地に拳をついたニャッポちゃんは素早く視線を左右に送る。
マサクィに外傷や極度の疲労は見られないのに安堵しかけ、すぐにその気を引き締め直した。
周囲は草地である。民家や武装していない人間達の姿も見え、ダンジョンではないことは明らかだ。
だがそんなことより明らかに問題なのは、ニャッポちゃんの視界いっぱいに無数のスライム達がいることだった。これがただのスライムであれば、恐れることなど何もない。スライムは弱い魔物であるし、戦いの相性としても問題ない。ニャッポちゃんが普通のゴリラであれば、どれだけ激しく叩いても粘体のスライムには効果が薄いだろうが、炎を広げれば燃やし尽くすことができる……はずだった。
だが、ニャッポちゃんは魔力が知覚できる。ニャッポちゃんが普通のゴリラではない以上に、このスライムたちも普通ではないと即座に看破したのだった。
スライムの上位種、それが数え切れぬほど。単体ではともかく、その魔力総量は自分よりはるかに上であろう。尋常ではない危機であった。
「ウッホウッホウッホ!」
ニャッポちゃんは激しく胸をドラミングしてその身を炎で包むと、間髪入れずにスライムの群れに突進した。
ξ˚⊿˚)ξまさかのゴリラ視点。






