第1話:スライム職人の朝は早い——
ξ˚⊿˚)ξ新作ですわ!
10万字以下で終わらせる予定(注:その予定はなくなりました)
よろしくお願いしますー。
スライム職人の朝は早い——
午前四時前。ウニリィは日が昇る前には起床して、寝巻きから作業着に着替えはじめる。
春から初夏に差し掛かる季節とはいえ、この時間はまだ肌寒い。闇の中、灯されたカンテラの頼りなげな光に白い裸身が浮かび上がる。
たおやかな女性の身体である。だがその柔肌には脇腹のあたりに大きな傷痕があった。古く、薄れてはいるが、広範囲に肌の色が変わっている。かつてスライムの酸を浴びてしまい、ただれてしまったものだ。
「うー、……さむっ」
ウニリィは肌寒さにぶるっと身を震わせると、いそいそと作業着を着込んで、その上から対酸・腐食性能のあるエプロンを羽織り、橙色の長い髪を伸縮性のある輪でさっと後頭部に束ねるだけの簡単な身支度を済ませた。化粧などはしない。最後に分厚い革の手袋をはめるとカンテラを持って部屋の外へ。無人の工房を通って家の外に出れば、広がるのは朝靄に覆われた草原である。
彼女が向かったのは草原に建つ厩舎だが、ただしそこに住んでいるのは馬や鶏などではない。スライムだ。
巨大な倉庫のようにも見えるスライム厩舎は、形こそ馬や鶏のものと良く似ている。だが、それらと異なるのは音がしないことだろう。
スライムは基本的に鳴き声をあげることはなく、移動は粘性の体を動かすことであり、音を発さないのだ。
ウニリィは重く軋む厩舎の扉を開けた。淡い緑色の瞳が倉庫を見渡す。
「異常なし」
白い息と共に、可愛らしい女性の声が響いた。ウニリィは齢16の乙女である。
厩舎内には木製の棚がずらりと並んでいる。扉などはなく、柱に横板が渡されただけの簡素なものだ。そしてそれの上にはこんもりと丸い影が無数に載っている。
大きさは30cm前後だろうか。縦にはつぶれていて、まるでパン種の小麦粉を練った塊か、あるいは東方のカガミモツィなる食物が並んでいるかのようである。
スライムであった。
ウニリィはカンテラを壁に掛け、代わりに壁に掛けられていた棒を掴むと、大きく息を吸う。
「みんな! 朝よ!」
そう叫んで厩舎の入り口にあった銅鑼を大きく鳴らす。ジャーンと金属の打ち鳴らされる音が響き渡り、スライムたちの表面が振動にぶるぶると波打つ。
ウニリィは銅鑼を数度打ち鳴らしてから棒を置くと、やおら棚に駆け寄った。
「はいおはよう!」
ウニリィはスライムを脇から持ち上げるように両手で掬い上げると、空中でくるりと回転させて棚に叩きつけた。
ぱぁん、と気持ちの良い音がする。それはまるで熟練のピッツァ職人のようでもあった。
スライムがもぞり、と動いて棚から降りていく。
その時にはウニリィは隣のスライムの前にいた。
「おはよう!」
ぱぁん!
「おはよう!」
ぱぁん!
「……何してるの?」
ウニリィが作業を続けていると、眠たげな男の声がかかる。
銅鑼の音で叩き起こされたのだろうか、ひどい寝癖をつけて寝巻きのまま飛び出してきた若い男はウニリィに尋ねた。
「あ、おはようございます! スライムを起こしてるんです!」
ぱぁん!
男からの質問に答えながらもウニリィの手足が止まることはない。
「虐待じゃなく?」
ぱぁん!
「スライムは感覚器官が鈍いので」
ぱぁん!
「こうして空中でこねることで空気を取り入れさせて」
ぱぁん!
「衝撃を与えると活性化するんですよ」
ぱぁん!
「はいおはよう!」
ぱぁん!
起こされたスライムたちはのそのそと柱を伝って床に下り、のそのそと入り口側へと進んでくる。
男は無言で跳び避けた。
ぱぁん!
「……ねえ、いつもこうなの?」
ぱぁん!
「……こう、とは?」
ぱぁん!
「毎朝、こんなに早いの?」
ぱぁん!
「はい。一年じゅう毎朝こうですよ!」
ぱぁん!
「ふぅん……楽しい?」
ぱぁん!
ぱぁん!
ぱぁん!
ウニリィはその問いかけに少し悩み、スライムを叩きつける音がしばし連続した。
「好きで始めた仕事ではないですが……」
ぱぁん!
「やっぱりお客さんから、うちのスライムの品質が良いって言われると」
ぱぁん!
「この仕事やって良かったなと」
ぱぁん!
「それにスライムもこう見えて」
ぱぁん!
「毎日の気温や湿度で硬さも機嫌も違うんですよ」
ぱぁん!
「そういうの見極められるようになると楽しいなって」
ぱぁん!
「……そっか」
男はそう相槌を打つと、厩舎からそっと出ていった。
彼はウニリィの婚約者候補である子爵家の令息である。
今日はウニリィとの交流がてら彼女の実家の様子を視察にきていたのだが、その日のうちに婚約を辞退するという連絡がウニリィの父になされたのであった。