第9話【イルセラ】
時を同じくして、イルセラの執務室。
書類整理を終わらせたイルセラは、空気の入れ替えにと開けておいた窓を閉めようとした。
その時、夜空を走る流れ星が目に入った。
流れ星など久しぶりに見た気がする。
最後に見たのはいつだったか?
今は亡き夫との初夜だった気がする。
彼に抱かれながら流れ星にこう願った。
どうか彼の子を授かりますように、と。
そしてそれは成就された。
流れ星は願いを叶えると言うが、最初に言い出した人間もイルセラと同じ経験をしたのかもしれない。
こうして振り返ると、なんてロマンチックな初夜だったのだろうとイルセラは今さらながら思った。
夫との熱い初夜を思い出しながら夜空を眺めていると、部屋の扉がノックされた。
ビックリして慌てて窓を閉めた。
別に端から見れば夜空を見上げているだけにしか見えないのに。
「開いてるわ。どうぞ」と平静な声で応える。
静かに扉を開けて入って来たのは老執事のベネディクトだった。
彼は頭を深く垂れて「ゼラード様がおやすみになられました」と告げた。
「そう、ありがとう」
娘を寝かし付けてくれた報告らしいが、普段はこんな報告はいちいち入れてこない。
こんな時間に主の執務室にまで足を運ぶとなると、よほどの用件を持っているはず。
娘の報告はついでで、本件は別にあると見た。
「それとイルセラ様。今日の昼過ぎに【炎の神殿】でサラマンダー様がお見えになられたそうです」
やはりそうだった。
予想を遥かに上回る報告だったが。
「サラマンダー様が? そう……今日だったのね。一度でいいからお見えしたいのに」
サラマンダーの【消えない炎】から発展した【大都市エタンセル】。
その現領主たるイルセラは未だに一度もサラマンダーを見たことがない。
28年生きて来たが、その間に一度も会う機会には恵まれなかった。
領主としてはこの大都市の原点とも言える存在だから会っておきたいものなのだが。
そこまで考えて、イルセラは不思議に思った。
たったそれだけの事を伝えるためにここまでベネディクトは来たのか?
確かにサラマンダー様が御姿を現したのはめでたいことではあるが、そんな過ぎたことを今さら伝えられても困る。
そんなイルセラの疑問に答えるようにベネディクトが口を開いてきた。
「イルセラ様。ここからが本題なのですが、礼拝者たちの何人かがそのサラマンダー様と会話する女性を見たそうです」
「なんですって!?」
精霊と会話できる人間なんて初めて聞いた。
ベネディクトの本題に納得し、イルセラは向き直って聞く姿勢があることを示す。
「なんでも黒いドレスを身に纏った銀の髪の女性との事です」
黒いドレスの、銀の髪の、女性……
パッと思いついたのは、昼頃に会ったあのやたら無愛想で無礼者な『喋る使い魔』だ。
確かリズ・リンドという少女の『使い魔』で、娘を泣かし、生意気にもイルセラを挑発してきた奴だ。
名前は確か、リズがフェアリーと呼んでいた気がする。
「もしかして明日戦うフェアリーの事かしら?」
「ええ。隣にいた少女が彼女をフェアリーと呼んでいたらしく、それを聞いたと言う礼拝者が数名いたとのことなので、間違いないかと」
「なるほど……ならちょうどいいわ。適当に弱らせてから降参させてサラマンダー様を呼んでもらいましょうか」
負けたらイルセラの言いなりになると言ったのは他でもないフェアリーだ。
正直、フェアリーの挑発に乗ったことは後悔していた。
勝ってもイルセラには何のメリットもなかったからだ。
あの時はフェアリーに娘を泣かされ、穢らわしいと手を弾かれ、しまいにはリズとケンカを始めてそれにイラついてしまった。
それに『逃げますか?』などと言われれば領主たるプライドが黙ってはいなかった。
イラついてなくてもどのみちフェアリーの挑発は受けていたかもしれない。
時間の無駄だと思っていたが、フェアリーが精霊と会話できるなら話は別だ。
いっそ引き入れてしまった方が早い気もするが、平民たちに【剣聖】とイルセラの恐ろしさを見せておくのも領主としては大事な仕事だ。
徹底的にやろう。
それにあのフェアリーという『使い魔』。
あの全てをバカにしたような見下す瞳は気に食わない。
自分の強さに絶対的な自信を持っている証拠だ。
確かに一瞬で背後を取ってくるほどのスピードを見せてきたが、こちらの『使い魔』である【剣聖】もそれくらいはできる。
無限の剣閃に、あなたはどれだけ耐えられるかしら?