第3話【最強の使い魔】
「私の子を泣かしたのはあなたね?」
「え?」
私の子と言っている。
このイルセラという女性は、どうやら女の子の母親らしい。
さらに彼女の護衛らしい人間が二人来て、フェアリーを逃がすまいと背後に回ってきた。
どちらも鉄の甲冑に身を包んだ騎士だ。
腰には剣を垂らして武装している。
「とぼけても無駄よ。この子から話は聞いたわ。いきなり睨まれたって」
あの時は、ちょっとイライラしてて。
と喉元まで込み上がってきた声を呑み込み、フェアリーはイルセラの脇にいる女の子を見た。
女の子はムスッとした顔からベーッと舌を出してきた。
どうやら相当嫌われたようである。
「私の子が何か睨まれるような事をしたのかしら?」
怒を含んだ声音でイルセラが問い詰めてくる。
フェアリーは言葉を詰まらせた。
女の子はフェアリーに向かって『綺麗なお姉ちゃんだ』としか言ってない。
妖精に性別などないから『お姉ちゃん』という言葉は不適切なのだが、そんなことは今問題ではない。
女の子は何も悪くない。
睨んでしまったフェアリーに落ち度がある。
相手が人間でも、さすがに謝るしかないか。
数秒の葛藤を経て、謝罪の意を決した。
しかし。
「なんとか言ったらどうなの!」
痺れを切らしたイルセラが詰め寄り、胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。
フェアリーは考えるよりも早く、そのイルセラの手を弾いてしまう。
「触らないでください! 穢らわしい!」
「なっ!?」
この大通りにいる全ての人間がフェアリーの行為に驚愕し、凍り付いた。
「きさまっ!」っと後ろの騎士二人がフェアリーを取り押さえようと肉薄する。
伸びた手がフェアリーの肩を掴もうとしたその瞬間、スンと音を立てて消えた。
「え!?」
消えたフェアリーに全員が虚を突かれた。
みんながどこかへ消えたフェアリーを探していると。
「あなたのお子様を泣かしてしまったことは謝ります。ですが、気安く私に触らないでください」
「っ!?」
いつの間にかイルセラの背後にフェアリーが立っていた。
慌てて振り返ったイルセラと同時にようやく周囲の人間もフェアリーの存在に気づいて驚きの声を上げた。
「あいつ! いつの間に!」
「さっき消えたぞ!」
「魔法か?」
魔法などではない。
ただ少し速く動いただけである。
どうやらこの人間の身体は、妖精時の身体能力をそのまま継承しているようだ。
リズやイルセラの手を弾く時、手加減しておいて正解だった。
本気で弾いていたらケガをさせていたかもしれない。
「あなた……人間じゃないわね?」
護衛の後ろから女の子を庇うように抱きながらイルセラが言う。
フェアリーは特に動じず、イルセラは続けた。
「人間の出来る動きじゃなかった。さては『使い魔』ね? 言葉を発する『使い魔』なんて初めて見たわ。あなたの主はどこ?」
コイツまで自分を『使い魔』扱いしてくる。
やれやれと溜め息を吐き、訂正しようとしたその時! ドゴン! と頭に凄まじい衝撃が走った!
「ぶっ!?」
「この! バカアアアアアアアアアッ!」
耳をつんざくような怒声を張り上げ、フェアリーの頭をブン殴って現れたのはリズだった。
突然現れたリズにイルセラを含む全員が驚き目を大きく開く。
人間の拳など大して痛くもないが、突然殴られたフェアリーは頭を押さえて怒る。
「いきなり何するんですか!」
「あんたが何やってんのよ! 見てたわよ! イルセラ様の手を弾いて! 穢らわしいって言ってたでしょ! 無差別か! あんたバッカじゃないの! 無礼にもほどがあるわよ!」
怒りの桁が違うリズに捲し立てられ、フェアリーは言葉を返せず口をパクパクするしかなかった。
怒りをブチ撒けたリズはイルセラに向き直り、すぐに頭を下げた。
「すみませんイルセラ様! 私の『使い魔』が無礼を働いて! あとでよーーーーーーーく言っておきますので! どうか! どうかお許しを!」
ペコペコするリズを横目で見ていると、リズがフェアリーの頭を掴んで来た。
「あんたも謝りなさいよ!」
「ちょっ! だから! 触らないでって! 穢らわしい!」
フェアリーはすかさず反抗し、下げられそうになった頭を戻した。
「謝れっつってんでしょうが! このっ! ああもう! ビクともしない!」
「ああもう! どれだけ触ってくるんですか! 子供を泣かした件ならもう謝りましたよ!」
「子供泣かしたの!? イルセラ様の!? あんた! ほんっとうに何してくれてんのよ! この疫病神!」
「こっちのセリフです! 勝手に『使い魔』扱いして今度は疫病神ですか! いい加減にしてください!」
「あんたがいい加減にしなさいよ! この石頭!」
ヒートアップしていくリズとフェアリーのケンカに、ついにイルセラの血管がキレた。
「やめなさいっ!」
一言イルセラの怒声が響くと、フェアリー以外の全員がすくみ上がった。
静まり返った大通りでイルセラは大きく溜め息を吐く。
「まったく……『使い魔』と喧嘩する『魔法使い』なんて初めて見たわ。そこのあなた。名前は?」
「あ! えと……っ! リ、リズ・リンドと申します!」
「そう。やっぱりここの人間じゃないのね。悪いけどエタンセルから出て行って」
「え!?」
「喋る『使い魔』なんて珍しいけど、そいつに娘を泣かされて、穢らわしいなんて暴言まで吐かれて、不愉快極まりないわ。二度と私の前に現れないで」
「そ、そんな!」
リズの顔が声が一気に涙声になった。
周囲の人間も妥当な処置だと思ったらしく何も言わない。
「待ってくださいイルセラ様! アタシ、あなたの騎士になりたくてここへ来たんです! どうかあなたに仕えさせてください!」
「自分の『使い魔』も制御できないような騎士なんていらないわ。こうやってトラブルを招くだけだもの」
イルセラの指摘にリズは返す言葉を無くし、ただ俯いた。
イルセラも領主として毅然とした態度を取る。
平民に舐められるわけにはいかないのだろう。
安易に無礼者を許さない、とリズを使って周囲に知らしめている。したたかな女性だ。
俯くリズの悲しい顔を見たフェアリーは、なんとも言えない複雑な感情が胸の奥で渦巻くのを感じた。
気分が悪い。
自分が招いた事態のせいだろうか。
「故郷に帰りなさい。それか【アクアヴェール】か【グランドクリフ】にでも行きなさい。もしかしたら騎士にしてもらえるかもしれないわ」
それだけ言って去ろうとするイルセラの前にフェアリーが立ちはだかった。
「子供の件は謝ったはずですが?」
「あんな誠意のない謝罪で許されると思ってるの?」
「ではどうしろと?」
「出て行けと言ったはずよ」
「あなたに粗相をしたのは私のはずです。私が出ていくならまだしも、リズさんにはなんの罪もないのでは?」
「あなたはあの子の『使い魔』でしょう?『使い魔』と『魔法使い』は一蓮托生。あなたの犯した罪は彼女の罪にもなるのよ。よく覚えておきなさい」
なるほど。
『使い魔』と『魔法使い』はそういう関係なのか。
自分のせいでリズが騎士になれなくなるのはどうにも後味が悪い。
「なるほど。よく分かりました。でも本当にいいのですか? リズさんを騎士にしなくて」
フェアリーの放った言葉に、イルセラが怪訝な顔を浮かべた。
「……どういう意味かしら?」
「リズさんを騎士にすれば、私もついてくるのですよ?」
自分で自分を『使い魔』と認めたようで癪だったが、効果はあったようで、言われたイルセラの目が鋭くなった。
しかし周囲の反応は違う。
「なに言ってんだあいつ?」
「『使い魔』がついてくるからなんだってんだ」
と失笑していた。フェアリーは構わず続ける。
「イルセラさん。あなたは私にあっさり背後を取られたことをお忘れですか? 私にその気があれば、あなたはあの時死んでいましたが?」
「! 自分は強いとでも言いたそうね?」
「強いですよ。人間など相手にもなりません。あなたも例外ではありませんよ? なのでどうでしょう? 私に勝てたら、あなたの言いなりになりましょう。でも私が勝った場合はリズさんをあなたの騎士にしてあげてください」
フェアリーの言葉にリズが驚いて顔を上げた。
「フェアリー!?」
どうして? とその瞳が問うていたが、フェアリー自身にも分かっていなかった。
無視していれば良かったのに、どうしてこんな面倒なことを言ってしまったのだろう。
しかし当のイルセラはあくまで冷静で、不敵に笑っていた。
「ふふ、まさか『使い魔』に挑発される日が来るなんて思わなかったわ。でも困ったわね。確かに生身の私じゃ魔法を駆使したところであなたに勝てそうにないわ。私の『使い魔』を使っても?」
「どうぞご自由に」
「ちょっ! フェアリー!」
リズの声が豹変した。
周囲にいる人間たちも青ざめ出して震えた声をあげる。
「おいおい……」
「あの子、イルセラ様の『使い魔』を知らないのか!?」
「【剣聖】と呼ばれる『使い魔』だぞ!」
「勝負になるわけねぇ……」
人間たちがざわめいている。
どうやら相当強い『使い魔』らしいが。
「フェアリー!」っとリズが肩を掴んできた。
また手を弾こうかと思ったが、やめた。
「リズさん。離してください」
「そこまでしなくていいから!」
「何がです?」
「イルセラ様の『使い魔』は【剣聖】って呼ばれていて【最強の使い魔】の一角なのよ!」
「そうですか」
「そうですかって……」
リズは絶句している。
フェアリーとしては、そんな人間基準の強さで測られていること自体が心外だった。
何億年と戦ってきたドラゴンと比べれば、どんな敵も可愛く見える。
フェアリーはリズをどけて、再度イルセラの前に立った。
「私と戦いますか? それとも逃げますか?」
「いいえ。受けて立つわ。あなたのくだらない挑発に乗ってあげる。明日の朝【エタンセルの広場】に来なさい。公衆の面前で相手をしてあげるわ」
くるりと身を翻し、イルセラは大通りを去って行った。