5.愛情には色々な種類がある
先程、セシリアの抗議するような視線を受けたウィルフレッドが、そろそろ話が終わる頃だと見計らったのか、いつの間にか二人の方へ近付いていたらしい。気まずそうに眉尻を下げながら、恐る恐るといった様子で謝罪の機会を要求してきた。
「ええ、どうぞ。ただし、お許しになるかどうかはフランチェスカ様次第ですが」
「分かっている」
やや意地の悪い言い方で何故かセシリアが謝罪の機会を許可する。
すると、ウィルフレッドが長椅子に座っているフランチェスカの前まで歩みを進め、その目の前で跪いた。
「フランチェスカ嬢……先程はエスコートをする身でありながら、君を辱めるような言動を何度もしてしまい、大変申し訳ない……。だが、私は決して君に対して嫌悪な気持ちを抱いてあのような態度を取った訳ではない事は理解して欲しい。君は私の大切な身内であり、本日足を踏み入れたこの社交界で今後は華々しく飛躍して欲しいという思いから、あのような手厳しい対応をしてしまった。だが、どうやらやり過ぎてしまったようで……君を必要以上に深く傷付けてしまい、本当に申し訳ないと後悔と共に反省している。もし、許しを頂けるのであれば、本日のエスコート役を引き続き、全うさせて頂きたいのだが……許しを頂けるだろうか……」
まるでロマンス小説の主人公が、プロポーズされる一場面のようなシチュエーションで謝罪を懇願して来たウィルフレッドを前にフランチェスカが、顔を真っ赤にさせて慌てふためく。
その様子を眺めていたセシリアが、またしても呆れ気味の表情をしながら「ウィルフレッド様、やり過ぎです……」と小さく呟いた。
「フランチェスカ嬢……許しは頂けないだろうか……」
更に追い打ちをかけるように捨てられた子犬のような上目遣いをしてきたウィルフレッドにフランチェスカの乙女心は大いに掻き乱され、限界を迎える。
「ゆ、許します! 許しますから……どうか、もうお立ちになってくださいませ!」
やや叫び声に近い状態で謝罪を受け入れて貰ったウィルフレッドは、満面の笑みを浮かべながら、そっとフランチェスカの右手を取る。
「フランチェスカ嬢……謝罪を受けいれて頂き、感謝する」
そしてその右手の甲にそっと口付けを落した。
「ひぃっ! もう……もうお許しくださいませ……」
乙女心を一番高鳴らせるロマンス小説の一場面を再現したかのようなウィルフレッドの演出謝罪に耐えかねたフランチェスカが、遂に悲鳴を上げた。
そんな悪ふざけを始めたウィルフレッドに白い目を向けながら、セシリアが盛大にため息をつく。
「ウィルフレッド様……いい加減になさいませ……。謝罪なさる気は本当におありなのですか?」
「もちろん」
「どう見ても純情なフランチェスカ様で遊ばれているようにしか見えないのですが?」
「心からの謝罪であるから、彼女が一番喜びそうな演出をしてみたのだが?」
「それを『悪ふざけ』と言うのです……」
そんな二人のやり取りを傍観する事で、つい今しがたウィルフレッドによって乙女のトキメキを最高潮まで高められたフランチェスカは、徐々に気持ちを落ちつかせる。
「ウィルフレッド様……。わたくしの方こそ、大変失礼致しました……。無理強いでエスコートをお願いした身でありながら、大切な婚約者であるセシリア様にあのような非礼を……。本当に申し訳ございません……」
跪いて右手を手に取ったままのウィルフレッドにフランチェスカも謝罪の言葉を伝える。するとウィルフレッドが、優しげに目を細め、フランチェスカの顔を下から覗き込むように視線を合わせてくる。
そんな今日一番の柔らかい笑みをウィルフレッドから向けられたフランチェスカは、またしても顔を赤らめてしまったが……。今ではその笑みに含まれているものが、妹を見守るような慈愛に満ちたものだと分かる。
すると、自然と少女らしい笑みがフランチェスカにも浮かび上がった。
そんな反応を示したフランチェスカに何故かウィルフレッドは、悪戯を企む子供のような笑みを向けた。
「見かけによらず、なかなか逞しいだろう? 私の婚約者は」
そのウィルフレッドの一言にセシリアはピクリと片眉を上げ、フランチェスカの方は思わず吹き出してしまう。
「ええ! とても逞しく、頼り甲斐のあるお姉様のような方です」
花が咲き綻ぶ様な笑みを浮かべながら、フランチェスカがそう答えると、更に優しげな笑みを深めたウィルフレッドが、フランチェスカの手を取ったまま立ち上がり、流れるような動作でフランチェスカを長椅子から立ち上がらせる。
「ウィルフレッド様?」
「実は……先程から本日の主役である第二王女殿下より、再来週に開催予定のお茶会の準備で君に相談したい事があるから連れて来て欲しいと催促されていて……。謝罪を受け入れて貰った直後で申し訳ないのだが、今からそちらまで私にエスコートをさせて頂けないだろうか」
大分前から第二王女にせっつかれていたのか、苦笑を浮かべたウィルフレッドがエスコートを申し出てきた。
その内容を聞いたフランチェスカは、思わずセシリアの方へ何かを確認するかのように視線を向ける。するとセシリアが大きく頷いた。
「フランチェスカ様、先程お伝えした方法を実践する時ですわ」
「ええ! ウィルフレッド様、是非エスコートをお願いいたします」
「承知した」
フランチェスカから引き続きエスコートをする許可を得たウィルフレッドが、優しく手を引きながら、会場で花を咲かせるように人だかりを作っている第二王女の元へとフランチェスカを誘導する。
その二人の後ろを数歩下がった距離を保った状態で、席を立ったセシリアも続いた。
すると、首を長くしてフランチェスカの事を待っていた第二王女が、大きく手を振っている姿が目に入る。その第二王女の様子にセシリアの前を歩くウィルフレッドとフランチェスカが、顔を見合わせ苦笑した。
それはどう見ても妹を猫可愛がりしている兄と、その兄が大好きな妹という微笑ましい光景にしか見えないのだが……。
自身が周囲から、どういう目で見られているか客観的に見る事が出来ない状態だったフランチェスカは、本日ウィルフレッドにエスコートされている自分達が、周囲より甘い雰囲気を醸し出している男女という風に映っていると勘違いしてしまったのだろう。
もちろん、敢えてロマンス小説に出てくるヒーローのようなエスコートを演出として、過剰に行ったウィルフレッドにも原因はある。
それでも現在23歳のウィルフレッドと、14歳になったばかりのフランチェスカが並んで歩いていれば、どう頑張っても仲の良い兄妹にしか見えないのだが……。
今回フランチェスカがそう思えなかったのは、やはり夢見がちな年頃でもある思春期特有の感覚なのだろう。
自身にもそういう時期があった事を懐かしみながら、第二王女達の輪の中に入っていくフランチェスカの姿をセシリアが眺めていると、無事に王女の元にフランチェスカを送り届けたウィルフレッドが、セシリアの元へ戻ってきた。
「連れてくるのが遅いと、王女殿下から苦情を言われてしまった……」
「あれだけ悪ふざけをされたのですから、当然の報いかと思いますよ?」
「君は本当に逞しくなったな……。いや、元からだったかな?」
「どうなのでしょうか……。少なくとも素敵過ぎる婚約者様を得てからは、大幅に逞しさは上がったとは感じておりますが」
「苦労をかけて、すまない……」
「ですが、その際に充分過ぎる程、守って頂きましたので、どうかお気になさらずに」
セシリアが社交界デビューを果たしたばかりの頃、令嬢達からやっかみを受けるセシリアの状況にウィルフレッドは、かなり親身になって対策をしてくれたのだ。
だが、令嬢達もバカではない。
必ずウィルフレッドが、セシリアの側にいない時を狙ってくる為、なかなか嫌がらせを行っている現場をウィルフレッドが押さえられなかったのだ……。
その為、暴走したセシリアがウィルフレッドを令嬢達の前まで引っ張り出し、名指しで声を掛け始めた状況は、ウィルフレッドにとってはまさに好機の展開だったのだ。その際、ウィルフレッドは胸元に忍ばせていたペンを素早く取り出し、自身の手の甲にその令嬢達の名前を一人残らず、書き留めた。
その後、早急に彼女達の家に婚約者を侮辱されたと抗議の手紙を送りつけたのだ。先方は抗議して来たのが、自分達よりも家格が下の子爵家ではなく、上の伯爵家の令息だった事に慌て、すぐにウィルフレッドの元に謝罪の手紙を返し、プレイニー家ではセシリアに詫びる為の訪問が殺到したそうだ。
その後、殆どの令嬢達は再教育を親から言い渡され、王城で行われている王族向けの厳しい淑女教育に強制的に参加させられたそうだ。
だが中にはそれが切っ掛けで、セシリアとの交流を深めた令嬢も数名おり、今ではその時の出来事をお互いに若さゆえの苦い失敗談として笑い話に出来る程、互いに水に流し、良好な関係を築いた令嬢も多い。
現在18歳になろうとしているセシリアは、若さゆえに情熱的に育ってしまった恋心を抱え続ける苦しみを理解出来る年齢になっている。また幼稚な行動に出てしまった令嬢達も現在は子を持つ親の立場となっており、その当時の自身の失態を恥じらう事が出来る考えに至っている。
成長する事によって、互いの立場になって物事を考えられるようになったからこそ、双方は和解する事が出来たのだろう。
それでもウィルフレッドの中には、大切な婚約者が自分の所為で辛い時期を過ごしていたとい負い目が未だにある……。そんな思いもあって、どうしてもセシリアを大切にしたいという気持ちが強くなってしまい、甘い触れ合いによる愛情表現を過剰に行ってしまうのだ。
当初はそれを子供扱いされていると抗議していたセシリアだが、今ではウィルフレッドがそういう愛情表現をしてしまう理由を理解してくれているようで、大人しく愛でられる事を甘んじて受けてくれている。
だが、その状況にそろそろウィルフレッドの理性は悲鳴を上げ出していた。
「挙式まであと半年とは……待つ時間として長すぎないだろうか……」
ボソリと呟かれた婚約者の愚痴にセシリアが苦笑する。
「わたくしが成人するまで待ってくださると宣言してくださったのは、ウィルフレッド様ではないですか……」
「そうなのだが……。セシーは今年で成人するのだから、そこまできっかり成人する日を待たなくてもいいのではと……」
「ご自身で宣言されたのですから、しっかりと守ってくださいね?」
「……分かっている」
やや不貞腐れた様子で返答してきたウィルフレッドに再びセシリアが苦笑した。
そんな会話をしながら、キャイキャイと華やかな声を上げている第二王女達の集団を眺めていたセシリアだが……。
実は今回の件で、ずっと疑問に思っていた事を思い出す。
「そういえば……今回の件で一つ気になっている事があるのですが……」
「何だ?」
「何故、ラザフォード伯爵夫人は、このような手の込んだ事をしてまで、フランチェスカ様の淑女としての成長を過剰に望まれたのですか? 本来であればそういう部分は、実際に社交に出て、当人達が肌で感じ、自主的に身に付けていく、というお考えの家が多いかと思うのですが……」
実はセシリアは、ウィルフレッドからエスコートの断りを受けた時から、ずっとこの事が気になっていたのだ。
今回フランチェスカは、淑女レベルの底上げを実の母であるラザフォード伯爵夫人より強く望まれ、何故かこのような手の込んだ方法で強引に行われた状況なのだ。だが、まだ14歳になったばかりの彼女にそれを求めるのは、早すぎると感じていたのだ。
その疑問をウィルフレッドに話してみると、何とも微妙な表情を返された。
「実は……現状フランチェスカ嬢には、ある人物から婚約の申し出が来ている」
「ある人物……ですか? それはどなたでしょうか?」
すると、何故かウィルフレッドは盛大にため息をつく。
そして、セシリアを誘導するようにチラリと会場の右側の方に視線をやった。
釣られるようにセシリアがその場所に視線を向けると、第二王女達とは別に華やかな令嬢達の塊が出来ている状況が目に入る。
その中心にいる16歳前後の穏やかそうな雰囲気で令嬢達の対応をしている銀髪の少年の存在を確認し、セシリアは思わず息をのんだ。
「ま、まさか……」
「ああ。その人物というのは……あそこから時折、私の事を射殺さんばかりの鋭い視線で睨みつけてくる――――」
そこで一度言葉を溜めたウィルフレッドは再度、盛大にため息をついた後、静かにその人物の名を口にする。
「この国の第三王子であらせられるエリオット殿下だ……」
その大物人物の名を聞いたセシリアは、思わずビシリと固まった。