61.エピローグ
春風が吹き始めた頃、私はヴァルテンブルク国に戻ってきた。
今日は久々の学校の日。
そして、これが最後の登校だ。
古く趣のある校舎。
王侯貴族の伝統校ヴァルテンブルク王立第1高等学院。
薄いピンクの花弁がはらはらと空を舞い、雪はすっかり溶けて土からは新たな草木が芽吹いている。
私が着ているのはトラウザーズではなく、スカートだ。
「たった1日の為に女子用制服作ったんですか?」
「そうだ。一度ちゃんと着させてみたかったんだ」
隣で手を繋ぐエリアス先輩が昨日からずっと煩いので、今日はチェストプロテクターはつけていない。
ハイソックスの上のプリーツスカートが風で靡くと、エリアス先輩は頬を染めて微笑った。
「············いい。すごくいい」
「何がですか」
「俺、本当は在学中にレフィと男女の制服で並びたかったんだ」
「ふぅん。男子の制服と下しか変わらないじゃないですか」
「全然違うぞ? 風に靡くスカート。ちらちらと見えるレフィの太腿。チェストプロテクターの無い、豊かに膨らんだ胸。本当に喜ばしい」
エリアス先輩が鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌で答えた。
「先輩、今日で卒業なんだから皆と一緒にパーティに行かなくていいの?」
式典が終了したあとクラスで食事会をすると、三年生の先輩方が嬉しそうに会話していたのが聞こえたので、私はエリアス先輩に尋ねた。
「行かない。レフィは皆にちゃんと挨拶出来たか?」
「はい。みんなこの格好見てとても驚いてましたよ」
私も先輩の卒業に合わせて、今日この学校を自主退学をする。同級生や先生方、寮監に一通り回って挨拶をしてきたところだ。
先輩と過ごした校舎もぐるりと回って思わず感慨に耽ってしまった。
初めて仕事をした貴賓室、空を眺めた屋上、勉強に励んだ教室、毎日を過ごした学生寮。
「もう、他に見たいところはないか? 貴賓室、もう一度行くか? 殿下には許可を貰っている」
「いえ。もう十分です。有難うございます、先輩。ランベルト殿下はもう王城に戻ったのですか?」
「ああ。お忙しい方だからな」
春が過ぎたら学校は敷地内に新しい校舎が建築されるらしい。この古くて重厚な建物は役目を終え、数年後には取り壊しが決定している。
ざあっと風が吹いた中庭は、美しいピンクの花弁がこれでもかと舞い踊る。
「じゃあ、最後だから俺の願望に少し付き合え」
「なんですか?」
「『好きです、付き合って下さい、エリアス先輩』って言ってみて」
「······なんですかそれ」
「いいから」
エリアス先輩の馬鹿みたいに真剣な眼差しに、仕方なく私は彼に従った。
「『スキデス、ツキアッテクダサイ、エリアスセンパイ』」
「却下だ。もっと恥ずかしそうに言え」
何なんださっきから。
でもエリアス先輩は一度言い出したら聞かない人だ。
「ほら、もう一度」
そう言って私の指を掬い、指先に騎士のようにキスを落とした。
「······す、すき······です」
「何? もう一度」
端正な顔がゆっくりと私の頬に近づく。
「······すき······」
「もっと。ちゃんと」
蜂蜜色の美しい髪が私の肩に落ちて、首筋に静かに熱を零す。
「好き······です、付き合って下······さい、エリアス先輩······っ」
「うん、いいよレフィリアーナ。お前は俺が好きなの?」
かぷりと耳を甘噛みされて吐息が体を震わせる。
「はぅ······好き」
「はあ。堪んないな······先輩呼ばわりもこれで最後か。もっと女子高生のレフィといちゃいちゃした学生生活送りたかったな」
「なら、あと1年在学続けられるようにランベルト殿下に進言してください」
「お前が残ってもおれはどのみち卒業だぞ。それに再来週にはもう結婚式だしな」
ぐりぐりと肩に顔を擦り付けて先輩は溜め息をついた。
「可愛い。なんでこんなに可愛いにの見納めなんだ。レフィが最初から女の子の制服で来てくれてたら、もっと青春出来たのに」
「ふふっ。私がこの格好で最初から先輩の前に現れて近寄ったところで、あの頃の先輩は私を信じなかったでしょ?」
「そうかな。イチコロな気もするが」
「ふふ。試しにやってみますか?」
私は一歩下がってプリーツスカートの裾を摘み、カーテシーをした。
「初めまして、私留学生のレフィリアーナ・ローゼンハインと申します。ブルクハウセン国から参りました」
「これはこれはご丁寧に。俺はエリアス・クラインです」
「この国は素敵ですね。エリアス先輩、私、もっと皆さんと仲良くなりたいです。沢山楽しいことをしてみたいです。色々と教えてくださいますか? 先輩」
「手取り足取り教えてあげるさ。こんなに可愛い後輩が出来るなら」
先輩は微笑って私の傍にまで来ると、腰を抱いて頬を撫でた。
「仲良くなれるのは、本当に幸せなことだな。国も、人も」
「私もエリアス先輩と仲良くなれたのも嬉しいです。ヴァルテンブルク大好きです。エリアス先輩も大好きです」
「俺も大好きだ。愛しているよレフィリアーナ」
先輩の少し低い声が吐息とともに唇に触れると、私は瞼を静かに閉じた。
────ねえ、エリアス先輩。
私、毎日楽しかった。
とても幸せだったわ。
男として暮らしていたおかしな私の本当の姿を見抜いた貴方。
貴方と会って、
睨まれて、嫌われて、しつこく話しかけて
ダンスを踊って、笑いあった
あんなふうに喧嘩をしたり笑ったり
毎日勘違いを繰り返しながら貴方と触れ合って
そんなの予想なんてしてなかったけど
予想すら出来なかったけど
ランベルト殿下に声をかけられたことから全てが始まり
エリアス先輩と恋に落ちて
かつては外国だった筈のこのヴァルテンブルクで
毎日、毎日、楽しくて
一つ、また一つ 私はこの国が、この国の人達が好きになっていった
「エリアス先輩、有難う。私、この国に来れて良かった。先輩と知り合えて良かった」
「······俺もだ」
青い空の下、花弁が雪のように舞い散る学校の中庭で、私達は暫く互いに身体を寄せ合った。
────2週間後私達は結婚式を挙げた。
私は、世界で一番雁字搦めの愛に包まれた、誰よりも幸せな花嫁になった。
お読み頂きまして有り難う御座いました。
最後までお付き合い頂き、感謝致します。




