59.貴族の教訓
ブルクハウセン国に戻った私は、帰国早々お父様の指示の元、家を上げて婚約式、結婚式に向けて動かなければならなくなった。
短い期限内にやらなければならないことは鬼のようにある。
嫁入り道具一式をオーダーし、持参する最低限の洋服、礼服は全てサイズを図り直し新調した。
結婚式のドレスの制作は本来半年から1年をかけてお針子達が仕上げるものだが、これを僅か3ヶ月で作る。まだデザインすら決まっていないのに。
お金も人も総動員しなければならない。
合間を縫って、婚約式の準備とヴァルテンブルク国の結婚式の準備を行うため、帰国して直ぐにクライン公爵家からはひっきりなしに手紙や荷物が届き、お父様も弟も毎日バタバタと私の結婚に向けての準備に明け暮れた。
そして、エリアス先輩からは本当に毎日手紙が届いた。
全く国際郵便が幾らかかるか分かっているのかしら。しかも毎回速達便。
たまにでいいと言ったのに。
毎日の手紙には「会いたい」「淋しい」「好き」「愛してる」がセットで必ず入っているのだ。同じ文章を書くならそれこそ一回出せば伝わるのに、先輩の渇望は止まらないようだ。またお腹が空いているのかもしれない。
ブルクハウセンに戻って忙しい日々を過ごして10日が過ぎた頃、いつもとは違う内容の手紙が先輩から届いた。
書かれていたのは、私の誘拐事件の顛末だった。
私を誘拐した令嬢の家、トレッチェル子爵家は、彼女の母の祖国クーネンフェルス国からの輸出入での脱税や不法入国の手引の発覚により、国王陛下から自宅謹慎と輸出入の一時停止を言い渡されていた。
勿論娘であるヴィヴィアンヌ様も表立った活動を慎まなければならなくなり、元々輸出入の利益が莫大で領地の財政とはかけ離れた絢爛豪華な生活を送っていたこの家では財政破綻に陥って、使用人達も次々と屋敷から去り、私の誘拐をあの肌の浅黒い男に最初に依頼した家人も、実行日には姿を消していたらしい。
美しくひっきりなしに男性からの誘いが絶えなかった彼女の元には、ピタリと誘いの手紙は途絶え、家に来るのは借金取りばかり。
そんな生活を続けていた彼女の心は既に病んでいたようだ。
ぐちゃぐちゃの状況の中、彼女は最早後先を考えず誘拐を実行に移した。
私を狙った理由は、中断した輸入の契約先がクーネンフェルス国からブルクハウセン国に切り替えられた為。利益の大元である輸入の再開が全く目処が立たないと絶望した矢先、彼女はたまたまランベルト殿下の傍にやってきたブルクハウセン出身の私に全ての恨みの矛先を向けたようだ。
てんでバラバラな一貫性の無い発言、手際も情報収集も意思疎通も悪い理由は、信頼する手駒がもう彼女の手元には残っていなかったことと、彼女自身の精神が既に崩壊しかけていた為だった。
ヴィヴィアンヌ様は、騎士団の取り調べの中で、私を憎む言葉は口にされていたものの、殺意があった訳でもなく、誘拐した後も、ただヴァルテンブルク国から消えて欲しかただけだと言っていたそうだ。
余りにも稚拙な誘拐劇には、そもそも計画すら無い彼女の心の暴走によるものだった。
「成る程ね。財政破綻か······動かす家人すらいなかったのね。確かに誘拐現場に指示役の令嬢本人が伴もなく来るわけないのよね」
伴もなく歩き回っている令嬢なんて、この世で私くらいのものだ。
だが、いくら可哀想だと思っても起こした事件はもう元には戻らない。ブルクハウセン国の貴族令嬢を誘拐し、刃物を向けた事実は無くならない。
トレッチェル子爵家は爵位返上の上、お取り潰しが決定したという。
可哀想なヴィヴィアンヌ様も事件が全て収束した後、良くて辺境の修道院へ身柄を預けられるか、場合によっては牢獄での終身刑もありうると書き記されていた。
エリアス先輩の手紙を読みながら、私はふと考えた。
私も貴族の娘であり、そして嫁ぎ先もまた貴族の家。
私達貴族は、領地の領民からの税に成り立っている。
彼らによって私達は生かされているのだ。
ヴィヴィアンヌ様の事件を、「怖かった」の一言で片付けては行けないのだ。
明日は我が身。教訓にしてこそ、本物の貴族と言うよう。
「お父様! お願いがあるのですが······」
そう言うと、私はお父様を説得し、その日の午後に予定等せていたウエディングドレスの打ち合わせに向かった。




