42.決壊
「誰が誰を殴るって?」
すぐ横から声が聞こえて、私は見上げた。
「エ、エリアス先輩?!」
なんで先輩がここに?
この人はどうしていつも気配なく忍び寄るのかしら。
「レフィに近づく気配を感じで追いかけて来てみれば、やっぱりお前か、ルイ・リーネル」
酷く不機嫌そうな顔でルイ兄様を見下ろしたエリアス先輩に、兄様はキッと強い眼差しで睨み返した。
「だから何だ。殴られるのは君に決まっているだろう、エリアス君。殿下の側近であることを笠に、レフィを離さずにいるくせに」
「身分など使わずとも、俺は俺の意思でレフィの傍にいる。惚れているからな。悪いか?」
真顔で「惚れている」とか言われ、思わずカッと顔が赤くなる。
「何を偉そうに······! レフィを泣かせておいて、慰めもしないくせに······!」
「······泣いて······?」
先輩の視線がルイ兄様から私に移って、ハッとして頬を伝うものを急いで腕で拭こうとしたが、その腕は直ぐに先輩に掴まれてしまった。
「レフィ······泣いていたのか?」
「ち、違います······っ」
「じゃあ、どうしてそんな顔してるんだよ」
そんなって······自分じゃ分かんないわよ。
そう言い返そうとして先輩を見上げると、深いサファイアブルーの瞳と目が合った。
「······いて、なんか······いな······っ」
やめて。そんな優しい目で見ないで。
「······違······っ」
あの日、貴方と口づけを交わした日から、目を合わせないようにしていたのに。
「······っ!!」
────ああ、ほら、決壊してしまったじゃない。
「うう、うぁ······ひっ······」
必死に我慢していた私の涙は、ボタボタと大粒の雨のように落ちていく。
「レフィ、レフィ······!」
「嫌! 触らないで! 放っておいて!」
「放ってなんかおけるかよ! こんなに泣いているのに!」
「······先輩が······エリアス先輩が悪いんだから!······なんで、どうして······!」
「ああ。俺が悪い。全部俺が悪い。全部俺が受け止めるから。だから俺に言ってくれ。他の奴でなく全て俺に言ってくれ······!」
悪い?
誰が悪いの?
先輩が? エリアス先輩が何をした?
「······っく······ううっ!」
違う。
違う。違う。
「レフィ······!」
最初に、嘘をついたのは······
「······僕は······っく······」
貴方のことを、騙し続けていたのは······
「······私は······」
────悪いのは、全部私の方だ。
「······私は、男ではありません······っ」
「レフィ······?」
歪んだまま、ぶれた視界に映る蜂蜜色の陰を前に、私は崩れ落ちた。
「────ごめんなさい、エリアス先輩······!」




