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29.金木犀 2

 


 何が起きたのかよくわからなった。


 視界に広がるのは煌々と光を放つ満月。

 鼻を掠める金木犀の香り。

 頬を擽る、先輩の蜂蜜色の髪。


「好きだ、レフィ」


 首筋にかかる吐息。

 耳元に囁く先輩の、エリアス先輩の声。


 私を縛る長い腕は、あの日よりも優しいのに。

 前よりもっと、ずっと、雁字搦めに囚われてる気がする。

 もっともっと何がかが拗れてる。


「好きだ。好きすぎて······もう、気が狂いそうだ······!」



 ────『好きだ』って言ったの?

 誰を? 私を?




 でもどうして······?

 先輩は、ランベルト殿下がお好きだった筈なのに。



 混乱したまま動けない私に、最初に触れられたのは、兄様が触れたのとは反対の頬。


 先輩の唇は、温かな熱を伝えると小さくリップ音を残し、ゆっくりと離れ長い腕がまたぎゅうっと私を縛った。


「せ······先ぱ······?! 何を······っ!」


「甘い······」


 そんな訳はない。

 私は砂糖菓子ではない。人間の皮膚に甘み成分など含まれてなどいるはずがない。

 いや、そんなことより······



 ────バレた訳じゃ、無かった?



 心臓は未だ速い速度で鼓動を刻む。

 激しく動揺したまま、今の状況をなんとか理解しようとするが上手く考えが纏まらない。


「何でルイ・リーネルに触らせてるんだよ······お前は、俺が······!」

「せ、先輩······少し落ち着いて······」

「あんなにハグさせて。何なんだよ······!」

「だ······だって親戚なんです。するでしょう? ハグぐらい」

「頬に、キスさせてただろ······!」

「あ······あれは! 兄様は5才も年上で、僕を子供扱いしているから······っ」

「お前は俺と仲が良いんだろ? 仲良くなれて嬉しいんだよな? 大好きだと、そう言ったよな?」

「い、言いましたけど······でも先輩は······!」

「でもじゃない······! あんなの目の前で見せられて!」


 な、何? 何なの?

 ルイ兄様を敵対視しているの?


 一度離れた筈の唇は、気がつけば耳元に移動していた。


「わああああ!! せせせ先輩っ?!」


 はむはむと耳を口に含まれて、ぴちゃりと水音が聞こえると恥ずかしさで居た堪れず、私はポカスカと先輩の胸を叩いたが、全く動じず耳を舐めるのを止めてくれない。


「先輩先輩先輩!! 落ち着いて餅ついておちついてー!!」


 散々舐め回されると、今度はさっきとは反対の頬に何度も何度もキスをされ、私の頭はさらに混乱していく。


「そうだな。餅みたいに甘くて柔らかいな。お前の肌白くてほんのり桜色で······」


「甘くない! 餅じゃない! 先輩味覚障害!!」


 何故か東の国の穀物から出来たお菓子の話が出てきたが、そんなことはどうでもいい。


「······これでルイ・リーネルの匂いは無くなったかな」

「先輩! 離して!」

「足りないかな。もうちょっとだけ······許せ」


 許せ?! 許せって何よ!!

 なんだその言い草! お前は神か王族か! そんなに偉いか!!

 いやでも公爵家の一族、超偉かった!!


 頭に血が昇って、泣いてるのか怒っているのか分からない状態になり、ヒンヒンと鼻がおかしな音を立て始めると、先輩は、涙混じりの私をうっとりと見つめ微笑った。


「······可愛いな、お前」


「ゔゔゔゔぅ~っ!! なんてことするんですか?! エリアス先輩は、ランベルト殿下が好きなんでしょう?! 殿下ラブなんでしょう?! 何で僕にこんなことをするんですか!!」


「殿下? あの方が恋愛対象な訳ないだろう。殿下は俺の主であり、俺の(ことわり)だ。欲情するなどとそんな無礼な真似許さん」 


「だってあんなに嬉しそうに頬染めて······」


「もう、我慢なんて出来ない······限界だ······! レフィ、俺の恋人になってくれ。俺だけのレフィでいてくれ」


「馬鹿言わないでください!! 僕は外国人だし、ただの留学生で、先輩みたいな王族の側近とは······」


「関係ない。」


 何なのこの人······!!



 話の通じ無い頑固な先輩が私を離してくれたのは、ランベルト殿下に命じられた従者のフィンさんがテラスに様子を見に来てくれた5分後のことだった。


 ホールに戻ると、叔父上の後ろにいたルイ兄様が酷く先輩を睨み続けるのを、私は止めることが出来なかった。




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