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感情と服

 今朝起きて、またため息を吐いた。

 何故俺のシャツはいつも白なのだろうか。


 昨夜寝た時も白。一昨日も白。

 そして今日もまた、白だ。


 自分の感情に合わせて色が変わる生糸が見つかった。

 感情がわかれば人に対する接し方も分かるだろうというお題目の元、その生糸は急速に広まった。シャツもこの素材で作られたものしか売られなくなった。

 そして気付いた時には、寝巻きすらこのタイプの生糸に切り替わっていた。


 しかし、それこそが俺の思い悩む理由でもある。

 俺のシャツの色が、いつも白だからだ。


 赤は情熱、青は平静など、様々な色に様々な意味合いがある。

 だが白とはなんであるかと言われると、『無』である。

 何も無いのだ。

 こんな色のシャツなど、今や街中見ても俺くらいしかいない。


 両親はおらず、職もこの間クビになった。

 その職業についていた時も、シャツの色は白だった。

 それで何を考えているかわからないと職場で因縁に近いものを付けられ、クビにされた。


 クビにされてへこんだのは事実だったし、何より因縁を付けられたのも腹が立ったというのに、その時ですら、自分のシャツは白だった。

 故に気味悪がられた。自分でも少し気味が悪いと思った。


 何故自分のシャツは感情で色が変わらないのか、といつも思い悩む。


 俺に何もないからだろうか。

 そう考えると、少し怖くなる。


 何もないということは、己の生きているという意味合いすらもないということではないのだろうかと、不意に恐怖を俺は覚えた。

 死ぬことは、怖いのだ。


 そう思っているときでも構わずに、俺の腹から音が鳴る。要するに空腹だということだ。

 こういうときでも腹は減るんだなと感じながら、キッチンへ行って、余っていた食材を用いて朝食を作った。


 食事を作っていると、不思議と集中出来た。

 何も考えなくていい。物事に集中できる。

 毎回食事を作る時だけは、シャツの色が気にならない。

 そして出来上がった料理を食べている時もまた、集中して食事にありつける。その時は、シャツが白でも何も違和感を覚えなくて済む。


 もっとも、前の前の職場ではその食事に集中しすぎて遅刻を繰り返してクビになったのだが。


 すべて終えて食器を片付けた後、職探しでもしに行くかと、俺は家を出た。

 まだ、シャツは白のままだ。


 だが、不思議と焦りがない。

 身寄りのない俺は家族からの支援などない。そのため職がないということは即ち明日の飯もどうなるのかわからないということだ。

 本来だったら焦りが出てくるはずだ。


 焦りの色は、袖がクリアブルーになった水色。実際歩いていると、通信端末を聞いた後、赤かったYシャツがその色になっている人を見かけた。必死になってその人は走っている。


 街の中を歩くと、色んな色のシャツを着た人で溢れている。緑だったり、黄色だったり、茶色など、白以外の模様で溢れている。

 色が白のシャツなど、自分一人くらいなものだ。実際たまに奇異な目で見られる時がある。


 その時は、料理のことだけを考えている。

 何の料理をつくるか。何の食材を使うか。残りの食材はなんだったか。それを常に考えながら歩く。


 料理人でもないのに何をやってるんだと、俺はため息を吐いた。

 その度に何故俺のシャツは色が変わらないのかと、負い目に近いものを感じてしまう。


 不意に右に寺が見えた。何故か、入ってみようと感じた。

 寺は街中にあるとは思えない程静かだった。

 線香と建物の木材の香りがどことなく漂ってきて、何処か落ち着いた。


「おや、客人ですかな」


 袈裟を着た坊主が一人、本殿横の事務所から手を合わせながら出てきた。

 袈裟は青だ。だが、どちらかというと白に近い。

 平静と無の間、といったところだろうか。珍しい色だと、俺は思った。


「え、ええ。まぁ、そんなとこです」


 俺もそれに合わせて、手を合わせた。


「おや、白のシャツですか」


 坊主がこちらをマジマジと見ている。

 ふむと、坊主が唸った。

 やはり坊主でも気になるものなのだろうか。それだけ白というのは珍しいのだ。


「やはり、変わってますよね」

「否、素晴らしい……ここまで美しい白はそう簡単にお目にかかれるものではありません」


 坊主が首を一度横に振った後、こちらに近づき、更にじっとシャツを見る。


「一点の曇りもない……! これ程見事な白だとは……! 私ですらここまでの色にはなれん……!」


 坊主の声は、驚きに満ちている。

 こんな白など奇異なだけだろうにと思うのだが、坊主の目は真剣だし、何処か自愛に満ちていた。

 今までこうした視線で見られたことは一度もない。斬新な感触が、俺によぎった。


「いや、あなたは素晴らしい『無』なのですね」

「何もないから、ですか」


 坊主はまた、首を横に振った。


「あなたは白が何故、『無』と呼ばれるかご存知ですか?」


 言われてみればそれは知らない。

 無ということは知られていたが、考えてみればこのシャツの色の切り替わる感情にしたって、何故この色がこの感情を表しているのかというのは、よく分かっていないのだ。

 そもそも無とは何であるか。それがよく俺には分かっていない。


「無我の境地、という言葉がございます。白の無とは、その言葉から取られているのです」

「無我の境地?」

「あなたは何かの物事を行うにあたり、周りに目がいかずに集中しすぎることがありませんかな?」


 言われてみると思い当たる節がある。

 料理だ。料理を作り、食べている時、その時はヤケに集中できる。

 そしてそれでクビになった実績すらある。

 思い当たるフシは山ほどあった。


「料理の時は集中しすぎますね」

「ほぅ。料理ですか。その昔、生糸がまだ感情で分かるより前の時代、コックの制服は白かったと聞いております。あなたは既に料理の世界で、そしてこの世界で無我の境地に到達していらっしゃるのですよ」

「だけど、俺の料理って言われても、素人だし……」

「ならば、その無の通りにやればいいのです。白はカンバスのようなもの。何も無いのではなく、これから何にだってなれる、ということでもあると思います。料理の時に集中出来ると言うなら、料理人になってみるのもまた一興ではありませんかな? 人生とは、感情の生糸だけで理解できる代物ではないのですよ。感情のみに振り回されることなかれ。私が言えるのは、それくらいです」


 そう言われると、自分の中の迷いが、すっと消えた。


 何にだってなればいい。何にでもなれる。

 それが白だ。それが無だ。


 そう思うと、賽銭箱に賽銭を入れて礼をしてから、走っていた。


 どこに走る。

 どこでもいい。

 俺の料理をぶつけられる場所。そこに行けばいい!


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そんな時から十年。

 街中の小料理屋の厨房に、俺はいた。


 厨房は俺と、いつの間にか出来ていた複数人の弟子で切り盛りしている。

 弟子の制服の色は様々だが、俺の制服の色は白だ。

 感情の生糸は、ずっと変わらず白のままだ。


 あれからいろんな店で料理を学んで、今こうして、自分の店を開けるようになった。

 客足も相当のもので、いつも予約の電話がひっきりなしに鳴っている。


 常に白の料理人というだけで、とてつもない宣伝効果があった。

 無我の境地に常に達して料理のことにただひたすら集中する職人。そう呼ばれるようになってから、何年になるのかはもう分からないが、まだこれからだと、俺は感じている。

 まだまだ、無になれるはずだと、自分の中で葛藤しながら、料理を作り続けている。


「すごい……。なんで、そんなに白でずっといられるのですか、師匠?!」


 弟子の一人が聞いてくる。

 切り終えた刺盛りを、弟子に渡した。


「集中すれば、おのずとこの色になってくるものだ。無我の境地、お前にも見えるといいな。さ、こいつは鮮度が命だ。早く客に持っていきな」

「はい!」


 弟子が足早に去っていく。

 その弟子の制服が、不安を示していた紫から赤に変わった。


 そんな店の名前は、『白色』。

 そこの厨房は俺のただ一つの、無我の境地に達せられる場所。


(了)

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