知るべきじゃないこと
「……それで? このサークルに参加するつもりになった?」
郡さんは僕たちに問いかけてくる。
「……少し、考えさせてもらってもいいですか?」
「……へぇ、てっきり断るのかと思ってたけど」
「異世界転生ができるとは、やっぱり思えません。けど、このサークルの活動内容自体には興味が湧いたんで」
「……そう。別にどんな動機だろうと構わないわ。私たちに協力してくれるならね」
すると、郡さんは再び椅子から立ち上がり、僕の方へと近づいてきた。
「あなた……このサークルに参加しない?」
それはただのサークル勧誘の台詞なのに、どこか色っぽく感じられた。なんというか、体を求められている気分になる。少し薔薇色の妄想が始まったが、すぐにそれを振り払った。
というか、なぜ勧誘してきたのだろう。軽人にはサークル参加の意思を聞いただけなのに。郡さんに気に入られるような何かをしただろうか。
「いえ、僕はそもそもこいつの付き添いで来たんです。最初から参加するつもりはありません」
「参加するつもりがないにしては、随分と物わかりがいいじゃない。普通、異世界転生なんて興味がない人間からしたら、理解すら放棄するでしょ」
ああ、なるほど。要するに僕が異世界転生サークルの活動内容について妙に物分かりがいいから、実は異世界転生したいんじゃないかと考えているわけか。確かに、異世界転生なんて「無理だ」と決めつけて理解を放棄する人がほとんどだろうからな。
「いえ、僕はこの現実に満足しています。異世界転生の必要はありません」
「……そう。まあいいわ。けど、気が変わったらいつでもここにいらっしゃい。歓迎するわ」
「……素直に感謝しておきます」
来ることは二度とないと思いつつ、僕は頭を下げた。
「なあ? どう思う?」
「何が?」
僕と軽人はなんとなく教室に戻ってきていた。クラスメイトは僕たち以外いなくなっており、お互いの声がよく聞こえる。
「異世界転生サークルだよ。俺は……異世界転生は無理だと思う。けど、あの人たちの活動自体が間違ってるとも思えないんだ」
「僕も基本的には同じ意見だよ。君が気になっているのは、なんであそこまで異世界転生に固執するのかってことでしょ?」
軽人は呆気に取られた表情になる。鳩が豆鉄砲食らったとはまさにこのことだろうか。
「すげぇなお前。なんでもお見通しなんだな」
「そもそも、君はあのサークルに興味を持ったんじゃなくて、郡さんに興味を持ったんでしょ? 彼女の考えが気になるのは当然じゃない?」
「まあ、そうなんだけどな。やっぱり俺にはわかんねぇわ」
きっとわからないのは、なぜ彼女が異世界転生を信じているのかではなく、なぜ盲信できるのかという点だろう。プロサッカー選手になりたいから、サッカーの練習をする。目的もそれに至る行動も間違っちゃいない。けど、心の底からプロサッカー選手になる未来を信じて、行動している人はどれだけいるのだろうか。内心、なれるわけがないと思いつつも、諦めたくもないから練習をしている。そんな人は多いだろう。
郡さんはきっとそうじゃない。心の底から異世界転生ができると信じている、いや、確信しているのだ。そう思えるだけの彼女の信念が軽人には理解できないのだろう。
「そうだね。僕にもわからないよ」
「……お前ならなんかわかりそうな気がしたけどな」
「いや、全くわからない。そもそも、人の気持ちを知った風に語るのは好きじゃないしね」
そう、僕には絶対わからない。そして理解しようとするべきじゃないのだ。
「それで? 本当に異世界転生サークルに入るつもりなの?」
「……俺は入りたいと思ってる。あの人たちが不確定な未来を盲信できる……理由を知りたい」
「そう。きっと歓迎してくれるよ」
「お前は……本当に入らないのか?」
軽人は少し寂しそうな目をしている。断れるのがわかっているが、万が一頼みこめば参加してくれるのはないか。砂粒のような可能性を期待している目だ。
「君からすれば僕が入ってくれた方が心の支えになるだろうけど、断らせてくれ。彼女たちの活動を否定しないけど、僕にはやる気もないんだ。それにこの現実に特別な不満があるわけじゃないしね」
「そっか……まあ、仕方ないよな」
無理やり声を明るくしているのがわかった。少し申し訳ない気持ちにもなるが、やはり僕には異世界転生をする理由がない。そして、軽人のように彼らの気持ちを知りたいとも思わない。入る理由が欠片も見当たらない以上、迷惑になるだけだろう。
なんだが、現実味がない話ばかりしていたせいで、不思議な気分になってきた。異世界転生についてここまで真剣に考えたことがあっただろうか。今、会話を思い返すと少し馬鹿馬鹿しく思えてくる。
――そこで、ふとあることが気になった
「ねぇ、軽人。異世界転生ってなんだと思う?」
「は? そりゃあ異世界で生まれ変わることだろ? アニメでもよくあるじゃねぇか」
「そうだね。世界転生はこの現実とは違う別の世界で、生まれ変わることだよね」
「それがどうしたんだよ?」
「……いや、なんでもない」
郡さんはこの世界、そして自分の人生がクソだと言った。だから、異世界に転生したいという考えは、間違っちゃいない。
けど、彼女は会話の中で何度か「異世界に行く」という表現を使っていたのだ。
「異世界に行く」と「異世界転生」は意味が全く違う。自分という姿を保ったまま異世界に行くかどうかという違いがある。言葉の定義を広く捉えている可能性は充分にある。「異世界に行くサークル」よりも「異世界転生サークル」の方が語感はいいし、印象にも残りやすい。「異世界に行く」と「異世界転生」を同じ意味で考えている可能性は高い。
しかし、郡さんは「選ばれた人間しか自由がないこの世界がクソ」と言った。
それならば、この世界で選ばれた人間に生まれ変わりたいと考えるのが自然じゃないだろうか。
そして、その目的を達成するための手段は……死ぬということになる。だって、この世界で新たな人生を始めるためには、今の人生を終わらせなくちゃいけない。誰にだってそんなことはわかる。けど、彼女は自殺願望がないと言った。
なぜ、自分の人生がクソといえる人間が、あそこまで目的の達成に前向きになれるのだろうか。
異世界転生をしたと主張する人間が、本当にこの世から消えていたのかを調べる。異世界転生の方法を探す手段としては、正しいだろう。けど、もっと簡単な方法がある。
それはこの世界に戸籍などが存在しない、正体不明の人間を探すことだ。
そもそも、異世界転生の可能性を信じるのなら、別の世界からこの世界に転生できる可能性も信じられるだろう。けど、彼女はそれについて触れなかった。あくまでも元々この世界に存在していて、異世界転生をした人間を探そうとしている。
そもそも、異世界転生をした人間がこの世界に戻ってきたとして、元々の姿を保っているのだろうか。それこそ、犬や猫のような動物に転生している可能性だってある。
正体不明の人間を探す方が、よっぽど合理的なはずなのだ。
行方不明者を探す方が、あのサークルにおいて都合の良い理由でもあるのだろうか。そこまで考えて、僕は理解することを諦めた。
おそらくだが、きっと彼女には彼女なりの理由がある。初対面の僕たちに、全てを話してくれてはいないだろう。しかし、それを知ることはできない。いや、人の心の内なんて知ろうとするべきでなければ、知ったつもりになるべきでもないのだ。
そんなことをしたって、本当の意味で理解することはできないのだから。




