異世界転生は可能か?
「あれ? 麗美、お客さん?」
中には制服を着た男の人が一人だけ座っていた。第三高専は三年以上から私服での登校が可能になる。つまり、制服を着ているのは、一年か二年の生徒なのだ。
そして、既にサークルに参加しているのなら郡さんと同じく二年の生徒なのだろう。
「そうよ、見学希望者だって」
「「お邪魔します」」
軽人と揃って挨拶をする。
「初めまして。二年、生物応用科学科の近野理多です。ゆっくりしていってください」
わざわざ立ち上がり、頭を下げて挨拶をしてくれる。立ち上がると非常に身長が高い。僕や軽人よりも十センチくらいは高いだろう。細身の体格をしており、まるでモデルみたいだ。顔もそれぞれのパーツの主張は強くないが、全体で見たら整っている。いわゆる塩顔イケメンというやつだろう。
「一年、電気電子工学科の海木軽人です。こっちが黒瀬聡です」
軽人に紹介されてしまった。軽く会釈だけしておく。
「それで? あなたたちは本気でこのサークルに入るつもりがあるの?」
郡さんはクルクル回転する真っ黒で高級そうな椅子に座った。机にはパソコンが一台だけ置かれており、机も普通の学習机ではなくビジネスシーンで見るようなものである。まるで社長机みたいだ。そのうえ、郡さんの言葉もどこか高圧的なので、本物の社長のような風格がある。ブラック企業に入社したら、こんな気分を味わうのだろうか。将来のことを考えると嫌になってくる。
「麗美。まずは自己紹介をしないと。そして、このサークルに入る価値があるかを確かめるために、見学という制度があるんだよ」
近野さんが優しい声音でなだめるように話しかける。まるで保護者のようだ。
「二年、電子情報工学科の郡麗美よ。このサークルの部長をやってるわ」
郡さんは面倒くさそうに自己紹介をする。紹介してもらわなくても、名前は知っていたのだけど。
「あの、このサークルは具体的に何を……?」
「サークル名でわかるじゃない。異世界転生をする方法を探しているのよ」
当の本人から聞くと、なかなかパンチのある台詞である。それを照れずにあっけらかんと言えてしまうあたり、相当肝が座っている人物なんだろう。
「麗美。それだけじゃ何もわからないよ」
「じゃああなたが説明しなさい。わかりやすく、冷やかすつもりがなくなるくらい徹底的にね」
「うん、わかったよ」
郡さんはどこかイライラしているようだ。椅子をグルンと回して僕たちに背中を向けた。
「ごめんね。実は昨日も君たちと同じ見学者が来たんだけど、ただの冷やかしだったからさ。少し気が立ってるんだ」
「ぼ、僕たちは冷やかしじゃないですよ!」
確かに冷やかしではないが、僕はただの付き添いだってことを忘れないでほしい。
「わかってるよ。冷やかしだったら、もっと失礼な態度になるでしょ。ちょっと待って、お茶を淹れるから」
「お構いなく……」
近野さんは戸棚から急須やら湯のみやらを取り出して、お茶の準備を始めた。なんというか、物腰が柔らかい人だ。きっとかなりモテるだろう。
「はい、どうぞ」
「「ありがとうございます」」
暖かいお茶とクッキーを差し出してくれた。お昼ご飯も食べ終わり、ちょうどおやつどきなので非常にありがたい。甘みと渋みが混ざった香りは、非常に心地よい。
「えっと、このサークルの活動内容について話せばいいんだっけ?」
「そうですね。正直、何をやってるかはさっぱりで……」
「まあ、無理もないよ。僕だって未だによくわかってないし……」
サークルとしてはそれでいいのだろうか。
「わかってるとは思うけど、目的は異世界転生をすること……に一応なってる」
近野さんは少し苦笑いしながら言った。やはりこのサークルに参加しているメンバーであっても、疑問に感じるところはあるのだろう。
「けど、数学的に異世界転生の方法を調べるのは、僕たちには無理だ。というか、僕たち程度の人間にできるのなら、とっくの昔に偉い人たちが見つけてると思うしね」
確かに。理屈で異世界転生の方法を求めるのは無理だろう。僕が知ってる異世界転生系のアニメは、死んだら異世界転生したり、ありふれた日常を過ごしていたら急に異世界転生したりといったケースばかりである。まあ、あれはフィクションなんだけど。
「だから僕たちは、非科学的な方法で異世界転生ができないかを調べてるんだ」
「……と言いますと?」
「例えば、行方不明者。日本国内でもたくさんの行方不明者がいるでしょ? もちろん、今も生きている可能性や亡くなっていて死体が見つかっていない可能性も否定できない。けど、何か超常的な力が働いて、異世界に行っている可能性もゼロではないと思うんだ」
「……はぁ……?」
軽人は理解が追いついていないようだ。
「つまり、証明ができないってことだよ。僕たちがここにいることは、誰かに観測してもらえば証明される。そうでなくても、指紋を残すとか、置き手紙をするとかでここにいた理由は残せる。けど、行方不明者は今どこにいるか分からない。だから逆に全ての可能性が残るってこと。異世界転生をしている可能性も含めてね」
「なるほど。あれ? お前って実は賢い?」
「それは定かじゃないけど、軽人が僕よりも理解力に乏しいのはわかったよ。けど……」
「ん? 何かな?」
近野さんは首を傾げている。しかし、この疑問に気づいていないわけがないだろう。
「それって……異世界が存在する可能性の話をしてるだけで、異世界転生の方法を探していることにはならないですよね?」
「ははは、なかなか鋭いね。確かに、その通りなんだよ」
異世界といっても幅広い。例えば、天国や地獄だって異世界の一種だろう。死んだら天国や地獄に行くと考えている人は多い気がする。僕もその存在を否定はしていない。しかし、証明をするのは無理なのだ。死んだら天国や地獄の存在を確認できるかもしれない。けど、生きてこの世に存在を伝えることができない。
「異世界転生の方法を探すには、異世界転生した人間を探すしか方法がないんじゃ……」
「そうよ!!」
すると、社長イスに座っていた郡さんがいきなり立ち上がった。ずんずんとこっちに近づいてきて、僕との距離を詰める。
「あなた、名前は?」
「く、黒瀬聡です。思い描きやすい黒瀬に、聡明の聡で聡です。」
「なるほど、わかりやすい自己紹介ね」
今朝の出来事がいきなり役に立った。というか、近い。郡さん……というか女の子特有の匂いがわかる程度には近い。
「私たちはね、別に自殺願望があるわけじゃないの。異世界に行ってやりたいことが山ほどあるのに、死ぬなんてもっての他なのよ。死ぬという行為が、異世界転生につながらない限りね。だからゴミクズみたいな可能性にかけて、自ら命を絶つような真似はしないわ」
昨日も言っていた。命を捨てるなんてもったいないと。この異世界転生サークルという団体は、人生に絶望した人の集まりかもしれない。けど、命を価値を軽視している人たちではないらしい。
「私たちは確実に異世界に行きたいの。そのためには、あなたの言ったとおり異世界に行った人を探すしかないわ」
「け、けど……そんなのどうやって探すんですか?」
「掲示板でもSNSでも何でもいいわ。この時代は便利よ。クソであることに違いはないけどね」
「はい! はい!」
軽人が手をあげて発言の許可を待っている。放置されたのが寂しかったのだろうか。
「はい、そこの軽薄そうな少年」
「海木軽人です! よろしくお願いします!」
首が攣るんじゃないかってくらい勢いよく頭を下げる。頭を下げるのは礼儀正しいかもしれないが、勢いがありすぎるとどこか嘘くさく感じるな。覚えておこう。
「その……実際に異世界転生したってどうやって確認するんですか? 確かにSNSとかで異世界転生したって主張するやつはいます。けど、そのほとんどが嘘っぱちだと思うんですけど……」
「はぁ……なんだそんなこと?」
露骨にがっかりしている。質問内容がお気に召さなかったらしい。けど、何となくだが僕にもその理由はわかる。
「軽人……その人から確認する必要なんてないんだよ」
「ん? どういうこと?」
「君の言うとおり、その人から確認する方法はないかもしれない。仮に異世界の写真や動画があったとしても、それが合成である可能性を否定できない。仮にその人自身が魔法みたいな異世界にしか存在しないであろう技術が使えたり、この世界ではあり得ない組成の物体なんかを持ち込まない限り、異世界転生したことは確認できない」
「そうだろ? だったら……」
「けど、もっと簡単に確認できる方法がある」
軽人は全くわからないと言った顔で固まっている。
「さっきも言ったでしょ。行方不明者だよ。仮に十年行方不明だった人が、急に現れて異世界転生していたと主張したらどうする? それが嘘だと思う? そんな嘘をつくために、人目がつかないところで十年も過ごしていたと思う?」
「た、確かに……」
「とりあえず異世界転生したと主張するやつの情報さえ集めればいいんだよ。その人がこの現実世界から完全に姿を消していた期間があれば、異世界転生していたという主張の信憑性はあがる。それでも絶対ではないけどね」
「そもそも、絶対なんてないわ。今は絶対と定義されていることでも、未来になったら違うかもしれない。私たちは確実に異世界転生をするために、それなりに信憑性が高そうな情報を集めるだけでいいのよ」
情報を集めるだけでいいとは言うが、それも気の遠くなる作業だ。しかし、そんなことは問題じゃないのだろう。異世界転生なんて、できない可能性の方が高い。それを実現しようというのだ。道は険しいに決まっている。
「どう? あなたたちが知りたいことはわかったかしら?」
「そうですね……」
軽人はどこか釈然としない感じだ。何か言いたげな顔をしている。
「まだ知りたいことがある?」
「……一つだけいいですか?」
郡さんは黙って頷く。
「馬鹿にしているわけじゃないですが……無理だと思うんです。サークルとして真剣に活動していることは伝わりました。けど、実現なんてとても……」
声が少し震えている。言うべきか迷ったのだろう。異世界転生は、できない。それを言うことは、このサークルの存在自体を否定することになる。
このサークルの活動自体は間違ってないと思う。異世界転生を実現するための方向性としては適切かもしれない。けど、それだけだ。この話を聞いて、本当に異世界転生ができるかもしれないと考える人はいないだろう。
「……あのね、海木くん。君には夢ってある?」
「夢ですか……? 今は特に……ないです。普通に就職して、普通に結婚できればそれで……」
「それも立派な夢だと私は思うわ。この学校に入るってことは、それなりの会社に就職できる可能性が高くなるってこと。つまり、あなたは夢の実現に近い場所にいるの」
郡さんは自分の机に戻ると、椅子に深く腰掛けた。
「私たちの夢は異世界転生よ。そして、その夢の実現に近い場所にいるためには、さっき言った行動が必要なの。何もしないやつより、何かしたやつの方が夢が実現する可能性は高い。だから、私たちはこうやって活動してるの」
郡さんの発言は少しも間違っちゃいない。異世界転生なんて無理かもしれない。けど、可能性を否定したら絶対に奇跡は起きない。方法を探している限り、異世界転生できる可能性はあるのだ。
「そ、そこまでして何で異世界転生する必要があるんですか?」
「決まっているじゃない。私の人生がクソだからよ」
あっけらかんと言ってのける。表情からは少しのネガティブさも感じない。覚悟を決めた顔をしている。
「私の人生はクソよ。クソにまみれて死にたくないなら、異世界に行くしかないわ」
僕は異世界転生ができる可能性を否定はしない。けど、心からできると信じることもできない。
それなのに、なぜか彼女を見ていると「この人は絶対に異世界に行くんだろうな」という気持ちになった。