自分を信じられる才能
時は三十分ほど前に遡る。
「……正気?」
「もちろん正気だ」
「なるほど。実は僕も正気なんだ。だからこの件はなかったことにしてくれ」
「待って待って!! わかる、お前の言い分はよくわかる。けど、このサークルに一人で顔を出す俺の気持ちもわかってくれ」
そのパンフレットは非常にシンプルでわかりやすかった。サークル活動をしている場所とサークル名が記載してあるだけ。情報量が少なすぎて、人を集めるつもりがあるのか不審に思えてくる。
しかし、こうしてサークル参加希望者がいる以上は、多少なりとも効果があるのだろう。
「悪いけど、僕は燃え盛る炎に突っ込む趣味はないんだ。楽しいことなら積極的に参加する心構えはあるけど、破滅願望があるわけじゃない」
「実際に様子を見てみないと、どんな雰囲気かはわからないだろ?」
「確かにその通りだよ。知らないことを知った風にして語るのは、あまり好きじゃない。けど、世の中にはリスクという言葉があるんだ。厄介なことに少しでもなりそうなら、首を突っ込まない。その実態が何であれね」
知らないことを知ることは簡単である。調べたり、実際に見たりすればいい。しかし、知ること自体がリスクになる可能性も少なくないのが現実だ。フルマラソンの辛さを知るには、フルマラソンに参加するのが一番手っ取り早い。しかし、その代償として僕の体はボロボロになるだろう。リスクを回避するのは、人生において非常に大切だと思う。
「大丈夫だ! そのリスクも二人でいれば半分になるから!」
こいつ一人だけを送り出せば、僕のリスクはゼロになると考えないのだろうか。
――異世界転生サークル
僕たちが今から見学に行こうとしているサークルの名前である。
「そもそも、なんでこのサークルなのさ?」
「うーん……」
軽人は黙って考え込んでしまう。そんなに難しい質問じゃないと思うだが、言葉にしづらいのだろうか。まさか、あの美人ポニーテール先輩と同じ考えの持ち主だったりするのか。
「いや、俺は別に異世界に行きたいとか考えてねぇよ?」
表情で読み取られてしまった。もし、本当に異世界に行きたいのなら、刺激しないようにそっと距離を置こうと思っていたが、杞憂だった。
「なんというか……あの人に興味があるんだよ」
「あの人? あの美人ポニーテールさんのこと?」
「よく髪型まで覚えてるな……まぁそうだよ。郡先輩な」
名前はともかく、ポニーテールを忘れるはずがない。
「あの人……すげぇと思わないか?」
「そうだね。キューティクルもさることながら、高めの位置でまとめているあたり強い意志を感じるね」
「いや、髪型の話じゃねぇよ。なんでここで髪型の話をすると思ったんだよ」
あのポニーテールを見て、何も感じないということはきっとポニーテール好きじゃないんだろう。軽人との友好度レベルが2下がった。
「異世界転生なんてさ、絶対無理じゃん。そりゃあ、理屈で異世界転生が無理な理由を説明しろって言われたら、何も言えねえよ? けど、感覚で無理だってわかるじゃん」
無理。
なかなか絶望的な響きの言葉である。
この世界に多くの人が、無理という言葉で自分の蓋をしてきたのであろう。それは間違いじゃない。むしろ、無理と自分に見切りをつけることで、より自分の可能性を広げているとも考えらえる。
僕は中学時代に陸上部に所属していた。走ることでお金を稼げればいいなと考えた時期もあった。しかし、自分の能力ではそこまで到達できる可能性は低いと考え、しっかり勉強をしてこの学校に進学した。
この選択を全く後悔していない。むしろ、アニメを見る時間をしっかり確保できる日々に喜びすら感じる。無理と自分を見限るのは、決して悪いことではないのだ。
「そんな無理なことをさ、絶対にできるって公言できるんだよ。あんだけの人がいる前で。多分、あの人は心の底から自分を信じてるんだと思う」
「……そうかもね」
そうだね、とは言えなかった。
「異世界転生なんてできるはずがないって、周囲から理解されるはずがないって、わかってると思う。その上で、できるって言えるんだ。俺はすげぇかっこいいと思うんだよ」
軽人は目を輝かせた後、少し寂しそうに下を向いた。一瞬だけ、物憂げな表情になる。
「俺には絶対無理だからさ。どんな人か知りたいんだよ」
何が無理なのか。知ってどうするのかは聞かなかった。
けど、とりあえず付き合ってやるかという気にはなった。




