高校デビューは無残に終わる
学校に近づくにつれ、自然と人の数が多くなる。僕たちは四日市からの電車通学だが、もともと白子に住んでいる人も多い。電車通学と自転車通学、徒歩通学が混在しているのが第三高専である。
「人が多いですね」
「五年制だからね。必然と生徒数も多くなるんだろうね」
とか言いながら、僕たちの横を自転車がビュンビュン走り抜けていく。当たり前だが、やはり便利そうだな自転車。駐輪場に空きができたら、僕も絶対に自転車通学にしよう。
そう思っていると前を走り抜けていった自転車から、ピラピラとビニールっぽいものが落ちた。そのことに気づかず自転車は去っていく。
「なにか落ちましたね」
見ると、それは菓子パンの空袋だった。一瞬ポイ捨てかとも思ったけど、意図して落とした感じはしなかった。多分、雑に自転車のカゴに入れていたから落ちたのだろう。
「ゴミですか……全く、嘆かわしいですね」
今村さんはそう言うと、自分のカバンからビニール袋を取り出し、その中に菓子パンの空袋を入れた。
「……拾うんだね」
「え? ダメでしたか?」
「いやいや、ダメじゃないよ。むしろ、人間として正しいと思う」
けど、年頃の女の子が、落ちているゴミを拾うなんてあまりないだろう。拾わなくても自分は責められない。もちろん、拾うことで環境が良くなるというメリットはある。しかし、自分へのメリットはほぼないはずだ。僕が一人だったら、間違いなくスルーしていた。
「私もこれが正しいと思ってるんです」
やはりこの子は損をしそうな性格だな。改めて強くそう思った。
「では、私はこれで。定期券ありがとうございました」
「今度は落とさないようにしなよ。ポケットに入れるものは、捨ててもいいものだけだよ」
「ふふっ、面白い言葉ですね。頭に入れておきます」
母さんの名言を引用したのだが、笑われてしまった。やはりあの人の感性は少しおかしいのだろう。
僕と今村さんはそれぞれの教室に入った。電気電子工学科と電子情報工学科の教室は隣同士である。そのため、僕が美少女を連れて登校したのは、当然クラスメイトの目に入っているというわけだ。
教室に入った瞬間、全員からの視線を感じる。おいおい、そんなに睨まなくてもいいじゃないか。僕は定期券を拾っただけだぞ。
しかし、わざとらしく「付き合ってないんです」と弁明するのも不自然だろう。黙って自分の席に座ることにした。
「よっ、色男さん」
着席するや否や、前の男に話しかけられた。
「きっと僕のことを呼んでいるのだと思うけど、色男じゃないから無視してもいいかな?」
「無視してもいいなら最初から話しかけないと思わないかい? 黒瀬聡くん」
「まあ、不快な呼び方には目を瞑ってあげるよ。それで、何用?」
「まあ別に用なんてないんだけどさ。クラスメイトだし話しておきたいな〜と思って」
親交を深めるつもりがあるのなら、最初からそんな呼び方はするべきじゃないだろう。しかし、この軽薄そうな男にそれを言っても通じるかわからない。よく見ると制服も着崩している。僕とは相いれなさそうな人間だ。変に波風を立てないためにも、ここは僕が大人になってやろう。
「なるほど、じゃあ先に気になっていることから教えてあげると、僕は彼女の定期券をたまたま拾ってたまたま一緒に通学することになっただけだ。何の関係性もない」
「ありゃ、先手を打たれちゃったか。せっかくその話題だけで授業開始まで時間を潰そうと思ってたのに」
「残念だったね。高専生らしくアニメでも見て時間を潰したら?」
「おいおい、高専生だからってアニオタって決めつけんなよ。確かにアニオタっぽいやつは多いけど……」
「否定するなら、自分のスマホの待ち受け画像を変えてからにした方がいいよ」
僕は彼の机の上に置いてあるスマホを指差す。しっかりと美少女キャラが写っているのが確認できた。彼は勢いよく振り返り、スマホの画面を伏せるがもう遅い。
高専生はアニオタが多いらしい。統計をとったわけじゃないけど、その傾向があるのは間違いないようだ。
その証拠に普通にアニメキャラのパーカーやTシャツで通学している人がいる。一般的な大学では、あまり見ない光景な気がする。実際に僕も彼もアニオタなわけだし、数は多いと考えていいだろう。
「はぁ、やっぱり隠しきれねぇよな〜」
ガックリと肩を落としている。そんなに隠したかったのだろうか。
「そもそもオタクを隠さなきゃいけないっていう考えが必要ないでしょ。僕だってオタクだけど……」
「なに!? お前オタクなの!?」
僕の言葉を遮りながら、急激に顔を近づけてくる。そっちの趣味はないので、肩を掴んで押し返す。
「悪い悪い、ちょっと興奮しちまった。あんな美少女と歩いている奴が、まさかオタクとは思わなくてさ」
「君みたいにチャラついていて軽薄そうな人種より、僕みたいに陰気な人間の方がよっぽどオタクらしいと思うけど」
「あ! 見た目で決めつけたな! 俺はいわゆる高校デビューってやつを決めただけなのに!」
高校デビューというやつは、ブレザーのボタンを空けてネクタイを緩めるものなのだろうか。僕にはただだらしないだけのように思える。少なくとも、この人を僕はかっこいいとは思わない。
髪もわかめみたいにうねうねしている。今村さんの整ったウェーブとは違う。本当に自由気ままにうねらせてみましたという感じだ。多分、ワックスを使ったりパーマをあてたりしているのだろうが、あまり似合ってはいない。
「オタクが無理するとろくなことにならないよ」
「あれ? 俺のこれ似合ってない? あれ?」
「露骨に不安になるってことは、自分でもおかしいっていう自覚があるってことでしょ」
「ったく髪型とか難しすぎんだよな〜 せっかく徹夜で調べたのに」
スマホを覗き込みながら、毛先をいじっている。その程度ではどうにもならないと思うが、あえて口にはしない。今日はその髪型で過ごさなくちゃいけないから、無駄に絶望させないようにという気遣いである。
「せめて制服だけでもちゃんと着たら? 君の高校デビューはどこか履き違えてる気がするよ」
「……ううっ、せっかく華々しい高専生活を送ろうとしたのに。誰か高校デビューの正解を教えてくれ」
そんなものに正解があるのだろうか。しょぼくれながらボタンを留め直すクラスメイトを見ていると、僕はあることに気づいた。
「そういえば、僕は君の名前を知らない」
「お? そういや自己紹介って今日だもんな」
クラス内での自己紹介が行われるのは今日である。一昨日は入学式、昨日は健康診断やら写真撮影やら部活・サークル紹介やらがあり、クラス内で活動するのは今日が最初だ。クラスの数名は仲良くなっているようだが、ほとんどは自分の席から動こうとしていない。誰も友達がいないのだろう。
「じゃあ改めて、海木軽人ってんだ。軽人でいいぜ。よろしく、黒瀬くん」
「僕も聡でいいよ。というか、僕の名前は知ってるんだね」
「前に座席表あるからな、それで確認した」
あれって自分の席を確認するためのアイテムじゃなかったんだ。知らない人の名前を確認するのにも使えるのか。覚えておこう。
「しばらくは座席も変わんないだろうからさ、授業わからなかったら頼むぜ〜」
「生憎だけど、僕のスペックはそれほど高くないよ」
「嘘つくなって。聡の聡は、聡明の聡だろ?」
「名前で学力が決まると思っているなら、少しは僕の方が賢いかもね」
何にしても入学早々からくだらない冗談を言えるような相手が見つかったのはいいことだ。ぼっち回避ができたことに、僕は深く胸を撫で下ろした。