異世界転生
「黒瀬さんってきっといろんなことを考えながら生きてるんだと思うんです。永剛さんに話をするときもできる限りの準備はしたみたいですし」
「……まぁそうかもしれないね。欠点ともいえるけど」
「けど不思議なんです。永剛さんを助けたいと思ったときは、半ば本能的に行動してたのに郡さんの誘いを断る理由はないじゃないですか」
「いや、それはたまたま巻き込まれただけで……」
「私のお願いをきいて異世界転生サークルに連れてってくれたり、海木さんの付き添いをしたり、とっさに永剛さんにとってプラスになることを考えたり、まるで漫画の主人公みたいです」
恥ずかしい。確かに今村さんの言うとおりの行動はしてきたのだが、改めて振り返られると死ぬほど恥ずかしい。僕は顔を隠すようにアイスコーヒーを口にする。
「きっと黒瀬さんはとても優しいんです。頼まれたら断れないのがわかってるから、異世界転生サークルに参加したくないんですよ。大好きなアニメを見る時間がなくなっちゃいますからね」
うぐっ!……とは言わなかったが、言いたくはなった。確かに異世界転生サークルの活動内容自体は悪くないと思う。だからこそ、僕は断るためのそれっぽい理由を自分で探していただけかもしれない。
郡さんは永剛さんのような人をこれからも助けようとするだろう。人助けを『アニメが見たいから嫌です』というのは、あまりにもカッコ悪い。
ただ、自分の本心に問いかけてみても異世界転生サークルに参加したくない理由が『アニメが見れないから』とは思えない。間違いなく参加したくないのだが、その理由がよくわからない。
「あと、黒瀬さんはいい人になりたくないんですよ。その理由はよくわからないですけど」
「……なんでそう思うの?」
「こればっかりはなんとなくとしか言えません。ただ、いい人になりたい人は、いい事をして恥ずかしいとは思わないでしょ? 黒瀬さんはなんとなく恥ずかしそうですよね」
言われてみれば永剛さんの家を訪れた後、言いようのない恥ずかしさに襲われた。軽人から永剛さんについて聞かれたときも、素直に自分が説得したと言えばよかったはずだ。
心のどこかで、僕は『永剛さんを助けた』という事実をなかったことにしたいのかもしれない。『恥ずかしい』という言葉を受けて、簡単に納得できた。
「素直にいい人を受け入れた方がいいのかもね」
「いえ、そうでもないと思いますよ。だっていい人ってハードル高いじゃないですか。いい人が悪いことをしたら非難されますけど、悪い人が悪いことをしても当然だって思われます。いい人の方が世の中生きづらいと思いますよ」
「今村さんは……いい人って言われて嬉しい?」
今村さんは口をわずかに動かしたが、言葉を飲み込んでしまった。そして少し苦味のある表情を浮かべる。苦笑という表現がぴったりだ。
「嬉しい……と思いますよ。私はいい人ではありませんけどね」
そこで僕は気づいた。さっき今村さんは自分の行動を反省していたばかりじゃないか。いい人に見えるかもしれないけど、ただ挑戦してないだけ。彼女自身もそれを自覚しているんだ。
「ごめん、無神経な質問だったよ」
「いえ、事実ですから。ここからどう変わっていくかが重要だと思うんです」
強い女の子だ。自分の弱点をしっかり理解している。きっと、今村さんが本当の意味でいい人になる日も近いだろう。
「私が言うのもおこがましいですが、サークルに参加してみたらどうですか?」
「えっ」と情けない声が漏れた。まさか今村さんにサークルの参加を勧められるとは思わなかった。
「ここでサークルに参加しなかったら、ずっと後ろめたい気持ちになりませんか? せっかくアニメを見てても、心から楽しめないでしょう?」
サークルに参加しなかったとして、そういった気持ちに一切ならないかと言ったら嘘になるかもしれない。しかし……
「それでアニメ見る時間がなくなったら、本末転倒じゃない?」
「それはそうかもしれません。けど……」
今村さんはそこで、なんとも絶妙な折衷案を教えてくれた。
今になって思うが、僕は今村さんと出会ってよかった。彼女がいなかったら異世界転生サークルに再度訪れることもなかったし、永剛さんの一件にも関与しなかっただろう。そしてサークルに参加しないまま、ただ家でアニメを見続ける日々が続いていたに違いない。
それはそれで充実していたかもしれないが、心の底から楽しめる人生になっていたとは思えない。春樹は僕のその姿を見て、きっともったいないと思っただろう。
この瞬間から僕の人生はゆっくりと変わり始めた。今までとは全く別の人生。それはさながら、異世界転生と呼んでも差し支えないかもしれない。




