これが始まりの予感
「……お前、俺を先生に売っただろ」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。元は君が撒いた種だ」
「……きたねぇなぁ。まぁいいけどよ」
露骨に不機嫌そうな顔をしている。しかし、これが八つ当たりなのは軽人も重々理解しているだろう。僕は全く悪くありません。
「それで? サークルに行かなくていいのかい?」
「行くけど、永剛さんってどうすりゃいいのかな?」
ちらっと永剛さんの方を見ると、授業が終わったにも関わらず席から離れようとしない。ただ、黙々とスマホをいじっている。
「まぁなんとかしておくよ。とりあえず、君はサークルに行きなよ」
「やっぱりお前、何かしたんだろ?」
軽人はニヤニヤしながら俺の顔を見つめてくる。うん、気持ち悪いし距離が近いから離れてほしい。
「永剛さんと接したことのある人間は、このクラスに僕しかいないでしょ? それ以上でもそれ以下でもないよ」
「まぁそういうことにしといてやるよ。ただ、郡先輩にはちゃんと報告しとけよ」
「……わかったよ」
ここまで来ておいてなんだけど、あまり異世界転生サークルとは関わりたくないんだよなぁ。やたらと時間が奪われるし、何より疲れる。自分の性格をよく知っているからこそ、永剛さんのような人には最初から関わらないのがベストだ。
「じゃあな。後はよろしくぅ」
軽人は軽快な足取りで、教室を出ていった。そして徐々に教室から人が減っていき、騒がしさも落ち着いてくる。その頃を見計らって、僕は永剛さんの元へ向かった。
「おはよう」
「……何時だと思ってんの?」
「朝、君が挨拶してくれたのに返事してなかったなぁと思って」
「……数時間後に挨拶を返すくらい律儀なら、その場で返事してよ」
「びっくりしたんだよ。まさか、本当に学校に来るとは思わなかったし」
「……誰のせいだと思ってるのよ」
永剛さんは不機嫌そうである。今日はクラスメイトから珍しいものを見るめで見られただろうし、ストレスになっているのは間違いない。けど、すぐに教室を出ようとしないあたり、彼女なりに努力をしているのだろう。
僕は永剛さんの前の席に座った。教室に若干残っているクラスメイトからの視線を感じるが、まぁ仕方ない。ここで永剛さんを放置する方が、よっぽど罪深いだろう。
「どう? 学校に来た感想は?」
「苦痛。家でネットサーフィンしてる方が楽しい」
「そうだろうね。僕も家でアニメ見てる方が楽しいよ」
「けど……多分私にとって必要なことなんだよね。ストレスは溜まるし、自由な時間がなくてつらいけど……」
「必要かどうかは君が判断するしかないからね。学校に行かなくても、有意義な人生を送っている人はいるし。もし、君が学校を経験したうえで、元の生活の方が充実してると思うのなら、僕はそれでもいいと思うよ」
『知らない』っていうディスアドバンテージはとてつもない。僕たちはまだ子供で、自分の周りの世界しか知らない。そしてそこに幸せがあると思ってしまう。けど、一歩外に出たらもっと幸せになれるかもしれない。知る努力をしなければ、絶対に現実は変わらない。
もしかしたら、永剛さんにとってあの閉ざされた空間が本当に幸せなのかもしれない。それだったら別にいい。永剛さんが『妥協した幸せ』と思っていたことが『本当の幸せ』だっただけだ。
ただ、それが『本当の幸せ』かどうかを判断するためには、外の世界を知らなくちゃいけない。お父さんの死に影響されて、娘まで人生が破滅してしまう。それはあまりにもひどい。最終的に永剛さんが自分の人生について判断をしなくちゃいけない。けど、判断するための材料を増やすくらいのことはしてあげてもいいのではないだろうか。
……ここまでが、僕がここに座っている理由である。こういう屁理屈を考えていないと、まともに顔を見ることすらできそうにない。『クラスメイトの男の子が不登校少女を救った』そんな風に思われたくないし、思いたくない。自分がただの痛々しいやつに思えてくる。
「……とりあえず学校には来るよ。来ておいてマイナスはないだろうし、部屋にこもってるのは楽だけど、何かプラスになってるとは思えないし」
「うん。そう言ってくれると助かるよ。あと、僕が君の家に行ったことは黙っててくれないか?」
「……なんで?」
「恥ずかしいから。不登校の女の子の家に行って、それっぽい言葉で説得して、学校に来させる。事象として恥ずべきことじゃないのは理解してるけど、それでも恥ずかしい」
「……ラノベの主人公が、熱い言葉を投げかける感じ?」
「考えたくないけど、そんな感じ。やってることは正しいと思う。けど、それと感情は別。僕は誰かから賞賛されたいわけじゃないんだ。できることなら、熱い展開にならない人生を送りたいんだよ」
「……ぷっ! ははははははっっ!! あんなに流暢に喋ってたくせに何言ってんの?」
永剛さんは腹を抱えて爆笑しだした。こんな風に笑う子なんだ。
「別にいいでしょ。誰もが主人公になりたいわけじゃないんだよ」
「そうだね。はーっ、久しぶりに笑ったよ。てっきり私は、困ってる人を見るとほっとけない正義マンかと思ってたんだけど」
「それは否定しない。レベルによるけど、見て見ぬ振りは自分にとっても気持ち悪いからね。けど、その人を助けるのは恥ずかしいんだ。恥ずかしさと後悔を天秤にかけると、若干後悔の方が勝つから助けるけど、できることなら困ってる人と出会いたくないね」
「あなたは自分の人生をえらく客観視してるんだね」
「……そうかもしれないね。側からみて、あいつ何やってんのって思われることはしたくないんだよ。それにこれから連鎖的に誰かを助けなくちゃいけなくなったら面倒だ。アニメを見る時間がなくなる。正直、君で最後にしたいくらいだよ」
「そうなるといいね。あんなサークルに関わってちゃ、無理な気がするけど」
そこで異世界転生サークルのことを思い出した。
「そういえば、異世界転生サークルには入るの?」
「入るよ? そもそもあなたが勧誘してきたんじゃない」
「厳密には、僕じゃなくて郡さんだけどね。一応言っておくけど、僕はサークルのメンバーじゃないよ」
「え? 昨日、あんなに異世界を目指すことの意義について語ってたくせに、メンバーじゃないの?」
「トンカツ屋でも言ったじゃないか。僕は巻き込まれてるだけなんだよ」
「覚えてないよそんなこと。あの時はただのモブAだったし」
なんという言われようだ。けど、客観的に考えればそりゃそうか。
「まぁいいや。とりあえず、サークルに連れてってよ。今日もやってるんでしょ?」
「多分ね。というか、場所を教えるから一人で行ってくれないか? さっきも説明したけど、僕はこれ以上面倒なことに関わりたくないんだ」
「つ、れ、て、っ、て、!」
袖をぐっと掴まれる。つくづく、人生は思うようにいかないものである。




