彼女は異世界を目指す
「君はわかっているはずだ。ずっと部屋にいたってお父さんは生き返らないし、自分の人生が腐っていくだけだって。ここで何もしないと、君は一生幸せになれない。それをお父さんが喜ぶと思うのかい?」
『うるさい。わかったような口をきかないで』
「僕も中二のときに弟が死んだんだ。病気だった。難病で僕にはどうすることもできなかったよ。その後の生活といったら君と同じようなものさ。けど、僕は学校に行き続けた。だから、今こうしていられると思ってる」
『だから……私にも学校に来いって言ってるの? そもそも、死なんて簡単に乗り越えられるものじゃないでしょう!?』
インターホンから破裂するような叫びが聞こえる。
『疲れたんだよ! 母さんは父さんのことを利用するばかりで、死んだ後も祈りすら捧げやしない! 私をこんな場所に閉じ込めて、金だけ渡して終わりよ。だから、その金を使って幸せに生きることの何が悪いのよ!』
「別に悪くない。お金は君のお父さんが残してくれた宝物だ。だから、君は別に就職する必要がないだろうし、学校に通う理由もないだろう。だから、僕は学校に来いとは言わない」
『……じゃああなたは何が言いたいの? 私にどうしてほしいのよ?』
「永剛さん……本当の幸せってどこにあると思う? 本当にその狭い空間の中にあると思う? 君は一生そこで過ごして、死んだ後後悔しないと思う? 今から寿命で命を全うするまで、この世界で生き続けることができると思う?」
『それは……』
「即答できないでしょ。僕はね、目の前で人に死なれなくないんだ。君が学校に来ないのはいい。ただ、前向きに生きててほしい。それだけなんだよ」
生きるというのは大変だ。経済的な問題はもちろんだが、それだけじゃない。ただ、生きるために僕たちはどれほどの困難を乗り越えなくちゃいけないというのか。
永剛さんの気持ちはすごくよくわかる。別に生きたくないわけじゃない。けど、気力がなくなっているのだ。何をするにしても、亡くなった人の影がちらついてしまう。そんな状態。
時間しか解決する方法はないと思う。けど、第三高専はどんな理由があろうと、出席日数が足りなければ留年だ。今ならまだ間に合う。時間が解決するのを待つわけにはいかないのだ。後から「ちゃんと学校に行っておけばよかった」と思っても遅い。
だから僕は、無理やりにでも永剛さんに生きる気力を与えなくてはいけない。そんな方法があるのだろうか。今までの僕ならわからなかっただろう。けど、今の僕は知っている。身近にそれを実践していた人がいるからだ。
「永剛さん……異世界ってどんな世界だと思う?」
『……はぁ? いきなりなに?』
「いやさ、異世界ってよく耳にするじゃん。僕たちみたいなオタクだったら特にさ。けど、明確な定義があるわけじゃないよね。だから、永剛さんにとって異世界ってどんな世界かなって」
『……わからないけど、モンスターが出てきたり、魔法が使えたりする世界じゃないの? ファンタジーにありがちな世界しか想像できないよ』
「そうだよね。僕もそう思ってた。大体のアニメで異世界っていったら、魔法やドラゴンは出てくるもんね。けど、最近考えが変わったんだ」
『……変わった?』
早口でまくしたてる。
「僕が思う異世界はね、自分にとっての理想郷なんだよ。そこにいけば何でも願いが叶う、楽園みたいなイメージ。だって考えてみなよ。世の中のアニオタでさ、もし自分が異世界転生したらーって妄想を膨らませている人は多いでしょ? けど、自分が異世界転生したのに、奴隷みたいな扱いを受けたり、飯を食べられずに死んだりっていう妄想をしている人っていないと思うんだよね」
『……自分の妄想の中なんだから、自分の都合のいいように解釈するでしょ』
「そうなんだよ。だから、異世界っていうのは自分の都合のいいように作られた世界のことなんだ。ちょっとした逆境も、試練も、全部自分のために作られている。だから絶対に乗り越えることができるし、大切なものはなくならない。それが異世界なんだよ」
『……あなたが異世界をどう解釈しているかはわかった。けど、何が言いたいの?』
何が言いたいのという言葉で、少し顔が熱くなる。僕は本当に何を言っているんだろう。けど、正気に戻るな。深く考えるな。冷静さを取り戻したら終わりだ。
「そう考えるとさ、異世界転生サークルってすごく魅力的だと思わない?」
『……それってあの女の人が代表の……』
「うん。頭のおかしいサークル。郡さんはね自分の人生がクソなんだって。何でクソかは知らないけど、クソみたいな人生を変えるために異世界を目指してるんだ。すごいよね」
『……そんな非現実的なことをして何がすごいの?』
「だって、普通なら自分で命を絶つと思わない? 人生がクソで何の希望もないんだよ? そんな状態で異世界なら自分が幸せになれるかもしれないって思う? 僕には到底思えないよ」
『……けど、達成できなければ意味がない。異世界なんてあるわけ……』
そこで永剛さんは言葉を切った。そう、異世界なんてあるわけない。けど、その証明が絶対に不可能ってことに気づいたんだ。
「異世界なんてあるわけない。けど、ないことを証明はできない。もちろん、君のいう通り異世界を目指してもたどり着かないかもしれない。それでも、異世界を目指して進むことに意味があるんじゃないかと思う」
『……だって……そんなこと……』
「わかるよ。期待するのはつらいよね。異世界を信じるってことは、もしかしたらお父さんに会えるかもしれないって期待することだから。それはつらいと思う。けどさ、このまま人生を終えるよりよっぽど価値があると思うんだよ」
『……あなたは……信じるの? 弟に会えるかもしれない世界を……信じるの?』
「……信じるって言いたいけど、それはできない。僕は弟の死としっかり決別した。たまにつらくはなるけど、それでも自分の中で気持ちの整理はつけたつもりだよ。だから、弟に会えなくても楽しい人生を送れると思う」
春樹の存在は大切だ。僕は春樹を弔いはする。悲しい最期だったとも思う。けど、それを理由に僕の人生を台無しにしていいわけがない。春樹が何をつらいと思うか知っているからこそ、僕は兄としてふさわしい生き方をしなくちゃいけない。
「永剛さんもさ、ずっとそこにいるんじゃなくてどれだけ愚かでも、自分の理想に向かって進んでみたら? その中で、本当に楽しい自分の人生が見つかるかもしれないよ? 妥協した幸せじゃなくて、本当の幸せがね」
……永剛さんから返事がない。しばらく無音の状態が続いた後、ドアが開いた。
永剛さんは目元を赤く腫らしていた。どれだけつらく、どれだけ苦しかったのだろうか。僕にはわからない。いや、わかった気になってはいけない。けど、僕は間違ったことをしていない。女の子を泣かせていても、そう思えるだけの自信があった。
「……ありがとう」
「え?」
間抜けに聞き返してしまう。まさか、その言葉を与えられるとは思ってなかった。
「今日は帰って。せっかくの休日なんだから、ここで時間を使ってちゃ勿体ないよ」
「……そう……ですか……」
永剛さんはそう言って優しく微笑むと、ドアをゆっくりと閉めた。無機質なドアをしばらく見つめた後、僕は永剛さんの家を後にした。
「……はっず」
顔が熱い。体の節々がかゆい。思う存分叫んで、いろんな感情をぶちまけたい気持ちだ。あーはずいはずい。思い出したくない。
とりあえずイアホンを耳に突っ込み、いつもより音量を高めにしてアニソンを流した。そうだな……今日はバトルものにしておこうか。なるべく、異世界とかラブコメには触れないようにしよう。




