母からのお言葉
先生と食事を終えた後、僕は真っ直ぐ家に帰った。そのまま、普段と同じように休日を楽しもうとした。そう、楽しもうとはしたのだが、実際に楽しむことはできなかった。いや、やっていることは普段と変わらないのだけど、心はどこかふわふわしていたというべきか。
そんな僕の様子は、側から見てもおかしかったのだろう。その日の夕食時、母さんから指摘されてしまった。
「何を考え込んでるんだ?」
「……うーん。答えがいまいちよくわからないことかな」
「青春っぽい悩みだな。母親としてあまりデリカシーのない行動はしたくない。だが、飯は旨そうに食べろ。例え旨くなかったとしても旨そうに食べるのが子供の義務だ」
母さんは不機嫌そうである。母さんの料理は美味しい。たまに調味料の分量を間違えて信じられないくらいまずい時があるけど、今日のカレーはそんなこともなく美味しい。というか、カレーをまずく作るのは逆に難しい気もする。
母さんの要望通り、僕はあまり深く考えないようにしながらカレーを食べることにした。けど、考えないように意識するとその結果として顔が硬ってしまう。堂々巡りである。
「……とりあえず話してみろ」
「え?」
「その悩みについてだ。話したくないなら別に構わないが、きっとお前個人のことじゃないんだろ? 表情的に恋煩いって感じじゃない。誰かのために悩んでいるような顔だ」
「親はそんなこともわかるんだね」
「むしろ、表情で子供のことがわからない親は失格だ。お前も親になるかもしれないから覚えておけ。子供が何も語らなくても、親は子供を理解しなくちゃいけない」
深い……のだろうか。僕が子供だから、母さんの言っていることは中々無茶なようにも思える。けど、僕を気にかけてくれているのは素直に嬉しかった。別に隠すような話でもないし、僕は永剛さんのことについて母さんに正直に話した。
「なるほど。だから今日、学校に行ってたのか」
「うん。先生と話して何をするべきかわかったんだけど、なんとなく気持ちが定まらないというか……」
「当たり前だ。答えがないことに挑戦するんだ。不安を感じないわけがない」
不安と言われて、自分の感情を認識した。そうだ、僕は不安なんだ。誰かの人生に干渉しようとしている。干渉した結果がプラスになるかすらわからないのに、僕は行動をしようとしている。
僕がきっかけで永剛さんに悪影響が及んだら、少なからず責任を負うべきだろう。そう考えると、どんどん不安は強くなる。
不安が心を満たそうとしている時、母さんは口を開いた。
「けどな……挑戦しないのはもっと愚かだぞ」
注がれている不安が止まった気がした。蛇口を閉められたような感覚。
「人のことを完全に理解することはできない。それが親子であってもだ」
「……母さんさっき、僕のことを理解するのが親の役目って言ってなかったっけ?」
「聞け。確かにその通りだ。けど、完璧に私がお前を理解できると思うか? 親子であっても別人だ。私はお前が何を思っているのか、何を感じているのか、憶測でしか判断できない」
そりゃそうだ。心が読めるとか、何を思っているか見えるとかいう能力者じゃない限り、相手の考えを完璧に知ることはできない。だから僕は、人のことをわかったような風で話すのはあまり好きじゃない。
そこで気づいた。そうか、今の僕は矛盾しているんだ。そもそも、人のことをわかった風に語るべきじゃないと考えているのなら、永剛さんのことに口を出すべきじゃないだろう。
永剛さんが人生を諦めているように見えた。けど、これは僕の憶測だ。僕は憶測で人を判断した。そして、今から行動しようとしている。それ自体が今までの僕の考えと矛盾しているんだ。
「けど、人のことがわからないからって、理解を放棄していいわけじゃない。むしろ、自分の考えは絶対に正しいとすら思うべきだ」
「相手のことがわからないのに、自分が正しいと言い切れるの?」
「言い切るしかないんだ。相手が自分の気持ちを隠して、嘘をついている可能性もあるだろう? だから、自分が思ったことを真実にするしかない。そうでもしないと、人のために行動なんて絶対できない」
母さんは少しだけカレーを食べるペースをゆっくりにして、しっかりと僕に言葉を届けてくれる。食事中なのに、カレーを見ずに僕の方を見ている。片手間に話してくれていいのに、それをしない。表情からは真剣さが窺える。
「人間同士の付き合いってのは、そんなもんなんだよ。振られるかもと思ってたら告白なんてできないだろ? ほとんどの人間が相手は自分のことを好きだと思ってるから告白するんだ。相手の思考とか、感情なんて自分の想像通りでいいんだよ」
「けど、それが迷惑になるかもしれない。相手は放っておいて欲しいと思ってるかも……」
「だったらそれまでだ。そこから先は関わらなくていい。他人の人生だと思って割り切れ」
「それは……」
「聡、お前はそもそも自分のために永剛さんとやらを何とかしたいんじゃないのか? なんで失敗したときのことを気にする必要があるんだ? 失敗したらしたで、お前が挑戦したという結果は残る。それで十分じゃないか」
母さんは残りわずかのカレーをかきこむようにして口に運んだ。そして水で一気に流し込むと、
「勘違いをするな。お前が関わったところで、助けられないものは助けられない。仮に永剛さんが亡くなったとしても、それはお前のせいじゃない。ただ、助けようとしなければ絶対に助からない。だったら、お前は助けてあげるべきなんじゃないのか? ラノベの主人公じゃないんだから、いちいち他人に対して責任なんて感じるな。責任を感じる女は、子供を孕ませた相手だけにしておけ」
「……身も蓋もない気がするけど、確かにそうかもね」
自然と笑みが溢れる。母さんは笑わせるつもりなんてないだろうけど、それでも笑えた。




